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双面のソウセイド  作者: 鹿野介助
第一章 覚醒潮流
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世界 その四

 水の音がうるさくて、俺は目を開けた。

 足もとで、波が寄せては返している。遠くの海では巨大な水の渦が轟いていた。頭上に目をやると、空が赤く照らされていた。二つある月の一つが、今しも丘の向こう側へ隠れようとしている。

 俺は丘の斜面へあおむけに倒れ、空を見上げていた。何が起きたのか思い出そうとすると、頭の奥が痛む。

 体を起こそうとしたが、手足もしびれて、まともに動かない。それでも、なんとか右手をのばし、つけたままだった仮面を外した。とたんに呼吸が楽になり、かわりに疲労が襲ってくる。

 周囲を見わたそうとして、目だけを左右に動かした。すぐ横に、黒い影がある。斜面へ腰をおろしたダオメだ。マントが乾いているところを見ると、俺が気絶してから、かなりの時間がたっているらしい。

「ここまで俺を運んでくれたのか」

 ダオメは黙ってうなずいた。ジュピタと戦っていた場所は、すっかり潮に沈んでいる。倒れていたシャンロウの群れも全て姿を消している。

 ここには俺たち二人だけしか残っていなかった。

「ジュピタはどこへ行った?」

「彼は、すでに丘の向こうへ去った」


 波打ち際で、二人の男が向かいあっていた。

 半裸の上に、幌布で作った粗末なマントをはおった男。刺繍でふちどられた僧服を着て、仮面をかぶった男。

 頑強な肉体へ多くの傷を負った大男と、均整のとれた肉体をもつ美男子。

 素足を波に洗われている者と、革の長靴で大地を踏みしめている者。

 メルキオルとカスパル。

 奴隷と支配者。

 ……対照的な二人は、十歩も離れていない距離で、鉄の鎖を介してつながっている。

「戦争は、もう終わった」

「ええ、カスパルの勝利と、メルキオルの敗北で」

「もう殺さなくてもいいはずだ。命は充分に失われた」

「私たちも同感ですよ、陛下。ですから、私にソウセイドの力を使わせないでください」

「できるか?」

 ダオメの言葉に、ジュピタが首をかしげた。

「ジュピタよ、ずっと私は考えていた。最強の能力に弱点があるのか、あるとすれば何なのか、を……」

 ダオメは周囲へ視線を走らせた。

「なぜシャンロウは全て陸地で倒れているのか。なぜ死湾の中心まで迎えに行かず、岸辺でバルタザルの使者を待っていたのか。なぜ私たちの存在に気づいた時点ではなく、私が鎖を投げた時点でもなく、そこで倒れている青年が陸上で攻撃をしかけるまで、能力を使わなかったのか……」

 仮面に隠されたジュピタの表情は見えない。ただ、興味がなさそうに、自身の腕に巻かれた鎖へ視線をやっている。

「その能力は水に弱い。今の私のように、攻撃したい対象が水中に立っていては、能力が使えない」

 じゃらりとダオメが鎖を引き、よろけるようにジュピタが前へ進んだ。

「陛下……」

 ぽつりとジュピタが声をもらした。

「……その程度の安易な思いつきで、御自身の命を賭そうなどと思わないでください」

 拍手をするような、乾いた音が一度、波打ち際に響いた。

 ダオメの頑強な肉体が、陸に上がった魚のように痙攣したかと思うと、波におそわれた砂山のように崩れ落ちた。

 ジュピタが溜め息をつき、腕に巻かれた鎖を外した。

「陛下、動けるくらいの力に抑えました。早く陸へ上がりませんと……溺れ死にますよ」

 うつぶせで水中に倒れたダオメが、のけぞるようにして顔を空気中へあげ、荒い呼吸をした。そして波打ち際から必死ではいあがろうとする。

 それをじっと見下ろしていたジュピタが、柔らかい声で問いかけた。

「陛下、我々とともに北へ帰っていただけますね?」

 質問の形をした、事実上の命令だった。

「……断る」

 ジュピタの足首を、俺は後ろからつかんだ。

「そいつが帰るところは南の大陸、メルキオルだ」

 ふりかえったジュピタが、仮面の奥から俺を見下ろした。

 俺も地面に倒れたまま、仮面の奥から見返す。

「力を弱くしすぎたか……」

 ぽつりとジュピタがつぶやいたかと思うと、再び乾いた音が鳴った。足首をつかんでいる俺の手に、鈍器で強く叩かれたような痛みが走る。そして手の甲から血が噴き出したかと思うと、空中で赤い塵と化し、風に吹き散らされていった。

「……最強の力とやらも、効かないな」

 強い痛みに仮面の奥で顔をひきつらせた俺だが、今度は気絶せずにすんだ。痛みもジュピタへふれている手の表層でとどまっている。

 どうやら、ジュピタの異能は、何らかの攻撃を相手の体内へ送りこむ力らしい。俺の異能は、使うと血液が塵に変わり、対外へ排出される。その作用でジュピタの攻撃を防ぐことができるようだ。

 だが、そのことをジュピタも理解したらしい。一呼吸したかと思うと、連続で力を送りこんできた。とめどない攻撃に痛めつけられ、俺は叫び声を上げることすらできなかった……


「そんなことがあったのか……全くおぼえてないんだが」

 俺は頭をふった。まだ意識が混濁している。

「彼が去ったのは、君が攻撃を受け続けて、再び気絶した後のことだ。バルタザルからの使者を護衛していたカスパルの兵士が、無事に隊が丘を越えたと報告に来た後だ。今ごろは使者の隊と合流していることだろう」

