兎丸謀反附清盛被捕事(「西海の海賊王」)
兎丸謀反附けたり清盛捕らわるゝ事
勅定に西海鎮撫の仰せ事ありて、忠盛公これを承りて、一族郎党率きて西海の湊へと出陣なし給ふ。御大将、その日の装束は、赤糸威の札よき鎧着て、二十四指いたる中黒の矢負い、滋藤の弓真ん中取って、連銭葦毛に金覆輪の鞍起いてぞ乗ったりける。清盛公、これに従い奉り、かちん直垂に黒糸威の鎧着て、鍬形打ったる兜、頭高に黒羽の矢負い、黒馬の荒々しげなるに乗ってぞ出陣す。
時に西海を荒らす海賊ども、その頭目を兎丸といひて、唐船に捕囚となしたる唐人乗せて、瀬戸内のみならず外海にも出でて、数多の船、漁民より簒奪すること甚だしく、いずれの海人、いさなとり、船人のこれを怖れざる者なかりけり。父は朧月とて、都に名高き盗賊にて、折に忠盛に誅伐せられてありしかば、兎丸の御大将を憎むことなのめならず、これ父の敵にして必ずその首をとったるらむ、と、年ごろ思いつるに、忠盛、小舟を漕ぎ出し寄せたるを見て、「天晴れ、天の思し召しにやあらん。我必ずこれを討て帰らむ」と申して、郎党ばらを呼び寄せて、船を襲わせしむ。
(中略)
清盛公、「海賊の頭目なる兎丸とやらを討ち取って、必ず父君の御見参に入れ奉らばや」と思ひて、ひとり小舟にて漕ぎ寄せ給ひしかど、忽ちこれ唐人に見顕され縄目の恥辱となりにけり。船倉の柱に縛られておはせしが、やがて、背高く、色黒く、異形の風体の大なる男、太刀を腰に横様に差しなして、清盛公の御前に立ちて曰く、「西海の王とは音にこそ聞け、我こそ兎丸とは申しけれ。父朧月は汝が父に討たれしが、敢えて悪人にはこれあらず。貧民に情けをなし、貧民がために戦してありしを、これ都を荒らす賊にこそあれとて斬られてけり。我が盗むは、汝が斬ると変わらず。賊と武士のいずれか尊き。これ等しきにあらんや」と申しけり。清盛公、驚き給ひ、答えて曰く、「汝が兎丸とかや。いとけなきころ我に白河の院こそ御父に候とは汝が言いてんげり。日頃年頃思ひつるは、我それより境にして父を失へり。我と汝とのいずれか変らんや」清盛公、縄を断ち切り給へば、忽ち兎丸にむんずと組みたるが、兎丸は大力にして、清盛公をはたと打ちなすとむずと組み伏せ、打擲すること甚だし。
(中略)
兎丸、曰く「我は西海の王、海賊の王たらむと欲す。天に君は唯一人都におはせしが、我王とならば、天に二人の君となるべし。年ごろ義は帝が保ち給ふ。しかれども、我王となり治天の君となりしかば、義は我が掌中に入るが如きと思ふべし。しからば帝こそ悪にて候。臣民を苦しめたる大盗賊にてやあるらむ」これを聞きて清盛公、畏れ多くも朝廷を蔑み給ふものかな、あさましきことなりといみじく思へど、年頃聞こえたる高平太、兎丸が諸手をおっ取って、「天晴れ、日本一の強者や。興ありておもしろき事申す」と悦に入りておはします。