奴隷 その三
馬車の周囲には割れた壷が散乱している。その破片から、切り口が鋭くないものを選んだ。
それを器として乳と蜜を入れ、ダオメに飲ませる。しばらくすると、ダオメの肉体は徐々に精気をとりもどしていった。
しかし、わざわざ手間をかけて一杯ずつ飲ませるのも面倒だ。俺は立ち上がり、どうやって枷を解こうかと考えた。
ダオメの手首と鎖を繋いでいる枷は、肌にふれているところは革製だが、上から金属線を巻いている。かなり頑丈そうで、これから壊すのは手間がかかりそうだ。枷から伸びている鎖の先を見ると、途中で、馬車の骨組みに革紐で堅く結ばれている。
俺は木箱を壊して釘を取り出し、革紐を削るように切ろうとした。しかし細い革の表面で釘は滑るばかりで、うまくいかない。
悪戦苦闘している俺の横で、乳を吸いながらダオメがいった。
「わたしが、わるものと、思わなかったか?」
「はあ?」
「もし、わたしがわることをして、しばられていたなら、助けるの、よくない」
「本当に悪者なら、そういうこといわないだろ」
それに満身創痍の姿を見れば、いくら筋肉のもりあがった大男でも、さほど怖くはない。俺には仮面の力がある。
しかし、ダオメがしばられていた理由は、確かに気になっていた。盗賊に襲われた被害者だとしても、返り討ちにあった盗賊だとしても、生きたまま一人だけ鎖でしばられることになった経緯が想像できない。どちらにしても生かしておく理由はないし、罰だとしても鎖でしばるという手間をかける意味がない。
俺は革紐に釘で複数の穴を開けた。そして二枚重ねの仮面をかぶり、革紐を引きちぎった。革紐でつないであった鎖が地面に落ち、音をたてた。
ダメオは座ったまま、手首の枷をいじっている。枷には長く重い鎖がついたままだが、腕を引っぱられ続けることに比べれば、楽になったろう。その枷は、どのように外すべきか。やはり釘で根気強く壊していくしかないか。
そんなダオメを、俺は仮面をつけたまま見下ろす。短く刈られた頭髪は乱れ、血がこびりついている。しかし、なかなか精悍な顔立ちで、どこか風格のようなものも感じられた。
「あんた、ダオメといったな。どのような立場なのか、あらためて聞こうか」
手首をさすっていたダオメが、ゆっくり俺を見上げて、たどたどしく答えた。
「わたし、ホリョ」
「捕虜とは、何か戦争で負けたのか。この馬車は商売に使っているもののようだし、たぶん奴隷だろうと思っていたが」
ダオメが苦しげに目を閉じ、顔をそむけた
そうか、きっと捕虜にされた後、奴隷として酷使されているのだ。捕虜とだけ答えたのは、ダオメの持っている誇りのためだろう。
「……捕虜というだけでは、そんな姿で鎖でしばられていた理由にはならないだろ。じわじわと殺す処刑方法なのか? それとも、生きたまま置いておく、特別な理由があったのか?」
「わたし、シャンロウの、エサ。つまり、オトリ」
「シャンロウとは何だ?」
「シャンロウ、大きなオオカミ」
ダオメがゆっくりと片手を上げた。鎖がじゃらりと音をたてる。黒い棍棒のような腕は、東の地平線を指した。
見ると、灰色の薄っすらとした影が、地平線上で移動していた。影の形は象に似ていて、北から南へ土煙を上げながら走っている。遠くなので足音こそ聞こえないが、かなり巨大な獣であるらしいことは見てとれた。
「シャンロウ……ひょっとして象のような狼という意味の言葉なのか?」
どこの国の言葉なのか思い出せない。だが、よくよく考えると俺は最初から、どこの言葉か理解しないまま会話している。
ここで、ふと思いついた。ダオメの話がたどたどしいのは、故郷で使っている言葉と、奴隷として使っている言葉が違うためなのか。実際、会話の受け答えからすると、頭の回転は遅くないようだ。
地平線を進む巨獣の鼻は、記憶の象よりも太く、前方にまっすぐ伸びている。足は短く胴は長く、尻尾は太くて長めだ。なるほど、胴体は象より狼に似ている。
仮面の力で勝てるかどうか、少し不安をおぼえた。
「もう、ておくれ……」
そうダオメがつぶやいた。