5話
微かなざわめき
ある日。
アントワネットが訪れた村で、
子どもたちが駆け寄ってくるのとは対照的に、
大人たちの目に、
妙な影が宿っていることに気づいた。
「王女様……ありがたいことで……」
言葉は丁寧だったが、
目の奥に戸惑いが揺れていた。
村の端で、男たちがささやく。
「……ライ麦のケーキ……?」
「そりゃまぁ食えるが……」
「なんで小麦を回してくれないんだ?」
「俺たちには“ケーキで我慢しろ”ってことか……?」
アントワネットは耳にしてしまった。
胸が少し痛んだ。
「違う……違うの……
小麦が……今年は、ないの……
だから、だから……」
だがその声は、
寒い風にさらわれて誰にも届かない。
⸻
王宮に届く“誤解の空気”
宮廷に戻ると、
大臣が難しい顔で報告をした。
「王女殿下。
一部の農民から、苦情が来ております」
「……苦情?」
アントワネットは驚いた。
「パンケーキが不満というわけではありませんが……
“なぜ我らにだけ小麦をよこさぬのか”と」
少女は震える声で言った。
「小麦は……今年、ほとんど取れていないのです
私たちだって、食べられる量は限られて……」
大臣は静かに言う。
「殿下のお気持ちは皆分かっております。
しかし、民は“事実”ではなく“印象”で動くのです」
アントワネットは黙った。
たしかに、ケーキは美味しい。
でも、小麦のパンには敵わない。
それが、
“贅沢を取り上げられた不満”の形で広がっている。
そのことに――
少女は、初めて気づいた。
⸻
それでも、届けたい
それでも、アントワネットは歩くことをやめなかった。
「誤解されたっていい……
それでも、みんなが生きてくれるなら……」
寒風に凍える村へ、
雪に埋もれた町へ、
アントワネットは自ら足を運んだ。
パンケーキの桶を抱え、
マントを揺らしながら。
子どもたちが笑ってくれればそれでよかった。
老人が命を繋げればそれでよかった。
だけど――
大人たちの間では、
いつしか別のささやきが生まれていた。
「……王宮は、食ってるんだろ?」
「俺たちにはケーキでいいってさ。お飾りの王妃は気楽でいいよな」
「ふん、どうせ見下してんだよ」
少女は知らない。
その“陰の声”に最初に火をつけたのが、
後にフランスを揺るがすジャコバン派だったことを。
彼女はまだ気づいていない。
――その炎が、
いつか大きな嵐の中で
“悪意の火”に飲まれようとしていることを。




