ep.3 呼び方
「優子ちゃんは、今まであだ名で呼ばれた事ってあるの?」
三島商店を出て家へと戻る道すがら、私は優子ちゃんにふと気になった事を聞いてみた。
「あだ名ですか? ありますよ」
「どういう?」
「うーん。優っち、優っぴ、優ちん、優子っち。後、優子りんなんてのもありました」
「結構あるんだね」
あっても精々、二つか三つだと思っていた。
この数を多いと感じるか少ないと感じるかは、その人の考え方次第だが。
「みどりさんは?」
「私はあまりないかな。大体、そのまま名前か苗字にさん付けかちゃん付けって感じで」
別に、私自身があだ名で呼ばれるのを嫌がっているというわけではない。単にそういうキャラではないと、周りから思われているのだろう。
「優子ちゃんが私にあだ名を付けるとしたら、どんなの付ける?」
「え? 私がですか? えーっと……」
話の流れというか軽い気持ちで言っただけなのに、思いの外、優子ちゃんの事を悩ませてしまったようだ。
「アレだったら全然、流してもらっていいから。そんな、無理にって話でもないし」
「いえ、もうそこまで出掛かってるので」
出掛かる? それは何かを思い出す時に遣う言葉なんじゃ……。
「……みどりんなんてどうでしょう? 親しみやすくて尚且つ可愛らしい。みどりさんのイメージとは少し違いますけど、逆にギャップがあってそれがいいと言いますか」
「なるほど」
確かに、新鮮でいいかもしれない。
「じゃあこれからは、優子ちゃんがそう呼んでくれるわけね」
「え? そんな、恐れ多くてとてもとても……」
言いながら、激しく両手を振る優子ちゃん。
この感じ、相当無理なようだ。
「ごめんごめん。冗談だから。今まで通り大丈夫だから」
「すみません。その代わり、私の方はどんな呼び方をしてもらっても構いませんので」
どんな。そう言われてしまうと、普通の呼び方ではなんだかいけない気がしてくる。大喜利ではないが、みどりん以上にインパクトのある呼び方を求められているような……。
「なら、ゆうゆうなんてどうかしら?」
「……」
慣れない事をして照れ笑いを浮かべる私に対し、優子ちゃんの反応は無だった。苦笑いも愛想笑いもない、完全なる無。
まさか、自分でもここまでスべるとは思っていなかった。
さてこの空気、どうしたものか。全然違う話題を振るかあるいはあえて続けるか、そのどちらを選んでも厳しい道のりが待っていそうだが……。
「はっ」
そんな思考を私が働かせている間に、優子ちゃんが虚無の世界からこちらに帰ってきた。
「ごめんなさい。あまりの可愛らしさに、少し思考がトリップしてました」
「優子ちゃん、気を遣わなくてもいいのよ。自分でもスべった自覚はあるから」
「スべったなんてとんでもない。ド真ん中に豪速球が来て、思わず反応出来なかっただけと言いますか……」
まぁ、優子ちゃんがそういうなら、そういう事にしておこう。
折角の気遣いを無下にするのもなんだし。
「ありがとう、ゆうゆう」
「はぅ」
冗談めかしに告げた私の言葉に、優子ちゃんが頬を赤く染め目を見開く。
この反応、もしかして本当に気に入っている? という事は、先程の言葉も……。
「前言撤回です。私にはまだ、そういう呼び方は早過ぎます。毎回そんな呼び方されてたら、心臓がいくつあっても足りません」
「そうね。これは封印しておきましょう」
実のところ、私の方も限界だった。
変わった呼び方というのは、呼ばれる側だけでなく呼ぶ側にもダメージが発生する。今回はいい勉強になった。
「優子ちゃん」
「はい。みどりさん」
お互いの名前を呼び合い、私達は微笑みを交換する。
やはり、こちらの方がしっくりくる。
「ところで、今日は何時の電車に乗って帰る予定なの?」
ざっくり夕方とは聞いているが、具体的な時間まではそう言えばまだ聞いていなかった。何時に帰るか、それによってこれからの予定も変わってくる。
「五時過ぎのに乗ろうかなって」
「そっか」
現在の時刻は十四時過ぎ。残り時間は三時間足らずといったところ事か。
「ちょっと寄り道してもいいかな?」
「え? あ、はい。いいですよ」
向かう先はどこでもいい。ただもう少し優子ちゃんと私の生まれ育った町を歩きたい、優子ちゃんに私の生まれ育った町を見てもらいたい。なんとなく今は、そんな気分だった。
第三章 お泊り <完>




