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(95)昏き魂の放浪

 俺が砂場で暴れていると、近くでパトカーのサイレンの音がした。


 ……なんだ? 近くで何かあったのか?


 と思ったら、警官2人が公園の中に入ってきた。

 そして、俺の方に足早に近寄ってきた。


「君! こんな所で何をやってるんだ!?」


 若い警官が、厳しい口調で俺に詰問する。


「身分証は? 運転免許証は持たないかね?」


 こっちは多少太った、年輩の警官。

 二人に囲まれて、俺はようやく我に返った。


「え、俺……?」


 これ、職務質問、か?


 やっと事情が飲み込め、そう返事すると、二人は「この通報の原因が、君以外の誰なんだ」と言いたげな顔をした。


「とにかく話を聞かせてくれ」


 と言われ、俺は公園の隅にあるベンチまで連れて行かれた。


「コーヒーでもどうだい?」

「あ、どうも、ありがとうございます」


 年輩の警官から渡された缶コーヒーは、凄く暖かかった。

 勧められるがまま、プルタブを開けて飲む。

 甘い。 なんか凄い美味しい。


「おい、そろそろ何があったのか言いなさい」

「待て、桜井。 彼が落ち着くのを待とうじゃないか」


 そうか……。

 そうだよな。


 俺、通報されたんだよな。

 あんな奇声上げてたら、そりゃ通報されるだろう。

 喧嘩とか何かと思われたのかな……。


「黙ってないで、何をしていたか言ったらどうだ!」

「桜井、そう焦るな。 ……君、名前は?」


 やたら短気な若い警官の代わりに、年輩の警官がやんわりと聞いてくる。


「礼雄。 桐嶋、礼雄って言います……」

「キリシマ、レオ……。 キリは桐箪笥のキリ? シマは普通に島かな?」

「あ、キリはそうです。 シマは山へんがつく方の嶋」

「はいはい、桐嶋……と。 レオはどう書くの?」


 と、俺の事をさらさらとメモに取っていく。

 俺は自分の名前と住所、宇園大学生である事などを、誘導されるがままに喋る。


「それで、君はこんな時間に、ここで何をしてたんだい? 教えてくれるかな?」


 俺は少し逡巡したが……。


「奪われたんです」

「……何をだい?」

「全部、奪われたんです、俺……」

「奪われたって、何をだ!?」


 そこで、さっきの桜井という若い警官が話に割り込んできて、またも年輩の警官に制止された。


 金を……、と言おうとして俺は思い止まる。

 それは、正確な表現じゃない。

 

 俺は、偽りのない正直な気持ちで、答えた。


「人生を。 ……俺の未来を、です」


 だが、俺がそう返事すると、警官二人の表情から、凛とした気合いがみるみる消えていくのが分かった。

 この騒ぎが事件性のあるものじゃない、と今になって分かったようだった。


「何だ、未来を失った……って、就職にでも失敗したのか?」

「それとも、彼女にフラれたとかかい?」


 事実、そうと分かってから、急に二人の態度は軟化し、質問も相当に砕けた感じになった。


「……そんな風に見えるんですか!?」


 だが、俺はその態度に、猛烈にイラッとした。

 これがそんな風に軽く見えるのか?


 俺が言葉に怒気を込めると、


「ああ、ごめんごめん。 補導で君みたいなのは結構見てきたからね」

「すまないね、それで、何があったんだい? 良かったら、話してくれないか? 力になれるかどうかはともかく、気分は軽くなるかもしれないよ」


 二人はあっさりと引き下がった。

 俺は何と言おうか、しばらく考えていたが、


「試験に失敗して……実家に帰らなくちゃいけなくなったんです」


 微妙な嘘をついた。

 本当なら「還魂のリヴァイアサン」の事も併せて喋るべきだったんだろうが、何故か俺は、その顛末を喋る気にはなれなかった。


 二人は、「何だよやっぱそれか」的な表情を一瞬浮かべたが、すぐに態度を正すと「でも、それであれだけ荒れるって、よほど思い詰めていたんだね」と続けてきた。


「ええ、そりゃそうですよ!」


 だが、そこで、年輩の警官が、思わぬ一言を告げてきた。


「でもなぁ、そこまで思い詰めない方が良いよ、いくら試験に失敗したと言えどね」

「……え? いや、俺は……」


 いや、俺は今さっき、全てを失ったと言ったはずなんだが。


「たった一回の失敗で、人生がどうにかなるわけじゃない。 また頑張れば良いんだよ」


 大学の試験は、ほぼ一発勝負。

 しかも、ある意味人生の出来と直結してるんだぞ。

 こいつ、高卒か? その意味を分かってるのか?


