第13章 — 割れた鏡
朝は灰色に生まれた。
だがどこかがおかしい――
まるで“昼”そのものが、完全に明るくなるのを恐れているかのようだった。
リョクは車を空の工場に停める。
エンジンはもう切って数分経つのに、
まだ熱く、脈打っていた。
彼は従業員用の小さなトイレに入る。
電気をつける。
鏡はずっと前からひび割れていたが、今日は……
今日は、そのひびが“広がって”見えた。
まるで生きているように。
リョクは自分の映った影を見つめる。
一瞬だけ――何もおかしくない。
だが次の瞬間、映像は“歪んだ”。
頭の後ろに落ちる影が伸び、
ありえない形のシルエットを作る。
彼自身の瞳は暗く沈み、
まるで瞳孔が“呼吸”しているかのようにうねった。
肩の後ろ――
肉ではない“影の歯列”が現れ、
口のない笑みを浮かべる。
リョクが瞬きをすると、すべて元通りに戻った。
……いや、“ほぼ”だ。
鏡の中のリョクの笑みが、
彼自身の笑いより一瞬早く動いた。
わずかな遅れ。
現実ではありえない差。
だが――
契約の世界では、完璧。
「ああ……姿が現れてきたな。」
あの存在が囁く。
彼の後ろに立っているようでいて、実際には“何もいない”のに。
「勝つたび、お前は俺に近づく。
壊れるたび、お前が恐れていたものが見え始める。」
リョクは深く息を吸う。
だが空気は煙のように重い。
彼が鏡に指を触れると――
表面は氷のように冷たかった。
一瞬、
鏡の向こう側で“彼自身の影”が独立して動き、
彼の手を掴もうとしているように見えた。
そのとき、タケダが不意に入ってきた。
「リョク? 大丈夫か?」
その声に驚いた拍子に、
鏡の中のリョクの動きが再び遅れた。
顔を向ける彼よりも一秒遅く動く“反射”。
タケダは気づかない。
だがリョクは見た。
リョクは“感じた”。
恐怖が喉の奥で炎のように暴れた。
「……ちょっと、疲れてるだけ。」
タケダは目を細める。
「お前、本当に……何になろうとしてるんだ?」
タケダが出ていくと、
リョクはひとり鏡を見つめた。
ひびの奥。
闇の中。
自分の影が――笑った。
大きく。
飢えたように。
そして、もう“形”を持っていた。
その直後、ガラスの中から囁きが響く。
「次の記憶は……もっと大きい。」




