再会
そのまま、伸び盛りの濃い緑が揺れる夏の田畑の中を走ることしばらく。とりあえず舗装されていた道が急に途絶え、土がむき出しになった未舗装の道が現れる。ゆっくり進むだけで軽くバウンドするそのでこぼこ道を慎重にアクセルを踏みつつ抜ければ、その奥に玉砂利の敷き詰められた駐車場が現れる。その駐車場も俺がそれと知っているからそう思うだけで、きっとひよりには広めの空き地くらいにしか見えていないのだろうが。
ジャリジャリとタイヤで玉砂利を踏みにじりながら車をゆっくりと駐車場に停車させエンジンを切ると、待ってましたと言わんばかりにひよりがいそいそとシートベルトを外して車から降りる。そして、車の扉を閉めるのも忘れたように、辺りの光景に見入っていた。
ま、そりゃそうだよな。
見渡せば360度切り立つように迫る山、山、山。この村は完全に急峻な山々に囲まれた中にある僅かな盆地なのだ。それ以外に見えるのは俺たちが今やってきた道と、その向こうに見える山間の寒村の風景、そして目の前に立ちはだかる崖と見紛う山の急斜面を駆け上がるように伸びる長い石階段だけ。
「く、鞍馬。鞍馬の実家って、もしかして…」
ぽかんとした間抜け面で石段の上を見るひよりに問われて、俺は頷く。
「そ、この上」
「ちょっ!?何段あるのよ!!」
「200段」
「にひゃ!?」
驚きのあまり声を上げるひよりを見て、この帰郷に於いてずっと主導権を握られてきた俺はようやく少しだけ、胸のすくような思いをすることができた。
「ま、上で気長に待っててやるよ」
最低限の荷物を詰めたリュックを肩にかけて、大きなキャリーケースを手に途方に暮れたような顔をするひよりの横を素通りする。ひよりはしばらく手を口にあてて躊躇しているようだったが、すぐに思い切ったようにその細腕でキャリーケースを持ち上げ、俺の後について石段を登りはじめた。
ああ、こういうやつだよな、ひよりは。
俺は目を細めて、少し考えてから、ひよりの手からキャリーケースを奪い取った。
「あひゃ!?」
急に軽くなった体にとまどったような色気のない悲鳴をあげるひより。そして、俺を見上げる。
「鞍馬?」
「ま、お前も一応女だしな」
なるべく素っ気なくなるように気をつけて、俺はそういうとひよりのキャリーケースを肩に掛ける。
「…一応って何よ!そんなこと言う奴は荷物持ちの刑ね!」
一瞬何か言うのを我慢したように口を噤んだひよりだったが、すぐにぷくっと頬を膨らませて照れ隠しのように俺にびしりとそう言いつけ、ずんずんと石段を登っていく。その小さな背中を見つめて俺はくすりと軽く笑うと、思ったよりもずしりと重いキャリーケースを一度揺すり上げて、ひよりの背中を追って再度石段を上がり始めた。
「…ねぇ」
「…ん?」
ひよりのキャリーケースを運び上げる分、遅くなった俺の速度に合わせるようにゆっくりとひよりは数段先で声を上げた。
「この石段の上にあるの、鳥居だよね?」
「ああ」
確かに、階段の上には古い鳥居が建っている。
「鞍馬の家って神社か何かなの?」
「んあ?…ああ話してなかったっけか?」
「聞いてないわ」
俺には当たり前のことすぎて気づかなかったが、そうか、ひよりには話してなかったか。なるべく東京ではここのことを思い出さないようにしていたから尚更だ。
「両親が小さい頃に死んだのは話したっけな?その後、俺と姉貴を引き取って育ててくれたのがこの神社の神主一家だったんだよ」
「へえ、そうなんだ…」
小さく首を傾げて生ぬるい相づちをうったひよりは、残り少なくなった石段を跳ねるようにして先行し、登り切ってしまう。疲れからか、はあと大きく息を吐いて肩を落としたひよりは、次の瞬間はたと何かに気づいたようにそこで動きを止めた。
「ひより?」
訝しんだ俺は、重いキャリーケースをもう一度揺すり上げると、足早に残りの石段を登り詰めた。
そして、俺も小さく体を揺らして言葉を無くす。
鳥居の下、俺たちの数歩先に、神職の着る白い袴姿があった。
徒に吹いた風が着物と髪を柔らかに揺らし、それを抑えるように白い頬に手が添えられる。
細められた目が優しげに俺を見つめ、そして仄かに紅い色を示した唇がほころんだ。
「おかえり、鞍馬」
柔らかい耳触りの声が、俺の名を呼び、そして。
ふわりと甘い匂いと共に俺の体は抱きすくめられていた。
どさり、と俺の肩からひよりのキャリーケースが滑り落ちる音がした。