第18話(3) 門限
「どうかしました?」
聞こえてきた声に私は、磨いていたグラスから顔を上げる。
するとそこには、心配そうな表情を浮かべた姫紗良さんの姿があった。
ちらりと姫紗良さんが元いた席を見やる。
雅秋さんが一人、読書をしていた。時よりコーヒーを飲みながら文庫本を読むその姿は、とても画になる。まるで、ドラマあるいはCMのワンシーンのようだ。
「やっぱり、不安ですか?」
カウンタ―席に腰を下ろしながら、姫紗良さんがそんな風に私に尋ねてくる。
「え?」
「あれ? 違いました? 私はてっきり、例の件の事を考えてるのだとばかり……」
例の件とは、私が先々週の火曜日につけられたかもしれないと言った、あの話の事だろう。
「そっちはまぁ、私の気のせいかなって。あれから二週間、結局何もありませんでしたし」
「……そうですか」
一拍の間の後、姫紗良さんは何かを呑み込むようにそう口にした。
おそらく、注意を促す言葉を言おうとしたものの、それがマイナスに働く可能性に直前で思い至り咄嗟に言う言葉を変えたのだろう。
「じゃあ、何を?」
「ライクとラブの違いについて」
「難問ですね」
笑われるかと思ったが、姫紗良さんは至って真面目な調子でそんな風に返してきた。
「強さの違い、と言ってしまうと少し乱暴でしょうか。ラブはライクより強い感情が篭ってる。I like coffee.よりもI love coffee.の方がより強くコーヒーを好んでるように聞こえます」
「それは、人にも当てはまりますか?」
「ある意味では。I like mom.よりI love mom.の方がより強い母親への想いを感じます。まぁ、日本ではあまりない表現かもしれませんが」
確かに、パートナーや子ども、もしくは孫以外に、愛しているという表現を遣う事は日本ではあまりされない。言語の違いによるものなのか、あるいは民族性の違いによるものなのか、その両方という可能性も……。
「うふふ」
突然吹き出すように笑い出した姫紗良さんに、私は思わず面を食らう。
「ごめんなさい。今のは意地悪でしたね。みどりさんが聞きたいのはそういう話ではなく、愛とか恋とかの話ですよね」
「はい……」
今更隠したり誤魔化したりするような事ではないので、私は正直に姫紗良さんの言葉に頷く。
「あの人のために何かしてあげたい、あの人の事を考えると胸がときめく、苦しい、温かくなる、気が付くとついあの人の事を考えてしまう、目で追ってしまう。どうです? 心当たりはありますか?」
「いえ、その、私の事じゃないので……」
「え? そうなんですか?」
「あ、と言っても、私に関係ない話という事ではなく……」
言葉にすると、途端に恥ずかしくなる。別に本人から何か言われたわけではないし……。いや、好きとか素敵とか一番とかは日頃から言われているが……。だからと言ってそれが、特別な感情である証拠にはなり得ないわけで……。
と、色々のたまったところで、話は先に進まない。仕方ない。腹を括るか。
深呼吸を一つ、気持ちを落ち着かせる。そして――
「あの、姫紗良さんは、女の子から告白された事ってありますか?」
私は意を決して姫紗良さんにそう尋ねる。
「ありますよ」
そんなあっさりと……。まぁ、姫紗良さんくらいになると、告白なんて日常茶飯事、朝飯前なのだろう。
「その時、どう思いました?」
「え? 普通に、嬉しい、ありがとう、ごめんなさいとか?」
「ごめんなさい?」
前の二つは分かるが、ごめんなさいとは?
「だって、私にはまーくんがいるから、どんな子が来ようと断る事が前提じゃないですか」
「なるほど……」
それでごめんなさい。
「女の子だからみたいな事は思わないんですか?」
「別に、女の子だろうと男の子だろうと、私を好きって言ってくれてる事に変わりはないわけで。そこで区別したりはしないですね」
「そうですか……」
性別は関係ない、か。
「みどりさん、女の子から告白されたんですか?」
「いえ、そういうわけでは……」
告白はおろか、本当にそう思われているかさえ定かではない。これで私の勝手な妄想だとしたら、大分恥ずかしい。
かと言って、ここで尻込みしていては、得られるものも得られない。なので――
「その自分を好きな相手が、仲のいい女友達だとしたら、姫紗良さんはどうします?」
この場で聞ける事は全て聞いてしまおう。
「……私は、どうもしませんね。今まで通り親友として付き合ってます」
それは仮定の話等ではなく、現在進行形の話だった。
姫紗良さんにもいるんだ。そんな相手が。
「だから、みどりさんも大丈夫ですよ。どちらの答えを出したとしても。きっと」
あぁ、なんでこの人は、いつも私が今一番欲しがっている言葉を欲しい形でくれるのだろう。
まったく、適わないな。適いたいとも思っていないけど。




