第10話(2) 姫城澄玲
「――じゃあ、私はそろそろ行くわ」
「あ、はい」
現れた時同様、そう言うと澄玲さんは唐突に私の前から去っていった。
神出鬼没というか我が道を行くというか……。
「ようやく行ったか」
「!」
背後からの声に驚き振り向くと、そこには後ろの席に座りこちらに体を捻るように向ける葵さんの姿があった。
「葵さん、いつからそこに?」
「奴が来る少し前、かな」
「気付いてたんなら、声掛けてくださいよ」
「いきなり声掛けても面白くないだろ? 機会を窺ってたんだよ。そしたら、奴が来て……」
まるで苦虫を噛み潰したような表情を浮かべ葵さんが、私の正面の席へ移動する。さっきまで澄玲さんが座っていた席だ。
「あいつ、私がいるの分かっててあえて気付かないフリしてやがった。まったく、性格悪いっちゃありゃしない」
「はぁ……」
内容が内容だけに肯定する事も否定する事も出来ず、私は苦笑を浮かべなんとかそう曖昧な返事を口にする。
「で、優子は調子悪いのか?」
「えぇ。少し。疲れが出たんだと思います。土日の」
最初からテンション高めだったし、慣れない場所でよく眠れなかったのかもしれない。
「ま、みどりが少しって言うのならそうなんだろうな。それより――」
私の皿から、サンドイッチの添え物として置かれていたフライドポテトを一つ摘まみ、それを口に入れながら葵さんが言う。
「姫城澄玲がフラれたらしい」
「フラれ?」
一瞬、葵さんの口から発せられた言葉の意味が分からず、私は思わず聞き返した。
視線をテーブルに落とし、思考を巡らす。
あまりその言葉は、姫城澄玲という人間とかけ離れていた。逆はあってもフラれる事はない。そう思っていたし、そう信じていた。
「ホント。どこのどいつなんだろうな。あんな超絶美人をフった大馬鹿野郎は」
「あら、そんな風に思ってくれてたの?」
突如降って湧いた第三者の声に、私は顔を上げる。悪戯っ子のような笑みを浮かべた、澄玲さんが葵さんの背後に立っていた。
「げっ」
首を逸らせて声の主を確認すると、葵さんは心底嫌そうな顔を澄玲さんに向けた。
「どうしてお前がここに……」
「ちょっと忘れ物をね。ねぇ、この辺にハンカチ落ちてなかった? 白いレースの付いた」
「ハンカチ?」
訝しげな表情を浮かべ、葵さんが自分の足元を覗き込む。
「あー。あったった。ほら、これだろ?」
テーブルの下から体を戻し、葵さんが拾ったハンカチを澄玲さんに向けて差し出す。
「ありがとう」
それを受け取り、澄玲さんが空いていたもう一つの席に腰を下ろす。
「おいおい。なんでそこに座るんだよ」
「え? 空いてるでしょ? ここ」
「……」
あまりに澄玲さんがしれっと告げたせいか、葵さんは口を噤み、仏頂面を浮かべつつもそれ以上の文句を呑み込んだ。
もしかしたら、噂話をしているところを本人に聞かれたのを気にしているのかもしれない。
「本当よ」
「「え?」」
ふいに発せられた肯定の言葉に、私と葵さんは揃って驚きの声をあげる。
「私がフラれたのは本当の話。と言っても、私から告白したとか、ましてやその人と付き合ってとかじゃないの。ただ結果的に私が選ばれなかったってだけ」
「はー……」
なんて答えていいか分からず、私の口からはそんな言葉とも言えない声が漏れていた。
「ちっ」
ガタンという音が鳴り、葵さんが勢いよく立ち上がる。
「葵さん?」
「無理するくらいなら、そんな話するんじゃねぇ」
そう言うと葵さんは、肩を怒らせ食堂の出入り口へとスタスタと歩いて行ってしまった。
「怒らせちゃった」
それを見て澄玲さんは、微苦笑交じりに肩を竦める。
「きっと葵さんの中で澄玲さんは、どうでもいい人じゃないでしょうね」
「え?」
「葵さんってああ見えて結構シビアだから、自分にとってどうでもいい相手にはあんな対応しないと思うんです」
「……」
「す、すみません。生意気な事言って」
もしかしなくても、私調子に乗り過ぎた? 澄玲さんに意見するなんて……。
「ううん。私の方こそごめんね。色々と」
「いえ、そんな、全然」
滅相もない。
「みどりちゃんは葵の事よく知ってるのね」
「まぁ、一緒に生徒会やった仲ですし、付き合いもそれなりに長いですから」
二年と少し。葵さんが高校を卒業した後も交流は続いており、たまに顔を合わせていた。実際、学校外で交流のある先輩は今も昔も葵さんだけだ。
「私もみどりちゃんと仲良くしたいんだけど」
「それってどういう……?」
「うーん。じゃあさ、みどりちゃんには今、好きな人っている?」