第32章 — 傷ついた街路の残響
街はパニックの朝を迎えた。
それはリョクを見たからではない。
リョクではない“何か”を見たからだ。
報告は炎のように広がる。
不可能な速度で大通りを横切る影。
理由もなく点滅する街灯。
勝手にエンジンの切れる車。
家の前に立つ「煙でできた男」を見て泣き出す子ども。
リョクはフードを深く被り、電器店のテレビ前でニュースを見つめていた。
巨大モニターには防犯カメラのぼやけた映像が映る。
細く、背の高いシルエットが、
まるで舗道の主であるかのように、道路の真ん中を歩いている。
人々はそれをこう呼んだ。
「カーブの幽霊」
「もう一人のドライバー」
「道の子供」
だがリョクは知っている。
あれは自分だ。
あるいは、自分の残骸そのもの。
存在がリョクの内側でくぐもった声を響かせる。
「お前が恐怖を与え、
あれが実行した。
完璧な協力関係だろう?」
リョクはこめかみを押さえる。
「……あいつは人を傷つけてる……」
「傷つけている?」
存在は喉を鳴らすように笑う。
「歩いていただけだ。人間は“恐怖”がハンドルを握れば勝手に壊れる。」
リョクは店を出て、ふらつきながら歩き始めた。
街は歪み、音は遠く、光は重い。
通りは警官、ドローン、記者で溢れ、
街そのものが一匹の生物になり、怪物を狩っているようだった──
ただし、探している場所は間違っている。
角を曲がった瞬間、リョクの血が凍る光景が広がる。
毛布に包まれた遺体のそばで泣き崩れる女性。
震える負傷者。
ざわつく群衆。
そして繰り返される証言。
「幽霊が……車の横を通った瞬間に……勝手に横転したんだ……」
リョクは一歩後ずさる。
胸がエンストするように痛む。
「……俺じゃない……」
存在が訂正するように囁く。
「“お前たち”だ。」
通りの奥。
そこに“影”が立っていた。
微動だにせず、ただリョクを見ている。
朝の日差しの中でも消えない。
むしろ陽光を喰うように濃い黒で輪郭を作る。
リョクの膝が震える。
周囲の人たちが、リョクと影の“似ている部分”に気づき始める。
彼は慌てて車の影に隠れた。
息を整えようとするが、肺は空気を拒む。
影は動かない。
ただ“待っている”。
その時、右側の群衆で悲痛な叫びが上がった。
「昨日……息子がいなくなったんだ……影を追って……そのまま……!」
「奴は私たちを狙ってるんだよ! あの悪魔が!」
「全員、外出禁止だ! 通りを封鎖しろ!」
警官が怒鳴る。
リョクは世界が反転する感覚に襲われた。
存在がそっと耳元で囁く。
「私がお前から奪った欠片たち……
あれがそれぞれ声を持った。」
「あれは……お前なしで動く。」
「お前が走るのをやめたから、
あれが狩りに出た。」
そして最後に、甘い毒のように囁く。
「動けば動くほど……あれは強くなる。」
リョクは目を閉じ、必死に息を整えようとする。
だが開いた時──
影はもう通りの先にはいなかった。
すぐ後ろにいた。
空気が押しつぶされるように変わる。
ゆっくりと、影の手がリョクの肩に触れた。
その指は冷たく……重く……暗く……
そして、砕けた記憶の声で囁く。
「もうすぐだ……
お前も消える。」




