悪左府殿御最期事(「勝利の代償」)
宇治左府頼長卿の戦に敗れ給ひて、はふはふの体にて下人ばらと南都を指して落ち給ひけるが、何方よりか飛び来る矢の御首に立ちて、いよいよ息の通わず目も開かず、これを限りとばかり思し召せば、左府殿、家人に申し付け、御父君知足院殿がもとを指して輿を担がせ給ひけり。
やがて輿の御門につけ給ひて、家人ばら、「一目まみえ奉らばや」と各々大音声あげて戸を叩き奉りけれど、御門の扉の固く閉ぢて、物も言わざる有様なり。家人、涙を流して曰く「左府殿、御首に矢の立ち給ひ、いみじくもはやこれまでとて、せめて最期の御一目とばかり思われて、これまで参り候。何卒、門を開け給へ」と。
しかれども門のうちより下人の声をして「罪人は疾く去ぬべし」との仰せなり。これを左府殿、聞き給ひて、気も魂も消え果てて、はや対面適わざらむとばかり思はれて、命を惜しく思ふことこそなけれども、ただあさましくいみじく覚えて御涙を流し給ふ。何ぞ御父君にあえて物申すべきとばかり覚え、ただ「御父上」と、開かぬ口にて物申せば、その有様の哀れなること甚だしく、涙を流さぬ者ぞなき。いよいよこれまでと思し給ひ、舌噛み切って失せ給ひぬ。
知足院殿、左府殿の失せ給ふを知らずして、広縁に座してただ有明の月を見るばかりに、ほのぼのと明けゆく雲居を見給へば、白きものの、はらはらと庭へと落ちるとぞ見ゆ。いぶかしげなる有様にてこれをうかがひ給ひければ、左府殿の最愛せられし鸚鵡なり。いみじく思われて、はや庭へと下り給ひけるが、鸚鵡の翼の損なはれて、はふはふの体にて、土にはばたき身を捩り、苦しげなる有様にて、一声、「御父上」と鳴きぬ。知足院殿あさましげに思はれて、やうやう手をのべて鸚鵡を取り給ひしが、はや虚しき骸となりて、爾来一声も発せざりけり。時に知足院殿、御子のすでにむなしくなるべくを知り給ひけり。鸚鵡は人の申す事を知る習いとは知れど、かくも卑しき禽獣に、父子の恩愛の厚きをば教えらるる事を、いみじく恥ずかしく思ひ給ひ、かくも罪障深きは何の因果ゆえやらむ、偏に畜生道の苦しみにてあるやらむとばかり覚え給ひ、たださめざめと御涙を流し給ふ。やうやう御声を絞りて「吾子や」とばかり申され給ひければ、これを聞きし下人ども、哀れに思わぬ者ぞなき。
先例を引くべきにもあらず、古に日本武尊の御魂の白鳥になりて東方へと失せ給ひぬれば、左府殿の御魂、最愛せられし鸚鵡に変えて、御父君に御暇申すべく、飛び来たりてあるやらむと、後々人の申しけるとぞ。また、あえて憎むべうもあらず吾子を見捨て給ふ知足院殿の心のうちこそ哀れなれ。