第15話(2) フェチ
今日も私は一人で授業を受けていた。
昨日道案内ついでにあの子と一緒に授業を受けたのは、あくまでもイレギュラー。むしろ、今のこの状態こそが私の平常運転であり、いつものそれに戻っただけだ。
教室を移動し、空いている席に座る。
三人掛けの席。他の人の邪魔にならないように、私はその右隅に腰を下ろした。
まぁ、大学には授業を受けに来ているのであって、それ以外の事はおまけのようなものなので、別に授業を一緒に受ける相手がいようがいまいが私には無関係、却って一人の方が授業に集中出来て私にとってはいいのかもしれない。
……なんて、もちろん言い訳だ。
「はー」
溜息を一つ吐き、私は机の上に授業の準備をする。
友達か……。そもそも私自身、人見知りという程ではないがコミュニケ―ション能力は高い方ではない。なので今までも、自ら率先してこちらから声を掛けた事はなかった。向こうから声を掛けられるのを待つ。それが私の、作戦と呼ぶにはあまりにも消極的な手段だった。
さて、次の授業は――
「あの!」
すぐ近くから聞こえてきたその声に私は、少し驚きそちらを見る。
声を掛けられた事に驚いたのではない。
隣に座る時、こうして声を掛けてくる人は少なからずいる。だから、私が驚いたのはそれ自体にではなく、その声が思いの外大きかった事と上擦っていた事に、だった。
「と、隣いいですか?」
「……えぇ。どうぞ」
少し戸惑いながら私は、平静を装うと共にそう返事をする。
「あ、ありがとうございます」
少女は微かに口元を綻ばせると、私の隣に腰を下ろした。
可愛らしい子だった。背は平均より低め、顔は童顔でツーテールの髪型も相まって彼女は下手をすれば中学生にも見える。
というか、この子……。
「確か、大橋さん?」
「あ、はい。まさか名前を覚えて頂けてるなんて光栄です」
そんなオーバーな。
彼女は昨日知り合い一時限だけ一緒に授業を受けた、大橋優子ちゃん。私達は連絡先を交換する事なく、授業が終わると同時にその場で別れた――のだが……。
「高梨さんもこの講義選んでたんですね」
「うん。朝霧教授の講義は分かりやすくて面白いって先輩が」
「先輩にお知り合いがいるんですか? いいですね。私、上にも横にも知り合いがいなくて」
「そうなんだ……」
同級生に知り合いがいない中、葵さんと澄玲さんの存在が私にとってどれだけ有り難いか。しかし、大橋さんにはそれすらないわけで、先行きの不安はおそらく私の比ではないだろう。
「私で良ければ話し相手になるから、いつでも話し掛けてね」
「いいんですか? 私、本気にしちゃいますよ」
「私も同級生に知り合いいないし、むしろこちらからお願いしたいくらい」
それに、なんとなく大橋さんとは馬が合う気がする。まだ話した時間は昨日と合わせても三十分足らずと少なめだけど、こういうのは時間ではなくフィーリングだろう。
「そういう事なら、喜んで……」
はにかみそんな風に言葉を口にする大橋さんに私は、微笑を返し、鞄の中からケースを取り出す。そして、ケースの中の物をおもむろに掛ける。
「高梨さん、眼鏡するんですか?」
「え? あ、うん。教室が広い時だけね」
視力が特別悪いわけではないので普通に見る分には裸眼で充分なのだが、今回のように広い教室では少しばかり不便を感じる。それを補助してくれるのが、この眼鏡というわけだ。
「……」
眼鏡姿が物珍しいのか、大橋さんがじっと私の顔を見つめてくる。
女性同士だし見つめられる事自体は別にいいのだが、これだけ近く長い時間となるとやはり少し気になる。
「えーっと、大橋さん?」
「あ、すみません。思わず引き寄せられてしまって」
「ううん。周りに眼鏡を掛ける人いないの?」
「いえ、そういうわけでは……」
じゃあ――
「似合わないでしょ? 自分でも薄々気付いてはいるんだけど、この距離だとどうしてもね」
だからと言って、前に行くのは私の性格的に難しい。というわけで私は、仕方なく眼鏡を掛けて授業を受けている。
「そんな! むしろ、とてもお似合いで素敵だと思います!」
私の自虐的な発言を掻き消すように、大橋さんがこちらに身を乗り出し、力強くそう言う。
「え? あ、うん。ありがとう……」
その勢いに圧され、私は僅かに後ろに身を引く。
「高梨さんは元々お綺麗で大変お美しいですが、眼鏡を掛ける事によってその両面が更に引き立てられて、とにかく凄くいいです。ポラロイドとか売られてたら、私言い値で買います。いくらでしょう?」
「ポ、ポラロイド……?」
って、アイドルか何か私は。もしかしたら、大橋さんはそっち方面に詳しいのかもしれない。いや、今はそんな予想はどうでも良くて。
「ポラロイドは売ってないし売るつもりもないので、値段はちょっと付けられないかな」
というか、澄玲さんや静香ちゃんならともかく、私のような人間が個人でそんな物を売り出したら、イタ過ぎてとてもじゃないが見ていられない。
「そうですか。残念です」
お世辞ではなく、本当に残念そうに肩を落とす大橋さん。
その熱量に圧倒されてしまったものの、鼻息荒く力説する彼女の事は素直に羨ましく思う。こんな風に熱くなる事は今の私には出来ないから。
「大橋さん」
「はい!」
「私、もっとあなたと仲良くなりたい。あなたはどう?」
「もちろん、なりたいです。高梨さんと仲良く」
「そう。良かった」
正直断られる可能性もなくはないと思っていたので、OKをもらって内心ではかなりほっとしていた。
「大橋さん、私達お友達になりましょ?」
「はい! 喜んで!」
これが私と優子ちゃんが友達になったきっかけであり、私が少しだけ自分に自信を持てるようになったきっかけでもあった。