(46)桐嶋天麒
「還魂のリヴァイアサン」は、プレイを阻害しないようにと、アプリ起動中は全通信回線をサーバーに接続しており、その間、他者からの電話・メールの通信を一切受け付けないように設定されている、と聞いた事がある。
それは事実らしく、ゲームをログアウトした途端、俺のスマートタブレットがいきなり鳴り出した。
不在着信を示すアイコンが、同時に幾つも表示される。
どうやら相手は、5~10分おきに電話を掛けてきていたらしい。
その電話の相手の名前は「桐嶋 天麒」。
「…え? 何で、お前が?」
思わず、俺はそんな事を呟く。
何かあったのか?
何でお前が、このタイミングで電話してくるんだ?
「兄貴…」
俺は恐々と、電話を取る。
「礼雄か! 今どこだ! 何で電話に出なかった!」
電話に出るやいなや、大声が俺の耳に飛び込んで来る。
それは、俺がこの世で、最も苦手とする人間の声だった。
「桐島天麒」。
6歳年上の兄で、背が高く、優しくて人気のある優等生だったという。
だがそれは俺の知る限り外面だけの話で、中身は非常に高圧的で冷酷。
劣等生だった俺は、小さい頃からボロカスに押さえつけられていた。
そのムカつく声に、思わず顔をしかめつつ俺は答える。
「友達の所だよ、試験勉強してたんだ…」
そう嘘を付いた。
「嘘を付くな! 今、あかりちゃんから電話があったぞ! 一体、いつまであの娘に心配させる気なんだ!」
…!?
「いや、本当に勉強しに行ってたんだよ! 嘘とか付いて、どうするんだって言うんだよ!」
いきなり嘘と決めつけられ、俺はイラッとしてそう返事する。
「…あのな、礼雄。 いい加減にしろ。 あかりちゃんがお前に用事があって部屋を覗いたら、鍵は開けっ放し、部屋には教科書もノートも放りっぱなしだったそうだぞ。 勉強? また前みたいに、ゲームセンターでゲームのお勉強か?」
しまった…!
龍真から急に呼び出されて、片づけないまま出かけた後を、あかり姉に見られてたのか…!
「本当に、勉強してたんだって…! 友達が、ノート貸してくれるって言うから、すぐ来いって…!」
「ノートを借りるだけにしては、随分長い時間、外出してるようじゃないか」
「(ぐ…!)」
くそ、相変わらず頭の回転が早い奴…!
でも、どんなブラフをかけようと、ブラジルに居る兄貴には、俺の行動の裏なんて取れるワケがない。
このままシラを切り通してやる。
「だから勉強してたから、って言っただろ! ノート借りて丸写しするワケにもいかねーだろ!」
「ノート、丸写し、ねぇ」
はぁ、というため息が、電話の向こうから聞こえた。
「相変わらず、程度が低いな、お前は」
「…何が言いたいんだよ、兄貴」
「あのな、礼雄」
「…ああ、何だよ」
「親父がまた、倒れたぞ」
その予想外の一言を聞いて、俺は一瞬、頭を殴られたようなショックを受けた。
脳梗塞…再発したのか!?
「また…って、いつだよ! 何で教えてくれなかったんだ!?」
「3日前だ。 親父からは、お前には教えるな、と言われたから、伝えなかっただけだ」
「何で…だよ!?」
「お前の大学の試験が近いからだと。 昔からだが、親父はつくづくお前には甘いよ」
「じゃあ、親父は…今は大丈夫なのか」
「ああ、危機は脱して、今は小康状態だ。 またリハビリして…今度は長くかかるだろうな…」
という事は、兄貴の奴、今はブラジルじゃなくて、実家に居るのか?
「ああ、休暇を貰って実家に居る。 で、親父の右半身には、完全に麻痺が残った。 前は社長の温情で再就職できたが、もう無理だろうな」
「…」
「何で黙ってる?」
…え、何を言わせたいんだよ。
「俺の言ってる事が分からないか? だから、もう、お前に送金はできない、って事だ」
送金、できない。
…え?
俺の大学生活…これで、終わり?
マジで?
これから頑張ろう…って思ってたのに?
「そうなるな」
「ちょっと…待ってくれよ、いきなり、そんな…」
「それと、お前の通帳を見せて貰った。 学費として40万振り込んでた分、もう20万以上も使ってるじゃないか! どういう事だ!? 何かまた、変な物でも買ってるんじゃないだろうな!?」
「…兄貴、お前、何で人の通帳を勝手に見てんだよ!」
「俺には、家の長として、その責務があるからだ! お前、親父や母さん、芹菜が、どれだけ心配しているのか、分かっているのか!?」
それは、圧倒的な説得力を持つ喝破だった。
俺は、もう、抗弁する気力すら失せていた。
「それで、お前、20万も何に使ったんだ」
「…」
鶴羽先輩に懇願されて、貸しただけなのだが…。
何を言っても無駄だろうな、これは…。
俺自身、鶴羽先輩が20万を何に使ったのか、正確に知らないワケだし、言った所で、危機感が足りないとか、他人のことに構ってる場合か、とか言われるだけだ。
「…言えないのか。 どうせ、くだらないゲームやマンガに使い込んだんだろ? 親父はああ言ったが、やはり、お前は俺の思ったとおり、更正できなかったな」
「…」
「礼雄」
「…何だよ」
「もう、こっちに戻ってこい。 俺たちの目の届く所に就職しろ。 そうすれば、皆安心できる」
…な?
