赤塵 その三
大地が鳴動している。あたかも落雷が絶え間なく続いているかのように。荒野を巨獣が走り抜けている音だ。
シャンロウの群れは、東から西へ向かっている。何十頭、いや何百頭以上いるかもしれない。
たった一頭でも、二人がかりで偶然に倒すことがやっとだった。もし地上で待ちかまえようとすれば、数千人の屈強な兵士が必要だったろう。
俺の頭上には、ダオメの黒い尻が見えている。あまり楽しい光景ではない。
ふいに暗くなったので見上げると、ちょうど真上をシャンロウが駆け抜けて、太陽をさえぎったのだとわかった。もちろん一瞬のことであり、すぐ水面が輝きを取り戻す。
俺とダオメは竹筒に口をつけている。見ていると、ダオメの口の端から、小さな泡が水面へ上がっていった。
小さな水面を前にして、ダオメの黒光りする肉体は、血に染まっていた。シャンロウと戦った時の返り血だけではない。小走りで移動したために、縦横にはしる傷口が開いてしまったのだ。
「きっと死にたくなるくらい痛いぞ」
そう俺がいうと、ダオメは無言でうなずいた。
「これを口にくわえるんだ」
さしだした竹筒をダオメが受け取り、覗き込む。ちゃんと穴が開いていて呼吸できるか、見て確かめているのか。
俺とダオメの前には、岩の窪みがある。見た目は小さいが、底は深い。俺がダオメと会う前に落ちて溺れかけ、仮面の力を知った場所だ。
まず俺が竹筒を口にくわえて水中へ潜り、続いてダオメも水中へ体を入れた。塩水が目にしみて痛いが、傷口に塩水が入り込んでいるダオメよりは楽だろう。
水へ隠れる直前、試しに仮面の力を使えるかとダオメに貸してみようとした。仮面は二つあるのだから、いろいろと力を試す価値はある。仮面を奪われる可能性を少しは考えたが、このような状況では争うよりも協力するべきだ。
しかしダオメは首をふって否定した。
「ソウセイドしか、力は使えない」
どうやらソウセイドとは、俺に仮面をわたした老人一人の名前ではなく、仮面の力を使える人間のことらしい。つまり俺もソウセイドの一人ということなのか。
ともかく俺達は水の下へ潜って待ち、シャンロウの群れをやりすごした。塩水は傷口に痛いが、うまく血の臭いを隠してくれた。
水から上がると、シャンロウの群れは西へ去っていく途中だった。赤茶けた砂塵を巻き上げている後姿が、まるで地平線へ無数に並べた豆粒のように見えた。
口にくわえた竹筒を捨て、ダオメが顔をしかめる。
「傷口が痛むか?」
「……死ぬより、いい」
体をさすって、少しでも痛みをまぎらわそうとしている。短い頭髪や粗末な下着から、ぽたぽたと今も水滴が落ち続けている。
「おたがい、このままだと体を冷やしそうだな」
俺が腹に巻いている布もぐっしょり濡れている。靴代わりに足へ巻いていた布にいたっては、シャンロウとの戦いでボロボロになっていて、もう使い物にならない。ほつれた布が岩場に引っかかりそうで、俺は邪魔にならないよう足に巻いた布をほどいた。
それでも体が濡れていることにかわりない。いっそ二人とも全裸になるべきか。
「ダオメが美少女なら、望むところなんだが……」
「なにか、いったか?」
ふりむいたダオメに、俺は笑って答えた。
「とりあえず馬車に戻ろう。馬車の幌布を加工すれば、靴や上着として使えるはずだ」
そして二人とも歩き出す。
足もとの岩の暖かさに、空を見上げた。
「……太陽が二つってのは、ありがたいな」
そのつぶやきを耳にしたのか、先を歩いていたダオメがふりかえった。不審げに俺へ視線を向けてくる。
「何か変なことをいったか?」
そう聞きながらも、俺は何か失敗した予感をおぼえていた。目ざめた時、俺は太陽が二つあることが不思議だった。そう思ったのは、単に記憶が欠落しているためだけではないかもしれない。
あの二つの太陽は、やはり異常な出来事なのかもしれない。それとも、みだりに口にすることがはばかられるような、信仰の対象なのかもしれない。
……信仰?
そういえば俺には、神についての記憶もない。人知を超えた存在と、それを頼りつつ畏れる人々の存在は理解している。しかし、俺自身が信じている神の存在は、心の中でぼやけていて、はっきりしない。
「……あれは、つき」
ふいにダオメがしゃべりだした。
「どうした?」
ダオメが腕を持ち上げ、天を指した。その先に、白く輝く二つの円がある。
「あれは、太陽などではなく、月」
「月?」
記憶の中では、やはり月は二つではなかったし、太陽ほどまばゆくもなかった。
「だから、いそがなければならない。ふたつの月が、ここに波をよぶ」
そういってダオメは前方へ向き直り、足を速めた。