「俺たちにこだわって時間をつぶすより、使者を護ることを優先したってわけか」

「それだけではない。私はカスパルの法律を持ち出し、戻ることを拒否した。捨てられた奴隷は所有権が放棄されたものとみなされる。私の理屈を兵士は拒否したが、ジュピタは受け入れた」

「ずいぶん都合のいい法律を知っていたんだな」

 俺が探りを入れたことに気づかないのか、ダオメは淡々と答えた。

「カスパルにおいて、私は多くの学問を学ばされた。捕虜となった私は労働を求められず、メルキオルの世界について知るための、生きた資料としてあつかわれたのだ。バルダザルへの使者にくわえられたのも、同様にメルキオルについて語るためだった」

「確認していいか、ダオメ」

 俺は痛みに顔をしかめながら、上半身を起こした。

「あの男のいったことは、カスパルに都合のいい要素ばかり集めた、いってみれば嘘だよな?」

 黒い肌へ縦横に刻まれた傷を思い起こせば、ダオメの意思が尊重されたなどとは考えられない。たとえ裏切ったのだとしても、痛めつけることで選択させたのだろう。

 しかし俺の視線を正面から受け止めながら、ダオメは釈明をしなかった。

「おおむね本当だ。私は負けたし、ダオメを裏切った」

 そしてダオメは苦い笑みを浮かべた。

「彼はたしかに小物だが、正しいと信じることを貫こうとする男でもあるのだ。多くの奴隷にとっては、尊厳とひきかえに安息を与える、優しい主人なのだ」

 そしてダオメはジュピタに助けられた過去を語った。

「かつての戦争で、とあるカスパルの将校が、捕虜にしたメルキオルの戦士を処刑しようとしていたことがあった。与える食糧が無駄になるから、という理由であった。その諸兄をジュピタが押しとどめ、動ける捕虜を解放し、故郷へ帰らせた……最強と呼ばれながら、命を奪うことを嫌っている。私と君が生きていることも、その証だよ。それに、あの獣たちも……」

「シャンロウの群れのことか?」

「そう、ジュピタはシャンロウを殺してはいなかった。ただ気絶させていただけだ。満ちた潮に沈みそうになると、弱った体でふらつきながら起き上がり、群れは遠くへ去っていった」

 ダオメが丘を見上げた。

「私たちも、そろそろ行こうか。ここは冷える」

 たしかに風が冷たかった。

 俺はダオメの肩をかりて、ゆっくりと丘を登った。皮袋に残っていた木の実をわけあい、少しでも腹を満たしながら、赤く染まった斜面を歩いた。


 あれは何度目の攻撃だったろうか。

 いったんジュピタが俺の肉体へ力をそそぐことを止めて、質問してきた。

「そのような異能の使い方では、いつまでも私の力を防ぐことはできない。いかにソウセイドであっても、流れる血には限りがあろう」

「……約束しただろ……ダオメを……俺がメルキオルへ連れていく……と」

 息もたえだえになりながら、俺は体をひねるようにして、ジュピタを見上げた。

 見下ろしているジュピタが、ふいに肩をふるわせた。笑ったのかもしれない。そして視線を西方へ向けた。

 遠くから、馬の駆ける音が聞こえてくる。

「……私の時間にも限りがある。今は、ここで別れることとしよう。さて、君の名前は何だったかな」

「……名前など、無いと……答えた、はずだ」

「ソウセイドは能力にふさわしい名前を持つ。ならば君は、そうだな、その体から生まれる赤い塵……レッドダストとでも名乗るといい」

 ……塵あつかいかよ。

「再会を楽しみにしているよ」

 ジュピタが仮面をとり、くったくのない笑みを見せた。本当に腹が立つほど整った顔立ちの男だった。

 俺の意識は薄れていき、その後にジュピタとダオメが話していたことも、全く聞こえていなかった。


 丘の頂上へ達し、顔を上げた時、俺は息を飲んだ。

 高峰のつらなる山地と、ねじくれた谷間。いくつかの山が細い噴煙をたなびかせている。

 さらに遠くでは平地が見え、巨大な樹木が点在している。その平地を横切っている巨獣は、俺の記憶している知識には存在せず、形からみてシャンロウとはまた違うようだ。

「広いな」

 二つの赤い月で照らされた橙色の世界が、どこまでも続いている。干上がった死湾の、どこまで行っても変わらない風景とは、まったく違う。さまざまな地形や、いろいろな生物が、俺の知識ではとらえきれない広がりをもって存在している。

「ああ、そうだ」

 ダオメがうなずいた。

「本当に広いんだな……」

 目の前に広がる世界を見て、なぜか俺は笑みを浮かべていた。自分の小ささを思い知ったためかもしれない。

「なあ、ダオメ。メルキオルは遠いのか?」

「もちろんだ。メルキオルへ帰りつくには、今ここで見えている風景の、何十倍もの世界を旅しなければいけない」

「そうか。しかし、それでも行けるところまでつきあってやるよ。約束だからな」

 もちろんメルキオルへ行く理由としては、俺自身について知りたいという気持ちが大きい。だが今はそれだけではない。ダオメをメルキオルへ生きて帰らせると、俺はジュピタへ宣言したのだ。最初は話の流れで口にしただけで、ただの意地にすぎないが、取り下げるつもりはない。


 俺はダオメから離れ、よろめきながら、目の前の光景へ手をのばした。

 まったく、本当に広い世界だ。

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