何言ってんだ、こいつ…?
「何言ってんだ、兄貴! 人の人生、勝手に決めてんじゃねえぞ! 自分は勝手に家を出て夢を追いかけたくせに、俺は人を安心させるためだけに実家に戻るなんて、まっぴらゴメンだからな!」
だがそう反論したら、
「ふざけるなっ!」
と大音量で一喝された。
「お前程度が、簡単に人を語るな! 総合商社に入社することすら、どれだけ大変かも想像できないくせに!」
「…!」
これがコイツの最大に嫌な所だ。
兄貴は大学を卒業後、地元に就職という両親の希望を一蹴し、自分の可能性を試したいと、勝手に総合商社…四菱商事に挑戦、だが合格した。
俺は四菱がどれだけ凄い会社なのかは知らないが、とにかく給料が良いらしく、内定の報を聞いて、親父は兄貴の進路をあっさり認めた。
入社3ヶ月後に、兄貴がブラジルに行くことになっても、「頑張れ、くじけるんじゃないぞ!」と涙混じりの笑顔で送り出したほどだ。
当時、高校生だった俺は「うはwwwブラジルwww左遷乙www」とか調子こいて煽って、親父と兄貴にこっぴどく叱られた覚えがある。
何でも、ブリスクとか言って、これから経済的に発展が見込まれるから、今のうちに現地に基盤を築け…とか、無茶な事を上司に言われたらしい。
だが兄貴は、それにも耐えて成功し、現地法人と言うのか、とにかく何かの支店を開く事が出来たらしい。
それがどれだけ凄い事かは知らないが、とにかくその成功を鼻にかけまくって、とにかく四菱四菱と、企業のネームバリューを盾にして説教してくるウゼェ奴なのだ。
「あのな、礼雄…。 俺はな、小さい頃からお前を見てきた。 お前は、怠惰で、頑固で、狭量で、しかも協調性がない。 そんな奴は、社会では到底やっていけない」
「お前みたいな社畜が社会を語るなよ! そもそも、お前が社会の全部を知ってるっていうのかよ!」
俺は怒りに任せて煽ったが、兄貴は冷静だった。
「少なくとも、お前よりは知ってるよ」
「だから、どうしたってんだよ!」
「礼雄。 お前は、俊郎叔父さんの所で働け。 あの人なら、お前を小さい頃からよく知ってるから、お前がどんなヘマしても、辛抱強く見てくれるぞ」
「冗談言うな! あんな単純作業ばっか、やってられっかよ!」
「叔父さんの事を軽く言うな! あの仕事が、どれだけの技術に裏打ちされているのか、お前に分かるのか!」
「…もういい。 うるせぇよ、お前」
我知らず、涙が出てきた。
分かるのか分かるのか、って、分かってるワケねーだろ。
社会に出る前に分かってたらスゲーよ。
天才かよ。 社畜の天才かよ。
むしろ分からないから、挑戦するんだろうが…!
「じゃあ、お前は、夢を叶える前に、何か努力をしたのか? 違うだ」
俺は怒りのあまり、そこで電話を切った。
だがすぐに、兄貴の奴はリダイヤルしてきやがった。
「とにかくだ。 あかりちゃんには、次の試験の、お前の成績を送ってもらうよう頼んである。 それが悪いと俺が判断したら、お前を退学させるからな」
「兄貴…! お前…!」
「勘違いするなよ。 親父がお前にやったチャンスまで、無碍にする気はない、って言ってるんだ。 本当なら、今すぐに家に戻ってこさせる所なんだからな」
俺はもう、何も言う気がしなかった。
「親父に悪いと思ってるなら…お前の本気、出してみせろ」
「…うるせぇよっ!」
俺は再度そう怒鳴り捨て、電話を切り、携帯の電源までをも切った。
「(…勝ち組のお前にゃ、俺の気持ちなんて分かりっこないだろ! そんなに良い職場に就職すんのが偉い事なのかよ! 金さぇ…。 金さえあれば何でも良いんだろうが!)」
「畜生…! 畜生畜生畜生ッッ!」
俺は軽食コーナーの机を、力任せに何度も叩く。
残ったおでんが汁と共に飛び散って、上着にかかる。
上着を通して染みるその汁は、氷のように冷えきっていた。
<「幕間劇(1):株式会社カプリコン開発室」に続く>




