(4)社会という名の現実
DATE : H27.1.18
TIME : 19:01
STID : *UNKNOWN*
午後からの授業を終えた俺は、デジタルメディア研究会には顔を見せずに帰ってきた。
あのサークルはメチャクチャ居心地が良く、まさに地上の楽園のような場所だが、気づけば時間が飛ぶように過ぎていく、浦島太郎の竜宮城のような場所でもある。
つまり今の俺にとっては、ある意味一番危険な場所だ。
それに、サークルに顔を出すと、必ず外食になる。
オタ仲間との和気藹々とした食事は超楽しいのだが、残念な事に、今の俺の財布はオゴりオゴられについていけない。
環境の激変に多少寂しさを感じつつも、俺は高校生の時みたいに、今日の講義…簿記論と仏語の復習を終えると、夕飯を頂きに、食堂へと降りていった。
すると食堂で、あかり姉ちゃんが既に帰宅しており、テーブルに突っ伏していた。
小夜子叔母さんとの話の様子からすると、今日の面接…あまり調子良くなかったようだな。
「あかり姉ちゃん、お帰りー。 今日の面接、どうだった?」
結論は薄々分かっているが、一応聞いてあげる。
「もうダメ。 全く時間足りなかった」
「何で? またトラブルか何かあって、パニクった?」
「ううん、筆記試験がね、SPIと別に、簿記もあったの。 そこだけ電卓を使用しても良いって言われたんだけど、持ってきてなかったから手計算」
あらー…。
簿記あったのか。
出題されたのが仕訳にせよ、貸借対照表作成にせよ、電卓を持ってきてなかったら痛恨の極みだ。
「それ、試験の要項に書いてなかったの?」
「見直したら、ちゃんと書いてあった。 完璧に読み落としてた…」
「それは…残念だったね」
「周りで、皆が一斉に電卓を打ってる姿に圧倒されて、頭真っ白になっちゃった。 面接も受けたけど、何しゃべったか、全然覚えてない」
これは、調子良くないどころか、確実に落ちたな。
パニくって数字が分からなくなる銀行員さんに、お金を預けたいと思う客は居ないだろうし。
信用金庫のお偉いさんも、泣く泣くあかり姉を切ったに違いない。
「はぁ…何でこうなったんだろうなぁ…」
「元気だしなよ、あかり姉」
ふと、思いついた事があった。
あかり姉ちゃんに、お金を借りる…ってのはどうだろうか。 それとなく聞いてみよう。
「あかり姉ちゃん、もう結構面接受けてるよね。 やっぱお金掛かる?」
「お金掛かるよ。 問題集買ったり、試験受けるのだってタダじゃないもん。 電車賃だって掛かるし…」
ダメだ。
回答の世知辛さで、お金は借りるのは無理だと分かった。
よく考えたら、あかり姉ちゃんの家もさほど裕福じゃないから、この下宿に居るんだった。
やはり、20万円を失いかけてるなんて、誰にも言えない。
もしこの事実が、実家の人間の耳にでも入ったら、大学を辞めさせられて、家に連れ戻されて、地元でムリヤリ就職するハメになる可能性は高い。
…正直、それだけは絶対に避けたい。
「そういえば、礼雄は将来何になりたいの?」
だが、そこで会話が途切れたせいか、あかり姉の方から話を振ってきた。
「え? 俺?」
「もうすぐ3年生でしょ? そろそろ具体的に将来の目標を決めて、動き出さなきゃいけない時期じゃない?」
「…いや、まだ決まってない」
「全然!? 何にも!?」
「いや、全然考えてないって訳じゃないんだけど…」
学部の周囲の人間は、企業、公務員、証券会社の就職なんかを考えているらしい、ってのは結構耳にするけど…。
「イマイチ、イメージが湧かないんだ」
「…イメージ?」
「企業とか銀行とか、経済の学生同士で、そんな話はするんだ。 でも、実際にどんな仕事をして、何をすればいいのかが、実際に体験するまで分からないじゃないか…。 分からないから、決めようがないんだ」
「でも、先輩方が企業の話をしに来たりするでしょ?」
「来るけど、ピンと来ない。 俺に、根本的に社会経験が足りないからかな、とか思うんだけど」
「あー…」
そう言って、あかり姉も難しい顔をした。
俺は高校~大学生活の大部分をゲームに費やしてきた人間なので、そういう「普通の生活」からは縁遠い部分もあった。
端的に言えば、一般常識に欠けていた。
「社会経験が足りない」という理由は、俺のそういう過去を知るあかり姉にも、納得できるものだったかもしれない。
「でもまぁ…。 頑張ってね、就職は人生を決めるのと同じことだから」
「そうだね」
経験が足りないのなら、経験を積むしかない。
とにかくしっかり頑張るしかないよ、と暗にハッパをかけられ、残念ながら俺も全く同意だった。
なんせ、俺のまともな社会経験って、コンビニバイトしかねぇし。
「ね、礼雄は地元に戻って就職するつもりはないの?」
「冗談言わないでくれよ、こっちの方が就職口多いし」
ゲームばっかりしててこんな事言うのも何だけど、「就職が人生を決める」のなら、できるだけ良い仕事、良い人生を選びたいのは当然だろう。
