第18章 — 記憶のカーブに潜む亡霊
夜は早く落ち、
今にも崩れ落ちそうな錆びたボンネットのように重かった。
リョクは一人で車を走らせ、
かつて暮らしていた古い街区へ向かう道を進んでいた。
来るべき場所ではない。
だが何かが彼を引き寄せる。
古い痛み。
繰り返し響く“残響”。
街灯が一つ消えるごとに、
車はより静かになった。
あの存在も――黙った。
それが何より不気味だった。
古い家の前に車を停めた瞬間、
空気が変わった。
風が止まり、
世界が息を潜めた。
リョクは車を降りる。
歪んだ門がキィと鳴き、
まるで“戻った者”を認識するようだった。
家は廃墟だった。
割れた窓。
染みだらけの壁。
だが――
彼が足を踏み入れた瞬間、
世界が裏返る。
廊下が、昔のままの薄黄色の光で灯る。
温かいスープの匂いが漂う。
幼いころ最後に嗅いだ匂いだ。
キッチンの入口には、
母の影が通り過ぎる。
リビングからは、
父の優しい笑い声が響く。
「……嘘だ……」
リョクはよろつきながら呟いた。
背後で、
あの存在が静かに立ち上がる。
液体の毒のように滑らかな声で囁く。
「記憶もレースだ。
そして……お前はもう負けている。」
リョクはリビングへ走り込む。
家具は昔のまま。
テーブルには二つの皿。
そしてソファには――
小さな自分が寝ていた。
錆びたブリキのおもちゃを握ったまま。
胸の奥が痛みで裂ける。
肩に触れようと手を伸ばす。
しかし指先は空を切り、
煙のようにすり抜けた。
存在は幼いリョクの隣に現れ、
壊れたエンジンを観察する整備士のように身体を屈めた。
「これに執着すれば……それを“奪う”。」
「やめろ!!」
リョクの叫びは遅かった。
幼い自分の手の中で、
ブリキのおもちゃがメリッと音を立てて割れた。
見えない指に握り潰されたように。
部屋の光がちらつき、
スープの匂いは焦げに変わり、
音も色も――ひとつずつ崩れ落ちていく。
「やめてくれ!! お願いだ!!」
存在は顔のないまま“笑った”。
「スピードの代償だ。」
閃光が走り、すべてが消えた。
家は再び廃墟に戻り、
幼いリョクは消え、
スープはカビとなり、
両親は、ただ頭の奥で鳴る“雑音”になった。
そしてその記憶――
幼いころ彼を支えた唯一の記憶が――
死んだ。
リョクは膝から崩れ落ち、
肺を失ったかのように荒く呼吸した。
存在が近づく。
「さあ……これで、もっと速く走れる。」
その瞬間、
割れた窓ガラスに映った自分を見て、
“微細な異変”が胸を凍らせた。
瞳孔が細くなっていた。
猫のように。
いや――悪魔のように。




