第5話(2) 視線
大学の講義を退屈と感じる人も多くいるらしいが、私はそうは思わない。
自分が知らなかった話を聞くのは興味深いし、知っている話でも話す人によってその理解度や考えは違っていてそれはそれで面白い。
……後は、折角お金を払っているのだから、真面目に聞いておかなければ勿体ないという俗物的な考えもあると言えばあるのだが。
「優子ちゃん」
机にうつ伏せ眠っていた優子ちゃんの体を、私は優しく揺する。
「ふぇ」
妙な声と共に、優子ちゃんが勢いよく起き上がる。そして、起きるなり彼女は、辺りを素早くキョロキョロと見渡し始めた。
「あー。えーっと、おはようございます」
ようやく自分の置かれた状況を理解したのか、優子ちゃんが私を見てそう挨拶をする。
「おはよう、優子ちゃん。何度も起こしたんだけど、今日は余程眠りが深かったのね」
「あはは……」
私の指摘に、優子ちゃんが苦笑いを浮かべる。
「また夜更かし?」
「あー。はい。昨日はなんだか寝付けなくて、気分を変えるために本を読み出したら、それが止まらなくなっちゃって……」
「漫画? 小説?」
「小説です」
優子ちゃんが小説のタイトルと作家名を教えてくれたが、生憎私にはどちらも聞き馴染みがなかった。
「まぁ、そんなに有名な作家さんじゃないし、ライトノベルはみどりさん範囲外ですもんね」
「なんかごめんね」
アニメ化等で話題になった作品は嫌でも耳に入ってくるが、それ以外は……。
「いえ、気にしないでください。好みは人それぞれですし、まだこれからの作家さんなので」
そう口にする優子ちゃんに気を悪くした様子は微塵もなく、むしろ知らない方が当然と言わんばかりの反応だった。
勉強用具を鞄にしまい、私達は席、そして教室を後にする。
廊下を歩き、次の教室に向かう。
「あ、そうそう。両親に聞いたら、お泊りオッケーだって」
時間がなくて授業前に伝えられなかった事を、私はこのタイミングで優子ちゃんに伝える。
「え? 本当ですか? やったー」
私の話に、優子ちゃんが本当に嬉しそうな声を挙げる。
「いつにする? ウチはいつでもいいけど」
「今週、でもいいですか?」
「もちろん。両親にもそう伝えておくね」
後は、百合さんにも一応断りを入れておかなければ。
特別な事をしてもらうつもりはないが、自分のバイト中に人を連れていくのだから黙ってというわけにはいかないだろう。
「お泊りするに当たって、何か必要な物ってありますか? あ、菓子折り。菓子折り持ってていた方がいいですかね」
「菓子折りって、結婚報告じゃないんだから……」
優子ちゃんの突飛な発言に、私は思わず苦笑を漏らす。
そんな仰々しい物はいらない。仮に何かを持っていくとしたら、こういう場合千五百円前後のバームクーヘンとかで充分だ。
「結婚……」
「優子ちゃん?」
何やら呟く優子ちゃん。その名前を私は、疑問符を付けて呼ぶ。
「はっ。べ、別に、変な事は何も考えてませんから」
「変な事?」
とは一体? ウケ狙いの手土産でも考えていたのだろうか? そう言えば、スイカ型のバームクーヘンなんて物があるらしいが、さすがにアレは高過ぎる。四・五千円する物を持ってこられても、逆にこちらが困ってしまう。
「いい? 優子ちゃん。上限は二千円までだからね」
優子ちゃんの家はいわゆるお金持ちで、彼女の金銭感覚は若干一般人のそれからズレている。なので釘を刺しておかないと、五千円以上の物を平気で持ってきそう、というか、まず間違いなく持ってくる。前科もある事だし……。
「え? 二千円? 何が?」
「何って、手土産の話でしょ?」
「あ、はい。そうでした。手土産。何にしようか、ホント迷っちゃいますね」
「まぁ、手ぶらでも別にいいしさ、気楽な気持ちで来てよ」
と言っても、初めての家なんて緊張して当然、するなという方が無理な話だ。私でも多分そうなる。
「うふふ。楽しみだなー、お泊り」
「……言っとくけどウチ、普通の家よ」
あまり過度な期待を持たれても、実物とのギャップにがっかりされるだけだ。
「家の大きさや豪華さなんて関係ありません。みどりさんの家というだけで価値があるんです」
「なるほど?」
よく分からないけど、そういうものらしい。
優子ちゃんは出会った当初からなぜだか異様に私の事を買ってくれており、買い被りではと思える程褒めたり持ち上げたりしてくれる。
彼女に私はどう見えているのだろう? あばたもえくぼ、恋は盲目、的な?
……どちらもまぁ、似たような意味ではあるのだけど。