「冷静になったら、下宿に戻りなさい。 気をつけてな」


 時間の無駄と思ったのか、若い警官の方も、早々に話を切り上げようとする。


 その態度を見て、俺の気持ちは急速に冷めていった。


 ……なんだ?

 俺の人生って、こいつらにとっては、こんなもんなのか?

 こんな軽い扱いをされるもんなのか?


 一瞬、目の前の光景が怒りで歪んだ。


「え、ええ……。 分かりました……」


 でもこれ以上、こいつらと話す理由は何もない。

 俺は言葉だけは素直に従い、パトカーが去ったのを見届けてから、公園を去った。



 ……そうだよな。

 実際は、社会に適応できない奴が、人に勝てないのを悟って、親元で暮らすことになるだけの話だもんな……。


 そんな、くだらない奴の話とか……。


 本当、どうでもいいよな……。



さみぃ……」


 夜気が冷たい。

 上着を着ていないのもあるが、とにかく、空しかった。

 惨めだった。

 その気持ちが、俺の心身をとことんまで冷え切らせた。


 もう、今の俺には何もない。

 俺の未来には、幸福の二文字は、ない。


 どんなに俺の未来を輝かしく想像しようと、俊郎叔父さんの工場での生活には、希望は持てなかった。

 なんせ、工場長の俊郎叔父さん自体、結婚もせず、還暦直前までずっと貧乏を続けているのだ。

 そして、従業員もみなそんな感じ……。


 きっと……一人暮らしのアパートで、コンビニ弁当を食べながら、スマートタブレットの匿名コミュニティで毒づく日々が、俺の未来となるんだろう。


 食事と排泄と労働だけの日々。


 それこそが、俺の未来。


 そんな未来しかないと分かれば……今ここで、生きている事に、何の意味があるんだろう?


 俺は死に迷う誘蛾の如く、ふらつく足取りで、灯りの点る夜の町をさまよった。

 この光のどこかに、俺の希望があるような……。

 そんなはずはないのに、そんな気がして、さまよった。


「……」



 いつしか、俺の足は、バイトしていたあのコンビニへと向いていた。

 特別な理由はなく、ただ、俺の知っている道を考えなしにずっと歩いていたら、ここにもたどり着いただけの話だ。


「……」


 俺は、バイト連中に見つからないよう、コンビニを大きく迂回しつつ、遠くから中を眺めてみた。


「……保科」


 すると、今、シフトに入っていたのは、保科と小野田さんだった。

 楽しそうに、二人で笑っている。


 その笑顔を見て、俺の中に猛烈な怒気が湧き上がった。


 ……その笑いは何だよ。

 さっき、イベントで俺を倒した事を喜んでいるのか。

 それとも、俺が晒した、無惨な姿を笑っているのかよ!


 背骨を貫く、破壊的な怒りに突き動かされ、俺は衝動的に武器になりそうなものを探した。


 ……許せねぇ!!

 他人ひとの人生をブチ壊しにして、そんな楽しいか!!

 お前等まで、道連れにしてやろうか!!


 鉄パイプみたいな、威力のあるもの……。

 保科の頭を一撃でカチ割って殺せるような、強力な武器。


「(……畜生、ない!)」


 だが、そんな凶器が都合よく見つかるはずもない。

 近くの工事現場まで戻らないと、そんなのは手に入らないだろう。

 そこまで行くか?


 と思って、コンビニの中を再び見たところ……


「(……え?)」


 目の前に飛び込んできた光景の内容が信じられず、俺は固まった。


 コンビニの中には誰もいないのか、保科と小野田さんは、二人、店内で抱き合っていたのだ。


「(バイト中だろうが、お前等……)」


 そして、二人はお互いを見つめあうと、キスをした。

 しかも簡単に顔を離すことなく、互いの背に腕を回しつつ、互いの唇を貪りあうように何度も求めていた。


「(……)」


 やがて、保科の手は小野田さんの胸に延び……制服の上から、ゆっくり大きく揉みはじめた。


 でも、小野田さんの顔に嫌悪の表情はまるでなく、むしろ嬉しそうに胸を揉まれていた。

 あろうことか、胸を揉む保科の手の上に、自分の手を添えまでしたのだ。


 そして保科は、小野田さんの手を取ると、自分の下半身に持っていって……

 


「うおおおおおおおおお!!!」


 俺はその先を見ていられなかった。


「ああ、うおお、あああああっ!!!」


 駆けだして、叫んだ。



 何で!!


