第9話(1) ルーブル
鈴の音に出迎えられるようにして、私は店内に足を踏み入れる。
「いらっしゃいませ――あ、みどりちゃん。おはよう」
「おはようございます。今日は色々とありがとうございます」
挨拶の後、私はそう口にして軽く百合さんに向かって頭を下げる。
「全然、気にしないで。それよりその子が⋯⋯」
「はい。初めまして。みどりさんの友人の大橋優子です。本日はよろしくお願いします」
私の横に並び、優子ちゃんが姿勢正しく硬さ満点といった様子で頭を下げる。
「そんな硬くならなくても。お客さんとして来てるんだから、もっと堂々としてればいいのよ」
「善処します」
私の家を訪れた時同様、すぐにはこの硬さは取れないだろう。
「じゃあ、優子ちゃん。私着替えてくるから」
「はい。頑張ってください」
優子ちゃんの励ましに微笑を返すと、私は店の奥にある【STAFFONLY】と書かれた扉の向こうに一人足を進めた。
そこはスタッフルーム兼更衣室だった。
と言っても、更衣室の要素は三つ置かれたロッカーだけ。後は部屋の中央に置かれたテーブルと四脚の椅子、そして百合さんが仕事で使うデスクと、前者の要素の方が断然大きい。というか、更衣室は完全におまけだ。
ロッカーを開け中に荷物を置くと、私は鞄から取り出したエプロンを身に付ける。
たったそれだけの事で、まるでスイッチでも押したかのように、私の頭は仕事モードへと切り替わった。
「よし」
小さくそう呟き、ロッカーを閉める。
鍵をかいそれをズボンのポケットにしまう。そして私は、部屋を後にした。
店内のお客さんは、優子ちゃんを含めて四組。その内訳は、年配の夫婦らしき男女、中年の女性の二人組、中年の男性、優子ちゃんの計六名だ。
まだ混み合っているとは言い難いが、時間的にこれから増えてくるはずだ。
「みどりちゃん、四番テーブルにお願い」
四番テーブルに座っているのは、優子ちゃんだった。
「はい」
私は返事をし、カウンターの上に置かれたお冷とお絞りの乗ったお盆を手に、そこに向かう。
テーブルの横に立ち、お冷とお絞りを優子ちゃんの前に置く。
視線が痛い程突き刺さる。
至近距離からまさに、凝視をされていた。
「ご注文はお決まりでしょうか?」
若干のやりづらさを感じつつも、私はそれを決して表には出さず業務を続ける。
「え? あ、はい。いえ、すみません。まだです」
私の言葉に答えを返しながら、優子ちゃんが慌てた様子でテーブル脇のメニューを手に取りそれを開く。
これは、一度時間を置いた方が良さそうだ。
「決まりましたら、お申しつけください」
急かしては悪いと思い、私は一礼の後、一旦その場を離れる。
カウンターに戻ると私は、何やら楽しげな表情の百合さんに出迎えられた。
「可愛らしい子ね」
「ホント。羨ましいくらいに」
女の子という言葉を辞書で引いたら、優子ちゃんの事が書いてあると思える程に、彼女はとても可愛らしかった。
「うふふ」
「なんですか?」
突然笑い出した百合さんを、私は訝しむ。
まぁこういう時は、私にとってあまり面白くない話題の時が多いんだけど。
「いや、いい関係だなって」
「?」
百合さんのよく分からない物言いに、私は首を傾げる。
どういう事だろう?
「すみませーん」
優子ちゃんの声だった。
私はその言葉を聞き終わるよりも前に、急いで四番テーブルへと向かう。
「お待たせしました」
「あ、いえ、全然待ってないので大丈夫です」
「……」
やはり、なんだかやりづらい。
とはいえ、文句を言うわけにもいかず、私はそこまで出掛かった言葉を寸でのところで呑み込むと、
「ご注文はお決まりでしょうか?」
必要以上の笑顔を浮かべる事で気持ちを無理矢理切り替え、優子ちゃんにそう尋ねる。
「あの、ブレンドとパンケーキをお願いします」
「ブレンドとパンケーキですね。少々お待ちください」
軽く頭を下げ、私はカウンターに戻る。そして、百合さんに注文を伝える。
「了解。すぐに準備するわね」
というわけで、私は近くで待機する。
それから程なくして、来客を告げる鈴の音が私の耳に届く。
「いらっしゃいませ」
そう口にしながら、出入り口の方に目を向ける。
常連の少年が立っていた。
体の線を出したくないのか、彼は常にダボついた服を着ている。思えば制服も一つ大きいサイズを着ているような……。
いや、人の趣味趣向についてとやかく言うのは止そう。私だって人の事は言えない。
「空いてる席にどうぞ」
「どうも……」
会釈をし、少年が私の前を通過する。
お冷とお絞りを少年に持っていき、ついでに注文を取る。もちろん、いつものだ。
百合さんに注文を伝えると、入れ替わる形で優子ちゃんの注文した物を受け取り、それを四番テーブルに運ぶ。
「お待たせしました。こちら、ブレンドとホットケーキになります」
カップとお皿を優子ちゃんの前に置き、私はそう告げる。
「うーん……」
「優子ちゃん?」
何やら考え込む優子ちゃん。その理由を探るように、私はその名前を呼ぶ。
「あ、すみません。ちょっと気になる事があって」
「気になる事?」
お店に関する事だろうか? それとも私に関する事?
「今来たお客さんいるじゃないですか」
「うん」
私の予想は、どちらも外れだった。後半は、自意識過剰のようで少し恥ずかしい。
「なんか見覚えがあるような……」
「会った事があるって事?」
「いや、多分そうじゃなくて、誰かに似てる? のかな?」
優子ちゃん自身もよく分かっていないようで、言いながら更に「うんうん」と唸る。
誰かに似てる、ね。
その言葉を受け、私は少年の方を見る。
確かに言われてみれば、誰かに似ているような……? それが誰かは分からないけど。