わざわざ不利な選択肢を選ぶ理由は何もない。
それに…地元で肩身の狭い思いをするのも、ごめんだ。
「ところで、今日もバイトあるんでしょ? 深夜勤務だっけ?」
「うん、夜10時から朝まで。 でも、晩飯喰ってから働くのって、なんか気合い入らないんだよね」
「そういう事言っちゃダメだよ、夜勤も貴重な経験だよ。 頑張れ、礼雄ならきっと仕事できるよ」
あかり姉は、自分も失敗していてヘコんでいるであろうのに、逆に俺の事を励ましてくれた。
「そうかな…そうだと良いな」
そうやって社会経験を積めば、人からバカにされることなどない、一人前の人間になれるのだろうか。
もし…そうなれるのなら、そうなりたいが…。
「頑張れ礼雄。 お姉さんは応援してるぞ」
「ありがとう、あかり姉」
DATE : H27.1.18
TIME : 23:22
STID : *UNKNOWN*
「テメェ、荷出しすらできねぇのかっ! このクソがッ! とっとと片づけろッ!」
「す、スイマセン…!」
バイトの最中、俺はまたも失敗した。
コンビニは、深夜に専用トラックで発注した品物が届けられ、品出しして店頭に並べていくのだが、俺がビールを運んでいた際に、外がクソ寒かったので、急いで運び込もうととしたら、重ねて運んでいたビールの段ボール箱を一つ落としてしまった。
グシャ、という鈍い音でヤバいと思ったのだが、案の定、箱から出したビール缶は変形しており、そ礼雄見ていた店長が一瞬でブチ切れた。
「売り物にならねぇだろうが、ボケ! これ、損害分はテメェの買い取りだからな!」
「え、俺、ビール飲まないんですけど」
そう素で返事したら余計に激怒された。
「そんな事、俺の知った事かッ! 商品を破損した奴は、そいつが弁償すんのが筋だろうが! 違うか!? それとも俺が弁償すんのか!? 言ってみろ!」
言ってみろとは言うものの、反論なんて許さない怒りっぷりに、俺は口をつぐんで黙っているしかなかった。
「あーあ、コレもダメ、コレもダメ…。 商品を悉く台無しにしやがってよ、このクソチビが…」
俺がみた感じ、殆ど変形してないのも店長は次々に廃棄にしていく。
おいおい、それ全部俺の買い取りなのかよ。
「すいません…。 本当に、申し訳ありませんでした」
「うるせぇ、謝ってる暇があったら、さっさと手を動かせ!」
内心の不満は強烈に渦を巻くが、実際に商品を破損させたのは俺だ。
その損を、俺が補填しなければならないという主張も分かる。
だから、何を言われても飲み込まなくちゃいけない。
だけど、コンビニの商品はそれほど高額でないから個人でも弁償できるものの、これが個人で弁償できないような、高額の製品を扱う職業ではどうなるんだろう?
「君、1億円の損害出したから、この先ずっと無給で働いてね」
とか言われたら、大半の人は即座にその職場を辞める…はずだ。よな。
それから考えれば、俺が弁償するのはおかしいような気もしなくもないのだけど…。
やっぱそれは社会人として責任を取ってないっていうか、甘い考え方、なんだろうか。
とりあえず、トラックで運ばれた残りの商品の、検品と品出しを終えた俺は、バフマシーンで店内を掃除したり、立ち読みで荒らされた本を並べなおしたり、トイレの掃除をしたりと、叱られてささくれた気分を紛らわせるべく、必死に働いた。
DATE : H27.1.19
TIME : 06:12
STID : *UNKNOWN*
「お疲れ、礼雄っち。 今日もやられたね」
「はは…。 まぁ、自分が悪いから、仕方ないし」
今日の深夜勤務、メンバーは店長、俺(研修中)、小野田さん(研修中)の3人シフトが終了し、俺は店の外に出て大きく延びをしながら、太陽が顔を覗かせる直前の、薄明るい空を眺めていた。
何で夜勤明けだと「俺、超働いたぜ、マジ働いてやったぜ」感がハンパないんだろう。
「しかし、夜勤は結構疲れるよね」
「でも、私は好きかなー。 時給高いし、お客さん少ないから楽じゃん」
そりゃ貴女はレジしかしてないからそう思うでしょうよ。
「でもね、アタシ店長から重宝されてるよ? レジに立ったら客が増える、って言われてるしぃ」
小野田さんの見た目はド金髪にネイルバリバリのヤンキーガールだが、意外なことに結構気さくで案外優しい。
そして、悔しいことに美人だ。
俺にもわりと話しかけてきてくれるので、ヤンキーなのにうっかり惚れてしまいそうになる。
実際今も、速攻でチャリに乗って帰れるのだが、俺も小野田さんも、何故かチャリを押しながら歩きで談笑している。
「だよね、小野田さん目当てで買い物に来る人居そうだもんね」
「だろー? 礼雄っちもそう思うだろ?」
ま、確かに美人の女性がレジに居た方がいいけど、それだけでコンビニの客増えるかな。
単に店長が口説こうとしてるだけなんじゃないのか?