 何で、何で、何で!!


 この世界は、悪い奴の方が……!!


 良い思いをするように出来てるんだよッ!!!


 何でだよーーーッ!!!!



「あああああああっっーーーーーっ!!」


 俺は、叫びながら走った。



 俺はダメなのかよ!!


 幸せに生きることすら、許されないのかよ!!!



 涙を流しながら、走った。



「うおおおおおおおおーーーーっ!!」

「はぁ、あああ、あああああーーーーっ!!」

「ああああん……んがあぁぁぁあああーーーっ!!」


 嗚咽しながら、それでも叫び続け、走り続けた。



 そして……。

 気づけば俺は、琴莉さんが入院している病院までたどり着いていた。


「(……琴莉さん!!)」


 彼女の顔を思い出した途端、猛烈に彼女に逢いたくなった。 意識不明だろうけど、それでも逢いたかった。


 時間はとっくに深夜過ぎ、扉も当然施錠されていた。

 だが俺は、扉に手をかけ、それを無理矢理に乗り越え、病院の裏手にたどり着いて、なんとか中に入ろうとしていた所……。


「そこで何してる、お前!!」


 俺に向けられた懐中電灯の光。

 病院の警備員が、俺を見つけたのだ。


「え……あ、お見舞いを……」

「早く警察を呼べ! 不審者だッ! 110番ッ!」

 


  *    *



「本当にすいません、ご迷惑をおかけして……」

「いや、まさか、こんな行動に及ぶとは思いませんでしたよ……。 彼、不安定みたいですから、十分に気をつけて観察してあげて下さい」

「はい。 申し訳ありませんでした……」


 深夜1時、俺は警察のパトカーに乗せられて、下宿に連れ戻された。


 小夜子叔母さんとあかり姉がパジャマ姿のまま驚いて出てきたが、警官の説明では、俺は「試験の失敗で傷心のあまり、恋人の顔を見たくなって病院に忍び込もうとした」という事になっていた。


 普通なら、こんな温情措置で済むはずはないのだろうが、不幸中の幸いと言うべきなのか、病院で俺を捕まえた警官は、偶然にも公園で俺を諭したあの二人だったのだ。


「れ、礼雄に恋人、ですか……?」


 小夜子叔母さんとあかり姉が寝耳に水、と言った表情で、警官から説明を受けた。


「ええ、そういう事を言ってましたからね。 まぁ間違いないでしょう。 試験に失敗した事に加え、彼女と別れるとなれば、辛さのあまり、思い詰めた行動に走ったんじゃないかと」


「は、はぁ……」


「とにかく、彼をよく見ててあげて下さいね」


「え、ええ、分かりました……」



 砂まみれだった俺は、シャワーを浴びる。

 お湯の温かさで、冷えきった体に体温が戻ってきたような気がした。

 少し、また涙が出た。


「礼雄」


 風呂場から出てきたら、あかり姉が居た。

 その表情は堅く、俺を真っ直ぐに見据えていた。


「あかり姉……」

「礼雄。 天麒くんには電話、してないよ」

「え……?」

「私、部外者なんでしょ? 確かに礼雄の言うとおり、家族の事に他人が入り込むのって、おかしいもんね」

「ご、ごめん、あかり姉……! それは、俺が悪かったよ、言い過ぎた……! 本当、ごめん!」

「良いよ、今は。 礼雄が傷ついてるのに気づかなくて、無神経な事言った私も悪いから」


 そこで、あかり姉の目から、一滴の涙がこぼれた。

 声も少し、震えていた。


「でもね、皆心配してるんだよ、礼雄のこと。 本当に」

「あかり姉……。 ごめん。 本当にごめん」

「本当は、もっと言いたい事あるんだけど……。 礼雄、もう、今日は休もう? きっと、疲れきってると思うから」

「……ごめん」


 あかり姉は、自ら話を切り、自分の部屋に戻るね、と言った。


「お休み、礼雄。 ゆっくり休んでね。 ……あ、そうだ」

「お休み……。 何、あかり姉?」


「ね、礼雄は、本当にゲーム止めてるんだよね? ちゃんと、あの時、約束したもんね?」


 それを言われ、俺は内心で固まったが、


「あ、ああ、もちろんさ」


 そう嘘を付いた。

 でも、その嘘はきっと露見しないだろう。

 もう俺は、「リヴァイアサン」をプレイしない……いや、できないだろうから。


「ゲームなんて、してないよ」


 もう、プレイしても……勝つことなんて、できないだろうから。


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