ep.1 オムライス
鈴の音が、私達の入店を店主に報せる。
そこは大学近くの喫茶店だった。歩いて零分。まさに駅近ならぬ学近のお店だ。
初老の男性が一人で営むその喫茶店は、コーヒー等の飲み物だけでなくご飯系も美味しく、昼時にはよくウチの生徒と思しき若者が出没してお昼を済ましていく。
「いらっしゃいませ。空いてる席にどうぞ」
店主の渋い声に誘われるように、私達は店の奥へと進む。
席は八割方が埋まっており、選択肢はあまり多くはなかった。その中で私達は真ん中付近のボックス席を選択、そこにテーブルを挟んで向かい合う形で座る。
早速メニューを開き、それに目を通す。
このお店で評判のご飯系は主に二つ。オムライスとカレーライスだ。どちらも食べた事があるが、もちろん味に優劣は付けられない。個人的な好みにおいても両者は全くの互角で、私はいつも悩みに悩んだ末に片方を切っている。
よし。決めた。
メニューから顔を上げると、優子ちゃんはまだ悩んでいるようだった。
私はその間にカウンター横の給水機まで行き、二人分の水をプラスチックのコップに汲む。
喫茶店では珍しく、このお店の水はセルフサービスとなっている。まぁ、店主が一人でやっているお店なので、そこまで手が回らないのだろう。
席に戻ると、まずは優子ちゃんの前に「はい」と言ってコップを置き、自分はコップを手にしたままソファーに腰を下ろす。
「あ、すみません」
「ううん。それより決まった?」
「はい。お待たせしました」
優子ちゃんの返事を待って私は、「すみませーん」と店主を呼ぶ。
程なくして店主が席までやってきた。
「ご注文ですか?」
「はい。私はアイスコ―ヒーとオムライスを。優子ちゃんは?」
「私はアイスミルクティーと、同じくオムライスで」
「……畏まりました。少々お待ちください」
一礼の後、店主が立ち去る。
店主の対応は決して愛想がいいとは言えない。しかし、それを不快に思わせないのは、当人の雰囲気が職人然というかマスター然としているからだろうか。
コップを口に運び、水を飲む。
普通の水なのに、こういう所の水は美味しく感じるから不思議だ。
このお店は一人で切り盛りしている事もあって、料理が出てくるまで時間が掛かる。なので、二時限目と三時限目、その両方の講義を取っている日は注意が必要だ。
「オムライスって、綺麗に作るの難しいですよね」
「色々なやり方があるみたいだけど?」
「例えば?」
「卵を被せるんじゃなくて卵にチキンライスを乗せたり、フライパンの端に寄せてからお皿に乗せたり、ラップを使ったり、とか」
探せば他にもあるかもしれないけれど、私が知っているのはそれぐらいだ。
「へー。そんな方法が……。今度試してみますね」
そう言って優子ちゃんが笑う。
優子ちゃんの手料理か……。食べてみたいのはもちろん、料理しているところを後ろから眺めたい。エプロン付けて、きっと可愛いんだろうな。
「みどりさん?」
「ん? あぁ、ごめんごめん」
本人が目の前にいるというのに、ついつい妄想に花を咲かせてしまっていた。二重の意味で失礼な行為だし、気を付けよう。
「上手く出来たら教えてね」
「はい。写真撮って送ります。いつになるかは分かりませんが……」
「大丈夫よ。そんなに難しい料理じゃないし」
「お待たせしました」
「ッ」
まるで見計らったようなタイミングで掛けられた店主のその声に、私は思わず息を止めた。
「こちら、アイスコーヒーとアイスミルクティーになります」
そう言って、私達の前にそれぞれ飲み物が置かれる。
「ごゆっくりどうぞ」
お辞儀をし、カウンターへと戻っていく店主の背中を見送りながら、私はほっと息を吐く。
「凄いタイミングでしたね」
「聞かれてなければいいけど」
特に反応らしい反応は見られなかったが、だからと言って安心は出来ない。私も接客業をしている人間の端くれ。お客さん同士の会話に反応を示さないのは、接客の基本中の基本。さっきのも、あえて店主が聞こえなかったふりをしている可能性だって大いにある。
まぁ、基本があれば当然応用もあるので、時と場合、後は関係性によってはお客さん同士の会話に反応をするのも決して間違いではないのだが。
動揺した心を鎮めようと、私はアイスコーヒーを口に運ぶ。
プラシーボ効果もあるだろうが、お陰で心が少し落ち着いた、ような気がする。
「そう言えば私、明日のためにパジャマを新調したんです」
私を気遣ってか、それとも場の空気を換えるためか、あるいはその両方か。優子ちゃんが今までの会話と全然関係ない話を、私に振ってくる。
「へー。どんなの?」
私にとってもそれは有り難く、渡りに船とばかりに話に乗っかる。
「モコモコ素材のショートパンツと長袖のトップスなんですけど、なんとトップスの方にはウサ耳パーカーが付いてるんです」
「……」
想像してみる。ウサ耳パーカーを被った優子ちゃんを。
「可愛くないですか?」
「可愛い。絶対に可愛い」
出来れば後ろから抱きしめたい。膝枕なんかもありかもしれない。お風呂から出たら、ダメ元で頼んでみよ。
「楽しみね、明日のお泊り」
「はい。それはもう」
本来の目的は優子ちゃんのバイト見学の方だが、お泊りはお泊りでもちろん楽しみたい。
優子ちゃんをもてなせるよう、精一杯頑張ろう。
……ちなみに、その後出てきたオムライスは非常に美味しく、素人には真似出来ないまさにさすがプロといった味がした。いや、おべっか等ではなく、本当に。
第二章 大学の友人 <完>