と思ったが、流石にそういう本音は口に出さない。
「うん、小野田さんって凄くモテそうな感じだしさ」
むしろ、ちょっとしたリップサービス。
「女性はとにかく褒めなくちゃダメよ」と、昔からあかり姉に徹底的に躾られているからな。
「えー、何言ってんだよ礼雄っち、モテるとかそんな事ないよぉー」
小野田さんも口ではそんな事ない、と言いながら表情はしっかり嬉しそうだ。 女性って訳分からんよなぁ。
「ところでさ、前から聞いてみたかったんだけど、礼雄っちって、オタクなの?」
気さくすぎるにもほどがあるというか、ど真ん中直球160kmの攻撃に、俺は思わず悶絶しかけた。
「お、オタクって…何で?」
「タイトがそんな事言ってたから。 ケータイでゲームのサイトばかり見てる、って」
タイト…泰人。
保科の奴、案外人の事を良く見てるじゃねーか。
っていうか、俺があまり他人に気を払わなさすぎるのか。
「ゲームオタクならさ、『還魂のリヴァイアサン』知ってるだろ?」
「一応は知ってるけど」
俺、なんか既にオタク認定されてるー!?
「じゃ、一緒にプレイしない? あと一人メンツが足りなくてさぁ」
「…メンツが足りない?」
「4人で冒険できるんだけど、数が多い方が有利なんだよ。 今3人だから、あと一人欲しいんだ」
これは…悩ましい申し出だ。
まさかの女性からの逆ナンパ、しかもゲームのお誘いとあっては、非常に心惹かれるが、残り2人のメンツが誰なのか非常に気になる。
屈強なヤンキー2人とタバコの煙に囲まれて、ガッハハハと笑いながらプレイする絵をイメージしてみたら…。
正直、萎えた。
「いや、大学の試験が近づいてるからさ、ちょっと遠慮しとくよ」
「これ、スゲェハマるよ? 課金すればすぐ強くなるし、相手を倒したって感覚がタマんないし」
全然聞いてないし。
っていうか、今の話、ちょっと気になる部分があった。
「…相手を倒した?」
「そうそう、これ相手と無差別にバトれんの。 その戦いがリアルでね、ガチで相手と戦ってるみたいで、うっかりハマっちゃう」
「それって、モンスターと戦うゲームじゃないの?」
「人と戦う方が楽しいし」
…人数が足りない。
…対人戦闘。
かなり、嫌な予感がする。
「ごめん、やっぱ人と争うゲームは苦手だから、止めとくよ」
「えー、やろうよ、面白いよ? それに、このゲームを最初にクリアしたプレイヤーには、1000万円の賞金が出るんだって」
「…1000万円ッ!?」
思わず、声が裏返ってしまった。
「うん、1000万円」
「…マジで?」
「ネットで専らの噂。 だから最近異常に流行ってるんだよ。 ねぇ、ヤろうよ」
「いや、ヤめとく、ごめんね」
だが、俺は反射的にそう返してしまった。
ネットの噂ほどアテにならないものはない。
そもそも、賞金1000万円とか、嘘臭いにもほどがある。
仮にそういう話が本当にあったにせよ、それは何かの集団詐欺に違いない…と直感したのがその理由だ。
「何だよー、せっかく礼雄っちなら戦力になると思ったんだけどな」
「ごめんね小野田さん、試験あるから。 でも誘ってくれて、ありがとう」
「ああ、4人目見つかる前に考え直せよ? 時間はあんまりねーからな? じゃなー」
そう言うと、小野田さんはチャリに飛び乗って、「バイバーイ」と言って去ってしまった。
今までの進行方向とは逆に走り去ったのを見ると、どうも俺をスカウトしたくて一緒に付いてきてくれたらしい。
龍真の件といい、最近モテモテだな、俺。
「…ふう」
ただ…。
あの1000万円の話が本当なのなら、と思わなくはなかった。
それがあれば、今の人生を劇的に変えられる。
野球選手とかだったら、年棒1千万とか1億とかよく聞く。
その途方もない金額が、その選手の才能と努力のの対価というのは誰も異論はなかろうが、俺に1000万円をゲットできる才能と努力したものが何かあるのか、と言われれば、それはネトゲくらいしかないな、と思ったからだ。
ネトゲなら…1000万円は無理でも、良いところまではイケそうな気がする、とも思ったのだ。
「…アホか俺」
だけど、ゲームしてお金が貰えるはずもない。
俺はそんな未練を振り払うべく、朝の冷たい空気の中、チャリをこぎ出す。
昼からの授業に向け、仮眠を取るべく下宿へと戻る事にした。
<続く>