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双面のソウセイド  作者: 鹿野介助
第一章 覚醒潮流
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世界 その二

 ダオメが鼻をひくつかせ、眉をひそめた。

 陸からの風に乗って、肉の焦げた臭いがただよってきた。食欲をそそる香ばしさというより、獣の臭みが強い。先を行くバルタザルの牛車が、水際で調理でもしたかと思った。もちろん、シャンロウの群れが近くにいるのに、のんきに食事をする余裕などなかっただろう。実際、陸地を見ても、炎や煙はもちろん、焼け跡も見あたらない。

 その悪臭のためだろうか、仮面をつけようとした俺は、大きなくしゃみを一つした。飛びちった唾液が水面に落ちて消える。鼻をぬぐって顔を上げると、すでにシャンロウ一頭一頭の毛並みがはっきり見えるくらいまで近づいている。巨獣は赤茶けた斜面へ寝そべったまま、ぴくりとも動かない。

 俺は仮面をつけ、水中の足へ意識を集中させる。血が力強く体内をめぐり、冷えた足先に心地良い熱が生まれた。

 潮の流れはさらに速くなっている。だが陸地に近づいたため、かなり水深は浅くなってきた。ダオメは足が長いので、膝が水面の上へ出ている。俺の膝は水中へ沈んだままだが、それでも太股まで水をかぶっていた時よりは歩きやすい。さらに今は仮面の能力で力が増しており、ほとんど抵抗を感じない。

 俺はダオメより先に陸へ上がろうと、歩みを速めた。シャンロウの眠りがどれくらい深いかを確認し、うまく行きそうであればダオメを呼び、静かに二人で群れをすりぬける。武器の鉄棒は途中で捨ててしまっていて、戦う選択肢はとれない。いや、たとえ捨てていなかったとしても、手に持って叩くか刺すかしかできない武器では、十数頭もの巨獣を相手に戦うには、あまりに心もとない。

 もしシャンロウの眠りが浅くても、俺一人ならば逃げられる自信がある。シャンロウが襲ってくれば俺が囮となって引きつけ、あとはダオメの臨機応変な判断に任せよう、そんなことを二人で決めていた。

 時間をかければ、もっと良い策が浮かんだだろう。しかし、疲労と空腹と体温の低下で、俺たちの体力は落ちる一方だ。残された時間はあまりに少ない。


 そうして俺がゆっくり波をかきわけるように進んでいると、背後のダオメがささやくようにいった。

「……待て」

 ふりかえると、ダオメが口に掌を当てていた。静かに、という身ぶりなのだろう。黒々とした顔から白く浮かび上がる目で、陸地をにらみつけている。

「……何か見えるのか?」

 俺がささやき返すと、ダオメがあいている手で、自身の腰を指した。ホシミの仮面を使えというしぐさだ。

 俺は、今つけている仮面の上に、笑顔の彫られた仮面を重ねた。そしてダオメが見ていた先へ視線を向ける。ホシミの仮面をつけたことで、地面に寝そべっているシャンロウの表情まではっきり見えるようになった。

 陸地でひさしぶりの餌をとって空腹を満たした肉食獣の、安らかに寝ている表情が見えるだろう、という予想は外れた。仮面の覗き穴から見えたシャンロウは、どれも奇妙にねじくれた格好で横たわっている。あおむけで腹や喉を無防備にさらしたり、四肢をのばして腹ばいになったり、舌を出したままぴくりとも動かなかったり。

 数頭のシャンロウが積み重なっているところもあった。その灰色の小山の頂上で、白くはためくものが見えた。シャンロウに襲われた牛車の幌布か。いや、違う……

「人か」

 かなり陸地へ近づいているため、仮面の力ではっきり細部まで見える。下半身こそシャンロウの肉体に隠れているが、ゆったりした白い服で全身を隠して、フードを着けていることは見てとれた。

 その白い服を着た者は、シャンロウの小山に座って、こちらに背中を向けている。丘を越えている牛車を見上げているようだ。

 ダオメが俺の隣にきて、小声で質問してきた。

「どのような者に見える」

「……白い服を着た人間だ。フードをかぶっているので髪型はわからん。座高から考えて、そこそこ背は高そうだが、あんたほどじゃないな。手が黒いが……肌の色ではなく、皮手袋をしているのかもしれん」

「やはり、そうか」

 ダオメが顔をしかめた。

「おそらく、私の知っている者だ。バルタザルからカスパルへ戻ってくる外交の使者を迎えにきたのだろう」

「迎えにって……まさか、あのシャンロウの群れから護りにきたっていうのか」

 軍隊を率いているならわかるが、水際には一人しか見えなかった。

 当惑しながら、俺は再び白服へ目をやった。

 仮面の覗き穴から、白服の男の背中が見える。肩幅から見て、どうやら男らしい。

 その背中が、ふいに動いた。

 のけぞるように首がひねられ、フードの奥にある顔がこちらを向く。

 それは人間の顔をしていない。一対の曲がった角を額から生やし、突き出た鼻先を持つ、牛の首だった。


 俺の隣で、ダオメがつぶやいた。

「そうだ、あの者が私の思っている相手なら……たとえ一人であっても、シャンロウの群れから使者の隊を護るだけの力が充分ある」

 その言葉を聞いて、少し前にダオメがいったことを思い出した。ダオメを奴隷の立場へ落とした、いわば宿敵。

「私の率いた千人の戦士を相手に、勝利した男だ」

 あれが最強のソウセイドというのか。

 牛の仮面をつけた男が、シャンロウの上で立ち上がった。丘から吹きおりた風で、着ている白服がめくれあがる。革製の黒い手袋を着け、黒い長靴を履いているようだ。武器らしい道具は見あたらない。

 長靴の踏みしめている足元は、灰色のはずの毛皮が、そこだけ奇妙に黒くなっている。毛皮に斑点ができたのとは違うようだ。よく見れば、あちこちに倒れているシャンロウの何頭かも、同じような黒い印を持っている。

「あいつの能力で攻撃された痕か」

 風に乗って、肉の焦げた臭いが再びただよってきた。

 シャンロウの上に立つソウセイドを見上げると、仮面の奥で目があった。

 俺は仮面の下で口を引き結び、陸地へ歩き出した。ダオメも無言で波をかきわけるようにして進み始める。

 空腹と疲労に体力が削られて、ただでさえ最強というふれこみの相手に、勝てる算段は持ちあわせていない。しかし、ここで引き返しても湾の底で溺死するだけ。だから俺たちは前に進むことを選んだ。

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