第12話(1) 過去
十三時を過ぎ、私のバイト時間が終了する。
コーヒーを一杯頂いた後、百合さんと(今日は日曜日なのに珍しく一人で来ていた)如月さんに挨拶をし私は店を後にした。
「うーん……」
開放感から思わず、店先で伸びをする。
お腹は空いているものの、気分は良かった。いっそこのままどこかで食事をして帰ってもいいかもしれない。毎回外食をする程の金銭的余裕はさすがにないが、たまにならいいだろう。
とりあえず、行く先は決めず家のある方へ歩き出す。
特別どこかに寄りたいわけではないし、目に付いたお店に気分が乗ったら入るぐらいの心持ちで行こう。
「高梨?」
歩き始めて数歩。一メートルも進まない内に、背後から誰かに呼び止められる。
反射的に振り返り、私はすぐに自分の迂闊さを呪う。
「田澤君……」
数年ぶりに目にした同級生は、記憶の中の彼より一回り程縦にも横にも大きくなっていた。
とはいえ、太ったというわけでは決してない。筋肉が付いて厚くなったというのが、正しい表現だろう。
背は百八十前後、がっしりとした体付きはまさにスポーツマンといった感じで、短く切り揃えられた黒髪と相まって、爽やかイケメンという呼称がぴったりの容姿をしている。
過去の出来事がなければ、もしかしたら私も素直に見惚れていたかもしれない。しかし、今はそれより警戒心の方が強く勝っており、とてもそんな気にはなれなかった。
「久しぶり。元気だったか?」
「うん。田澤君も元気そうで……」
可能ならば、このままどこかに走り去りたかった。だけど、私の中の理性が、それを寸でのところで押し留める。
何もされない内に急に走り出したら、むしろ私の方が不審者扱いを受けてしまう。
「大学がこっちで、今年から実家に帰ってきたんだ」
「そう、なんだ……」
本当はくみやんから聞いて知っていたが、然程会話を弾ませる気のない私は、まるで初めて聞いたかのような反応をしてみせる。
「高梨はずっとこっちか?」
「え? あ、うん」
「……」
「……」
ふいに会話が止まり、二人の間に今まで以上に微妙な空気が流れる。
気まずい。「じゃあ」と言って立ち去るか、それとも向こうの出方を見るか……。
「「――!」」
突然鳴った鈴の音に、二人の視線が一斉に向く。
「ん?」
店を出てきた女性が、私達二人を見て立ち止まる。そして、私と田澤君を交互に見やり――
「みどりさん、どうかしました?」
優しい口調でそう私に話し掛けてきた。
「いえ、あの……」
なんと言ったらいいものか。客観的な事実としては、お店の前で久しぶりに同級生と再会しただけなのだが、私にとってはそれだけではないというか……。
「悪かったな、高梨。急に呼び止めて」
私が思案している間に、田澤君は踵を返し、足早に私達の元から去って行ってしまった。
「知り合いだったんですね。すみません、私はてっきりみどりさんがナンパされて困ってるのかと思って……」
眉を下げ、如月さんが謝罪の言葉を口にする。
「あ、全然、気にしないでください。困ってたのは本当ですから。むしろ、助かりました」
田澤君には悪いが、もし如月さんが現れなかったらもっと気まずい空気になり、更に後味の悪い別れ方をしないといけない羽目になっていた事だろう。
「如月さんは、このまま真っ直ぐお帰りですか?」
話の流れを変える意味も込めて、私は如月さんにそんな割とどうでいい質問を投げ掛ける。
「うーん。ちょっと今悩んでまして。まーくんはお出掛け中で家にいないし、友達も捕まらない。さて、どう休日を過ごしたものか……」
言葉の途中で、如月さんの視線が私を捉え、そのまま止まった。
「ところでみどりさん、この後のご予定は?」
「予定、ですか? 特には……。あ、ご飯がまだなので、今日は外で食べるのもいいかもって漠然と考えてました。この後の予定と言ったら、とりあえずそれくらいですかね」
私は如月さんからの問い掛けに、戸惑いながらもなんとかそう答える。
「いいですね、外食。……私もそこに付いて行ってもいいですか?」
「え? だけど、如月さん、さっき食事してませんでした?」
というか、していた。私が注文を取り、給仕&後片付けをしたのだから間違いなかった。
「適当に何か頼むので大丈夫ですよ」
にっこり微笑まれてしまった。
こうなると断りづらい。
まぁ、如月さんとは前々から仲良くなりたいと思っていたので、特に断る理由もないのだが。
「分かりました。行きましょう」
「わーい。ありがとうございます」
こうして私は、期せずして如月さんと一緒に食事に行く事となった。
……なんだか如月さんに、上手く乗せられた気もするのだが、きっと私の思い過ごしだろう。うん。そうに違いない。