第9話(2) ルーブル
先々週程ではないが、今日も店内は大盛況。まさに猫の手も借りたい状況だった。
「みどりちゃん、これお願い。二番テーブルね」
「はい」
注文された飲み物を指定された席に持っていき、その足ですぐに新たにやってきたお客さんを出迎える。
前回に比べれば、まだ肉体的にも精神的にも余裕はあった。
なので、百合さんに声を掛けられるまでもなく、店全体の様子を把握する事が出来る。
伝票を持ったお客さんが立ち上がると同時に、レジに入り会計の準備をする。そして、それが終わるなりテーブルを片付ける。
このくらい忙しい方が仕事に集中出来、いつも以上にスムーズに動ける。もしかしてこれが、ゾーンに入るという事? ……なんて。漫画の読み過ぎ、中二病丸出しで恥ずかしい。適度な忙しさによって、少し気持ちがハイになっているのかもしれない。
その結果――
「疲れた……」
勤務時間が終わるや否やどっと疲れが出た。
いつもの半分の時間しか働いていないはずなのに……。優子ちゃんの存在も、この疲労感と無関係ではないだろう。
「お疲れ様」
苦笑を浮かべ百合さんが、私にそう声を掛けてくる。
「とりあえず、着替えてきます」
「ごゆっくりー」
百合さんに見送られ、私は奥の部屋に引っ込む。
エプロンを鞄に入れ荷物を回収すると、私は鍵をロッカーに差したまま部屋を後にする。
「お待たせ」
店内に戻った私はその足で優子ちゃんの元に向かう。
「お疲れ様でした。働いてるみどりさん、すっごく格好良かったです」
「そう? ありがとう」
お礼を言いながら私は、テーブルを挟んで優子ちゃんの正面の席に腰を下ろす。
日頃はバイト終わりだろうと家で昼食を取る事の方が多いのだが、今日は優子ちゃんがいるので特別にこのままここで食事をしていく事に。
まぁ、たまにだったら、別にいいだろう。
お冷とお絞りを持ってきてくれた百合さんに、私は飲み物とサンドイッチのセットを注文する。飲み物はアメリカンを選択した。
「私も同じ物をお願いします。飲み物はカプチーノを」
「畏まりました。少々お待ちください」
一礼して去っていく百合さんの背中を、私はなんともなしに目で追う。
こういう機会でないと見られない光景なので、自然と視線はそちらに引き寄せられる。
「格好いい方ですね」
「え? あ、うん」
優子ちゃんの声に、私の意識は引き戻される。
そちらを向くと、優しげな笑みを浮かべた優子ちゃんの顔がそこにあった。
「あの人がみどりさんの憧れの人ですか?
「そう。素敵な人でしょ?」
常に冷静で、それでいて茶目っ気もある。百合さんはまさに、私の中の大人の女性そのものだった。
「どこかみどりさんに通じるところがあります」
「百合さんが?」
「雰囲気とか佇まいとか」
だとしたら、素直に嬉しい。
私が百合さんを真似しているのか、似ているからお手本にしているのかは分からないが。
「このお店にはいつから?」
「働き始めたのは今年の春からだけど、初めて入ったのは去年の秋頃だったかな。何気なくふらっと入ったら感じのいいお店で、そこから通い始めて……」
今に至る、と。
「へー。何か惹かれるものがあったんですね」
「ホント。自分でもなんでその時、お店に入ったのか分からないんだよね」
後付けで色々理由は挙げられるかもしれないけど、少なくとも当時の私にそんなものはなかった。ただ気になったから、というだけで。
「運命ってやつですかね」
「かもね」
そう言うと、二人で顔を見合わせ笑う。
会話をしながら待つ事数分、私達の前にそれぞれサンドイッチと飲み物が並ぶ。
まずはコーヒーを一口。
仕事終わりの疲れた体に、コーヒーが染み渡る。
この一杯のために、バイトをしていると言っても過言ではない。
……いや、さすがに過言か。お金と社会経験、後はここで働きたいから、バイトをしている理由は主にそんなところだ。
「二人の関係は、高校の先輩後輩、でいいのかしら?」
聞くタイミングを窺っていたのか、あるいは今ふと思いついたのか、百合さんが私達にそう尋ねてきた。
「いえ、大学の同級生です。出会ったのも大学で」
その質問に、代表して私が答える。
「え? あ、そうなんだ……」
百合さんの言いたい事は分かる。優子ちゃんの見た目で私に敬語を遣っていたら、大抵の人はそんな風に勘違いするだろう。
「初対面の時に優子ちゃんが私の事を先輩だと思ったらしく、結局そのまま……」
なので、そうなった経緯をざっくりと説明する。
「あー。みどりちゃん、大人っぽいもんね」
「それだけじゃありません」
「え?」
優子ちゃんの言葉に、私は驚きの声をあげる。
他の理由? そんなのがあったのか。当事者の私ですら知らない、新情報だった。
「初めてみどりさんを見た時、私思ったんです。あぁ、この人が私の理想の人なんだって。つまり、私にとってみどりさんは憧れの人なんです」
「……そう、だったの?」
私のようになりたいとか好きだとかは言われた事はあるが、理想や憧れという言葉を直接言われた事は今の今まで一度もなかった。
これはなんというか、嬉しいというより普通に照れる。
「うふふ。ご馳走様」
そんな中、百合さんだけがなぜか一人嬉しそうに笑っていた。




