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常盤懐妊事附一騎打事(「宿命の対決」)

 さても六波羅勢、兵馬引き具し内裏を指して馳せ向かふも、折しも源氏は夕べの酔いの冷めやらず、馬蹄の音の激しくざざめきけるを聞きて、即ち物の具取って討って出むとせしが、各々、草摺を頂き冑を履く有様なり。左馬頭、腹立ちてのたまひて曰く「清盛が奴の謀りに候む。いざ討って出るべし」と下知をなし、長男悪源太義平、次男中宮大夫進朝長、三男兵衛佐頼朝を馳せ向かはしむ。

 さて内裏には九条院の雑仕常盤の参りて左馬頭に見え給ふ。この常盤は左馬頭の最愛せられし思い者にて、その腹に男子二人おはします。折しも戦より先に懐妊せられし事、左馬頭聞き給ひて、いみじく悦び給ふ。然れども左馬頭、常盤に向かひて曰く「これより先にな参りそ。凡そ汝はこの義朝が妻に非ず」と。これを聞き給ひて常盤、腹立ちもせず、御涙もこぼさせ給はず、ただ、菩薩の如く笑ひて、つつと歩み寄り、左馬頭が手を取りて「これより我は唯汝が妻」と仰せ給ふ。左馬頭、御涙をはらはらと流し給ふとかや。

 女人の卑しき身にはあれど、かくも情け深き者もあれ、左馬頭、思い者を戦にて傷つけてはかなふまじと思ひて、強いていみじきことども申せども、即ち女人の情け深きには、あえて物申すべからざるや。

 左馬頭、常盤が腹に耳押し当て、顔寄せ給へば「名を授くべし」とぞのたまひける。常盤「何ぞ」と問へば「牛若なり」と答ふ。「男児にて候はむ。戦上手の源氏の頼むべき男子」と左馬頭のたまへば、即ち常盤を帰さしめ、自ら馬にまたがって内裏を討って出で給ふとぞ。常盤は唯に夫の帰るべくを願い、内裏のうちの塗籠に女房ばらと籠もりて、女房ばらの馬蹄の音にわななくわななくしつるをよそに、ひたすらに念仏名号唱え給ふとかや。


(中略)


 さても左馬頭、賀茂川の戦に敗れて郎党ばらと河原を西へ落ちゆきければ、黒糸威の腹巻に、茜差したる弓持って、あさましげなる唐物の太刀を横様に差しなしたる武者一騎、左馬頭が名を呼ばはったり。これに左馬頭返して見れば、大宰大弐清盛なり。常に見聞きしたる仲なれど、戦の故事に習ふは武門の誉れ、清盛のたまひていわく「我こそ正盛が孫、忠盛が子。大宰大弐平清盛」。左馬頭答えて曰く「音には聞きつらむ、八幡太郎義家が曾孫、為義が子、源義朝」と呼ばはって、互いに弓を合わせ給ふ。然れどもいずれも武門の棟梁、日本一の弓矢取り、ありがたき強弓にて、互いに一歩も退かず。ついに馬引き寄せてむんずと組み、清盛は義朝が袖を、義朝は清盛が草摺取って離さず、馬の上よりどうど落つ。左馬頭、源氏重代の太刀髭切を抜けば、清盛が首かかんとす。清盛は唐物の太刀抜けば、義朝が首をかかんとす。くんずほぐれつ上を下に下を上になし、互いに一歩も退かず、割って入るる者もなし。「これ天晴れ、日本一の弓矢取り、棟梁の一騎打ち」とて、見る者感ぜざる者ぞなき。

 然れども、いよいよ組み討ち激しくて、清盛、左馬頭を組み伏せて、腰の刀を払ひ給ふ。左馬頭、「いよいよこれまで」と思し召し、念仏三遍唱へども、清盛、腰刀を取って握り、左馬頭が顔に目を当ててはらはらと御涙を流し給ふばかりなり。左馬頭、これをあやしびて「とく討て」と申せども、大宰大弐は物もえ申さざるばかりなり。唯、わななくわななく申しつるは、「これ武者は勝ちてこそあれ。敗れればこれ武者に非ず。二度三度となき争ひに、汝は負けて候ぞ」と。

 これ、清盛には、左馬頭は朋友なり。年頃共に学び、武芸に励み、勤めてよりこの方、先の保元の戦の折には共に官軍方にて争ひ、各々叔父と父とを斬って捨つ。日頃の有様の切にこみ上げて、友の細首見れば、腰刀の当て所も覚えず、唯嘆き給ふばかりなり。

 これを聞きて左馬頭、大宰大弐の情け深きを感じ入り給ひ、御涙を流させ給ふ。やうやう弓杖突いて立てば、清盛、河原に座しつつ左馬頭を見る事せず、左馬頭が馬にまたがりて去らむとするも、いよいよ見えず、追わず、唯そこにおはしけり。左馬頭、清盛に申すようは「源氏は敢えて滅ぶまじ。我この争ひに敗れてあれど、八幡太郎が御魂の滅ぶことよもあらじ」とぞ。

 さても左馬頭、河原を西に落ち給ふ。大宰大弐、いよいよこれを追わざること、いみじくもあやしと人々の申しける。

 一説に曰く、義朝と清盛、いまだいとけなき折、賀茂の河原にて競べ馬をせられけり。共に武門の御曹司、武者の誉れの男児にて、ゆくゆくは棟梁となるべき身にて候が、折しも清盛、父母の平家にあらざるを知りて、自らは棟梁にはよもなるまじとばかり覚え、武芸にも励まず勤めず、日々を送り候が、義朝の悪口せしを聞きて、競べ馬にて武者の技を測らむとし給ふなり。共に屈強の荒馬乗り、互いに鞭打って駆けけれども、義朝の馬の鼻先んじて、清盛は馬より落ちて深く恥じ入り給ふ。清盛嘆きて曰く「今再び合わする折は、敢えて敗るまじ」これに義朝答えて曰く「勝ちてこそ武者なれ」と。哀れなるは今再びの戦に義朝敗れ、勝ちてこその武者は清盛なり。いみじくもあさましき御有様、なべて前世の宿業にあらざるや。

 賀茂の河原の一戦は、賀茂の河原の競べ馬に同じ。朋友の互いに刃交えて弓を戦はす事、いみじくもあさましく無惨にて候と、かえずがえすも哀れにて、涙を流さぬ者ぞなき。

 

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