第19話(1) 正体
「お疲れ様でした」
「はい。お疲れ」
百合さんと挨拶を交わし、私は店を後にする。
店内にいるお客さんは、中年の男性と若い女性の二人だけ。どちらもよく見る常連さんだ。どちらも仕事帰りなのかスーツに身を包んでいた。この時間はそういう人が多い。
お店を出た私は、なんとなく辺りを見渡す。
周りにはこちらに向かって歩いてくる人はおろか、人っ子一人いなかった。
いつもの事と言えばいつもの事だ。
「ふー」
一息吐いてから、家のある方へ歩き始める。
勘違いだったとは思いつつも、あの気配というか視線はまだ感覚として僅かばかりだが背中に残っている。
先週は何も感じなかった。今日はどうだろう?
もし今週も何も感じなかったら、少しはこの感覚も薄れるかもしれない。
五メートル、十メートル……。徐々に店から離れていく。
背後と正面どちらにも注意を払いながら、少し早足に住宅街を進む。
人気のない夜の住宅街。ただでさえ不安を覚えるその場所を、私は確かな不安と共に歩く。
午前中に優子ちゃんとした、会話の内容がふと頭に浮かぶ。
『最近ちょっとこの辺りも物騒じゃないですかー』
今の私の状況と、脳内で響く優子ちゃんの声とがリンクする。
犯人が捕まったとはいえ、今月県内で通り魔時間があったのは事実だ。似たような事件がまた起こる可能性も……。
考え過ぎか。
いや、用心するに越した事はない。ただ、その用心をどのくらいするかが問題だ。
一番安全なのは送り迎え。お父さんに車で送迎をしてもらえば、不安は和らぐ。しかし、そこまでしてもらうのはさすがに気が引ける。
人影を見たならまだしも、私が感じたのは気配。それも一度だけ。送り迎えをしてもらう根拠としては、あまりにも弱過ぎる。
「――!」
その時はふいにやってきた。
背後に気配を、視線を感じた。距離はまだある。近いわけではない。気にし過ぎかもしれない。けど、もしそうじゃなかったら?
頭の中で様々な思考が巡る。
一応、鞄をスマホから取り出し、手に握る。
何かあった時はこれでどこかに電話をしなければ。コンビニが近付いたら、この前みたいにそちらに足を向けよう。コンビニまでは後二分といったところか。
一分、一秒がやけに長く感じる。
「――!」
前方で物音がし、思わず私は足を止める。
猫だった。黒猫がゴミ袋の上にちょこんと座っていた。おそらく、塀からそこに飛び降りたのだろう。まったく、人騒がせな猫だ。
そこで私は、自分が足を止めている事にようやく気付く。
恐る恐る背後を振り向く。
なぜ自分でも、そんな事をしたのか分からない。突発的な事が起きて、頭が混乱していたのかもしれない。
結論から言うと、私の背後にはおかしな人等立っていなかった。
ふっと肩の力を抜く。そして、思う。果たして、この状況は偶然なのだろうかと。
「あなたは……」
自分の数十メートル先に立つ人物に話し掛ける。
その顔には見覚えがあった。
会ったのは一度きり。だが、たった数週間前の事、忘れるはずがない。
名前は分からなかった。だから、こう呼ぶしかない。
「常連さんの幼なじみの……」
半袖のTシャツにハーフパンツといった、ラフな出で立ちの少女がそこには立っていた。
確かにこの間、三島商店で見た少女だ。
私に正体(?)を言い当てられ、少女が踵を返す。
「待って」
そう声を掛けながらも私は、どうせ立ち止まらないだろうなと八割方諦めていた。しかし、少女は私の声に足を止めた。
元々、私に用があったのかもしれない。だからこその尾行……。
「近くにコンビニがあるの。そこで少しお話しない?」
出来るだけ優しく聞こえるように心掛け、私は少女にそんな言葉を投げ掛ける。
少女がこちらを振り向く。そして、不安げな表情が私に向けられた。
それに私は、微笑みで応える。
私は知りたいだけだ。この状況の意味を。だから、少女を威圧する必要はない。ただ話がしたい、それだけなのだから。
こくりと少女が頷く。つまり、イエスという事だろう。
手招きをして少女を呼ぶ。
一瞬の戸惑いの後、少女は素直に私の元に近付いてきた。
「行きましょうか」
隣に並んだ少女に声を掛けてから、私はコンビニのある方へ歩き始める。
正直、警戒を百パーセント解いたわけではない。今も少女の動向には、横目で最低限の注意を払っている。
私の想像が正しければ、可能性は零ではない。
こんな普通の少女がそんな真似に及ぶとは到底思えないが、今ここで出会っている事自体がイレギュラーなので、そう考えるのは楽観的過ぎるというものだろう。
あらゆる可能性を頭に入れつつ、その事はおくびにも出さない。それは私にとって、常日頃からやっている処世術。今更相手に悟られるヘマはしない。少なくとも、想像が確信に変わるまでは……。




