内大臣被申付可使粛正旨事附鸚鵡事(「宋銭と内大臣」)
内大臣粛み正させしむるべき旨を申しつけらるる事附けたり鸚鵡の事
時に畏くも鳥羽の院より院宣ありて、清涼殿が庭に植えつる水仙を悉く抜きて代わりに菊を植えしめ給ふ。巷間に曰く美福門院の仰せとかや。いみじくも鳥羽院この女院を大いに慈しみ寵愛し給ふ。これをそねみし人々「あさましきことかな。傾城の楊貴妃の例ともなりはべりぬ」と口々に申しけり。
さても悪左府頼長卿は、頃に内大臣にておはせしが、鳥羽院の寵愛なのめならざるを見て、嘆息して曰く「さても朝廷はかくも乱れ給ふものかな。先例を引くべきにもあらず。我、政をせしかば、かくなる例ゆめゆめ許すまじきものを。広く公卿殿上人粛ませしめ正さしめ奉らむ」これを聞きて父忠実卿、我が子ながらも畏くもいみじきこととあさましく覚ほゆるなり。
さて、時に為義公、内大臣に鸚鵡を奉り給ふ。この鸚鵡とは、平清盛公が宋より求めし珍奇の鳥にて、人語を解し人語を話し、主を尊ぶものとぞ申されける。しかれども内大臣、為義が奉りたる籠を見るに、いぶかしげなるものとと覚え給ひ、蝙蝠が要の先にて、てうと打つ。されば鸚鵡、「此所で求めたりし事はゆめゆめ人に申すまじ。これは太宰府より求めたるものにて非ず。秘すべし。秘すべし」と、かしましくかまびすしき声で申したり。内大臣にわかに顔色変じて、蝙蝠の先にて籠にかけたる錦の布を引っかけ退き給へば、たちまち清盛公を召し使わすべきやうを人に申しつけ給ひけり。
これは、さても、忠盛公、偽の院宣にて神崎荘を私に用ひて商いし、宋より求めたるが故に、人の申す事を鸚鵡が聞きてかく申せしなり。かくも朝廷を欺き給ひし事、禽獣の妄言にて顕わるるは、偏に因果の理にて、あさましきことなどと申す。