第8話(1) ようこそ、我が家へ。
私の家から一番近い場所に位置する恋嶋駅は、特別大きな駅ではなかった。
とはいえ、特別小さいわけでもなく、駅員のいない駅が少なからず存在するこの付近においては、ある意味では恋嶋駅はれっきとした【ちゃんとした】駅だった。
ロータリーの(駅から見て)右端を突っ切り、階段を登る。
五十段程の段差を登り切った先にあるのは、改札によって二つのフロアに分断された数十メートル四方の空間だった。
天井から吊るされた時計を見て、時刻を確認する。
十四時八分。
予定時間より少し早く着いてしまったが、まぁ誤差の範囲だろう。
壁際に移動し、改札のある方に視線を向ける。
優子ちゃんが乗ってくる予定の電車は、何事もなければ十四時十六分に着くはずなので、のんびり待つとしよう。
実のところ、こうして優子ちゃんを家に招くのは今日が初めてだった。
大学に行ったついでに私が優子ちゃんの家を訪れた事は何度かあるものの、その逆は今の今まで一度もない。まだ知り合ってそれ程月日が経っていない事も優子ちゃんがウチに来た事がない理由の一つではあるが、何よりのネックは時間と距離だった。
私の家から大学まで、およそ一時間半。優子ちゃんがウチを訪れるには更にもう十分程の時間が掛かるわけで、気軽に呼ぶには少し距離が有り過ぎた。
そう考えると、今回は本当にいい機会だったのかもしれない。
特に何をするでもなく過ごす事、数分。どこからともなく微かな振動と音がしてきたかと思うと、そのすぐ後電車のブレーキ音が聞こえてきた。そして、階段を登り、ホームから人が改札へと流れてくる。
その中に、優子ちゃんの姿もあった。
彼女は私に気付くと、嬉しそうな表情を浮かべこちらに手を振ってきた。
私もそれに応える。
「こんにちは、優子ちゃん」
壁際から改札前に移動し、改札を通過した優子ちゃんを出迎える。
「こ、この度は、お招き頂いて……」
「固い固い」
まるでどこぞの豪邸にでも招かれたかのようなその反応に、私は思わず苦笑を漏らす。
大体、どちらかと言うと豪邸に住んでいるのは優子ちゃんの方だろう。実際に見ていないので想像でしかないが、大学生の娘が一人暮らししているマンションがあれだけ凄いのだから、きっと実家は想像を絶する造りとなっているに違いない。いつか見て見たいような、見るのが恐ろしいような……。
「とりあえず、行こうか」
「はい」
優子ちゃんを促し、私は駅構内を後にする。
「乗り換えは上手く出来た?」
階段を降りる途中、私は秘かに心配していた事を優子ちゃんに尋ねる。
「予め調べておいたので、なんとか……」
「そっか。なら、良かった」
駅構内とはいえ、大きな駅での別会社への乗り換えは、特に慣れない駅では不安の種となりやすい。それが、迷いやすい優子ちゃんなら尚更……。
「こっちに来るのは初めて?」
「いえ、坂岸の花火大会や竜谷公園の桜祭りには年に一回ずつ来てるので」
どちらも毎年県内はもちろん県外からも多くの人がやってくる、それなりに有名なイベントだ。ちなみに、竜谷公園はここから歩いて二十分程の所にある地元の公園で、私にとってはお馴染みの場所だった。
「私も毎年行ってるのよ、その二つ」
「あ、そうだったんですね。じゃあ、実は会場で今まで擦れ違ってたかもしれませんね」
「可能性としては、なくはないわね」
とはいえ、桜祭りは期間が長いので同じ日の同じ時間に二人が会場にいる確率は低く、花火大会は日にちと時間は被っても会場がとてつもなく広いためやはり擦れ違う確率は低そうだ。仮に私達が知らず知らずの内に擦れ違っていたとしたら、それこそ運命の悪戯を感じずにはいられない。まぁ、今となっては、その事を確かめる術はないのだが。
階段を降りると、そのまま直進、線路沿いに歩道を進む。
「駅からウチまでは、歩いて約十分。私のバイト先までは、更に十分ってところかな」
「バイト先にはいつも、徒歩で移動してるんですか?」
「うん。免許はあっても車がないし、自転車は天気に左右されるから」
晴れの日なら自転車、雨の日なら歩きと変えるのが色々な意味で面倒で、結局歩きで通う事にしている。もう少し距離があれば悩んだかもしれないが、二キロ未満の道のりなら歩いて通えない事はない。
「みどりさん、免許持ってるんですか?」
「一応ね。両親の車借りてたまに運転するだけだから、全然上手くはないけど」
大学が推薦で決まったため手持ち無沙汰になった私は、学校の紹介で卒業までの期間にちゃっちゃっと免許を取得してしまった。
「そういう優子ちゃんはまだ?」
「はい。取りたいんですけど、なかなかタイミングがなくて……」
「夏休みとか長期休みに一気に取っちゃったら?」
毎日のように通えば、然程日にちは掛からなかったはず。夏休み期間なら充分お釣りが来るだろう。
「そうですね。考えてみます」
まぁ、絶対に必要なものかと聞かれたら決してそうではないので、どうしてもというわけではないが、少しでも興味があればチャレンジして欲しい。車やそれに関する法律を知るいい機会にもなるし。