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信西入道御最期事附御遺戒事(「平治の乱」)

 さても信西入道は、左馬頭義朝等の手に宿所焼き払はれて後、はふはふの体にて南都を指して落ち給ふ。頃は師走の霜降りて、雪を帯びたる山風の甚だすさまじかりけるばかりにて、従う者共も、思ふに足のえ進まず口のえきかず、唯涙の限りにて、月影のさやかなるばかりを頼みに、主が命守らむが一念に木幡山を越えむとし給ふなり。

 然れども信西入道「はやかくは」とのみ覚え給ひて、曰く「急ぎ穴掘って我を籠めよ」との仰せなり。従う者共、忽ち色をなし、中にも師光、信西入道が乳母子なるは「何ぞかくなる戯れを申すべき。従の主を捨て置く事のいかがある」とばかり申して、袖に縋り裾に泣き伏し、いみじくこれを留めむとす。然れども信西入道、笑ひての給ふやうは「我が天命尽きたるに及ばず、今は唯機するに然らざるのみ。面々頼みとすべき処を指して疾く落ち行くべし」と。

 これに師光なおも従わざれば、入道続けて曰く「凡そ播磨守、都に変事出たるを聞き及び、はや熊野より返して候はむ。即ち我が行方をも聞き及び、助け奉らむと急ぎ参るべし。天熟せざる今、唯播磨守が忠節ばかりを頼みにて、土中に待つのみに候」と申すに従い、者共、泣く泣く穴を掘り、重代の主をば籠め奉り、各々頼みとすべき所縁を指して落ち行きぬ。

 然れども師光のなお主に離れ難く、傍に伏してありければ、「師光未だ失せざるか」と土中より声のありけり。師光這い寄り主の顔を見奉れば、古に変わらぬ御有様にて、見るにこぼる涙のせきあえず、「今こそ忠を尽くすべき時」と覚えて、脇差抜きて自らもとどりを切り捨つ。これを見て入道、「西光」の名をたび給ふとかや。

 入道は急ぎ隠るるべき旨申し付け、「若し敵の手にかかりて我失せて候へども、ゆめ過ちすな。ただ見るばかりを、後生に伝ふべし。之我が遺戒と思ふべし。」と、固く仰せ給ひて、これを聞きて西光は傍らに伏せたる大木の傍に身を隠す。

 即ち、武者どもの掲げたる松明の、いみじく土窟を照らし、顕かになりてけり。之を入道「はや播磨守の来たるにやあるらむ」と覚えて、土中より声を為して呼ばふ。之を聞きたりつる武者の、土中へ手を延べければ、悦び取りて候が、されどもこの武者の源氏にやあるらむ、入道を担ぎ出せば、即ち太刀にて斬らむとし、入道肝を消し給ふ。然れども入道、武芸は及ばざれど、心は剛の者、天下第一の智者なり。腰刀の鞘払ひ、忽ち首に添えければ、唯大音声に「自らの何人たるを之見つけたり。我こそは信西入道」とよばはって、首掻き切って失せ給ふ。之を見し者共、ただ天晴とぞのたまひける。

 入道が御最期、見届けたりし西光は、主が遺戒を守りつつ、一声も出さず、涙もこぼさず、伏木の下に踏ん張って、心の内に念仏名号唱えつつ、武者どもの返すを見て、とうとう南都へ落ちにけり。

 入道殿の御最期に、敵方の播磨守と誤りつるは、之、先年未だ少納言におわせし折、造営ままならぬ堀に落ちて難儀せしところを、播磨守の未だ童形にてありけるが、手を延べて助け給ひつるが故なり。折しも播磨守、故母の所縁を知り給ひ、己が生まれを甚だ怪しびて、天に伏し地に伏し赤子の如く嘆き給ひて「我、忠盛が子にあらざれば、何人にやあらむ」と申せし処を、偶々入道聞き及び「何人にても及ばず、はや助け参らせよ」と申し給ひけるとかや。

 こののち唯一念に、何人にても及ばずとも覚えず、ひたすらに播磨守が助けを待ち給ふこそ哀れなり。また、いざ自害せむとて「我こそは信西入道なり」とよばはったるは、いとけなき播磨守が問に答え給ふものとこそ思われしか。自らの誰が為に生を得、事物を成しつるか、死に及びて見出したりつるは、之、天下第一の学者の御最期にあるべく、甚だめでたかりし事とぞ申すべし。

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