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第31章 — もう一人の自分の誕生

夜明け前の空気は、

まるで世界が回転するのを忘れたかのように宙に浮いていた。


リョクはよろめきながら車へ戻る。

一歩進むたびに、故障しかけたエンジンの鼓動のような音が胸の奥で響く。

呼吸をするたびに、肺とは別の場所から囁きが漏れ出す。


影がついてくる。

近く。

あまりにも近く。


もう“投影”ではない。

もう“反射”ではない。


それは質量を持ち、

存在し、

形を持っていた。


リョクが車のドアを開けても、影は乗り込まない。

その場に立ち、

あり得ない角度からリョクを見つめる。


まるで――

逆向きに誕生する彼を見届けているようだった。


「お前は……何なんだ……?」

リョクの声は震え、割れ、掠れている。


答えたのは、体の内側から響く“存在”の声だった。


「あれはお前だ。

 あるいは……私が“不要なもの”をすべて削ぎ落とした後に残った、お前の成れの果て。」


影が動いた。

滑るのではない。

歩いた。


硬いアスファルトを、

生まれたばかりの体を確かめる赤子のように、

ぎこちなく、それでいて確実に。


一歩。

また一歩。


リョクは車に背中をぶつけながら後退った。

肺が焼けるように痛む。


「こんな……こんなこと、許してない……!」


存在は空気を揺らすほどの笑いを上げた。


「お前の魂から奪った一片一片が……

 あれの材料になったのだ。」


声は低く、誇らしげだった。


「あれは、お前の痛み、怒り、喪失の総和。

 純粋で……濾過された……完璧な“お前”。」


影は長い刃のような指をゆっくり伸ばした。

幼児のように震え、

好奇心のように揺れ――

けれど、そこに無邪気さは一滴もない。


リョクは吐き気を覚えた。


影がリョクの癖を真似し始めたからだ。


首を鳴らすしぐさ。

アクセルを踏む前の深い呼吸。

遠くの地平を睨む目つき。


まるで――

憎悪で満たされた鏡像。


「やめろ……」

リョクはかすれた声で呟く。

「やめてくれ……これは……こんなの……」


存在は聞かない。


「もうあれは、独立した“意志”だ。

 お前にも……そしてあれにも、それぞれの意志がある。」


影はさらに近づき、

踏みしめた地面がわずかに沈む。

質量がある。

存在している。


リョクは逃げようとした。

だが体が言うことをきかない。

血は鉛のように重く、

筋肉は相反する命令を受けて痙攣する。


影が――

ゆっくりと――

近づいてくる。


至近距離に来た瞬間、

起きてはならないことが起きた。


影が――“話した”。


ガリガリと削れたような音。

砕け散った千の記憶が、

悲鳴とともに一つの声を形成する。


「……オレ……は……ブレーキ……の……無い……オマエ……」


リョクはその場に崩れ落ちた。

心臓はもう人間のテンポではない。


涙が頬を伝う前に――

熱で蒸発した。


影が彼の目の前に膝をつく。

反転した“自分”のように、

首を傾け、

観察する。


そして――

胸の中心に、

闇の指先をそっと押し当てた。


冷たくて……熱くて……

空虚で……満ち溢れすぎている。


奪われ、形作られ、代償として支払う“接触”。


リョクの中で、

何かが割れた。


大きく。

深く。

支えだったものが崩れ落ちた。


存在が満足げに息を吐く。


「おめでとう、リョク。

 お前の魂は……ついに分裂した。」


その瞬間――


“微細な変化”が訪れる。


影が、まだ膝をついたまま、

口のような裂け目を開き、

歯のない闇の奥で囁いた。


「……これで……オレは……独りで走れる……」

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