奴隷 その一
歩きながら空をあおいだ。
幸いにも空は青く澄み切ったままで、小さな雲ひとつ流れていない。落雷の心配はなさそうだ。しかし……
「……いっそのこと、雷ついでに雨が降ってくれたほうが良かったな」
小さな竹筒に入った水は残り少なく、地面の割れ目にたまった水は塩気が強く、喉がかわいてしかたない。
ひとつ溜息をついて、前方へ向き直る。
遠くから少しずつ見えてきたそれは、たしかに車の残骸だった。
木製の車輪は大きくて、直径が俺の身長くらいある。段差がある岩場を動くには、これくらいの大きさが必要なのだろう。前方に突き出た長い棒を見ると、獣に引かせる車らしい。牛車か馬車だろう。
破けた布が骨組みにからみつき、はためいている。遠くから動いて見えたのは、この幌布だったのか。
車の骨組みは、黒く塗装した竹を紐で縛ったり釘で止めたりして、直線を複雑に組み合わせた形状をしている。この丈夫そうな骨組みを壊した力がどれほどのものか、見当もつかない。
しばらく考えて、象という動物を思い出し、次に竜という神獣を思い出した。どちらかは太古に滅びた存在だった気がするが、はっきりとは記憶していない。
その獣が暴れたためか、残骸のまわりに血痕が飛び散っている。大量の血が離れた場所についていることから判断すると、襲われたのが人間だとすれば数人が犠牲になったはずだ。
「そうだ、水……」
馬車の周囲には荷物らしき箱や器が散乱していた。箱の中身はどれも抜き取られているが、いくつかの割れた壷には中身が少し残っていた。密閉した状態で持ち運びできなくなったため、この場に捨てていったらしい。
壷の底に手を入れて、粘った液を指先にとり、鼻を近づける。甘い匂いにさそわれて、口でなめた。これは蜜だ。口の中が甘味でいっぱいになり、あまりの美味に感動しそうになった。
真っ白な液体が底にたまった壷もあった。壷を両手で持ち上げ、すすってみると、蜜ほどではないが甘く、柔らかな味わい。種類はわからないが、獣の乳だ。古くなっていないことから考えて、どうやらこの壷が割れたのは最近のことらしい。
一口、二口、乳を飲むと、ずいぶん渇きが癒えた。
顎にたれた乳を手でぬぐい、それを舐めながら、俺は周囲を見わたした。かすかに獣のようなうなり声が聞こえた気がした。馬車の幌がはためいている向こう側だ。
「誰だ?!」
俺は馬車の残骸を回り込み、息をのんだ。
馬車の骨組みに、赤黒い肉塊が鎖でしばりつけられていた。