第1話(1) 私の日常
扉が開いた気配を察し、空いたテーブルをちょうど拭き終えた私は振り返る。
程なくして、来客を告げる鈴の音が店内に響き渡り一人の少年が姿を現す。週に何度か見掛ける常連さんだ。
「いらっしゃいませ」
カウンターの前まで行き、私は少年を出迎える。
「お連れ様なら、奥でお待ちですよ」
「どうも」
私に会釈をし、少年が店の奥へと足を進める。
奥の席では、女の私でも思わず見惚れてしまう程綺麗な、長い黒髪の少女が一人でお茶をしていた。そこに少年は近付き、何やら言葉を交わした後、テーブルを挟んで彼女の前に腰を下ろす。どちらも制服姿。学校帰りに二人は、このお店に寄ったようだ。
「ご注文はお決まりでしょうか?」
カウンターに戻り、お冷とお絞りを手にしてから、彼らの座る席に近寄る。
「アメリカンを」
少年はメニューを一度も見ず、そう告げる。いつもの、彼のお決まりの注文だった。
「畏まりました。少々お待ちください」
私は頭を軽く下げ、その場から離れる。
注文をカウンター内の百合さんに伝えると、私はその脇に立ち、こっそり彼らの様子を伺う。
二人は本当に仲睦まじく、その様子はまるで姉弟のようだ。楽しげに明るく話す姉と、そんな姉の話を落ち着いた様子で聞く弟。
しかし、二人の関係が実はそうではない事を、私はすでに知っていた。
どうやら、二人は付き合っているらしい。しかも、たまに漏れ聞こえてくる話から察するに、同じ屋根の下で一緒に生活をしているようだ。同棲……はさすがにないと思うので、何か特別な事情があるのだろう。実は親戚関係とか、親同士が知り合いとか。
なんにせよ、羨ましい限りだ。
彼らの様子を見ていると、本当に恋人が欲しくなる。
ここで働き始めたのが先々月。それまで私は、特に彼氏が欲しいとは思わなかった。
もちろん、いたらいいなとは思っていたが、それはただの願望で、現実的に今すぐどうという話では全くなかった。しかし、実際に幸せそうにしているカップルの現状を見せつけられ、その考えは大きく変わった。
今私の中には、恋人が欲しいという思いが湧き上がっている。それも強く。
「みどりちゃーん。これお願い」
「はい」
カウンターの上に置かれたカップをお盆の上に移すと、私は再び彼らの元に赴く。
「こちら、アメリカンになります」
少年の前にカップを静かに置き、注文票を筒の中に入れる。
「ありがとうございます」
私の目を見て少年が、爽やかな笑顔でお礼を言う。性格の良さがにじみ出た、本当のイケメンにしか出来ない笑顔だった。
この笑顔、巷に蔓延る似非イケメンに見せてやりたいものだ。きっと格の違いを思い知り、二度とイケメン気取りの言動を取れなくなる事だろう。
「ごゆっくりどうぞ」
そんなアホな思考はおくびにも出さず、私は一礼の後すぐさまカウンターへと戻る。
店はそれなりに混雑している。こんな所で油を売っている暇はない。
「可愛いわよね、あの二人」
カウンターに戻るなり、百合さんがそう私に話し掛けてくる。
どうやら、油を売っている暇はあったようだ。
「若いというか、本当に毎日が楽しそう。私にもあんな時代あったのかしら」
「……」
百合さんはそんな事を言っているが、彼女の見た目はもの凄く若く、見ようによっては私と同い年ぐらいに見えなくはない。もうすぐ三十という話だが、本当なのだろうか。
「って、ごめんなさいね。みどりちゃんもまだ大学一年だものね。私と一緒にしたら失礼よね」
「……」
グサリと、百合さんの何気ない言葉が私の胸に突き刺さる。
彼女に悪気はないのだろうけど、綺麗で若々しい年上の女性からそのような事を言われると、地味で垢抜けない私のような人間にはやはり厳しいものがある。
百合さんが、黒いパンツに白いシャツそれに黒いベストという、バーテンダー風の出で立ちをしているので辛うじて、黒いスカートと白いブラウス姿の私が年下に見えるというだけで、同じ格好をしたら……考えただけでも恐ろしい。
百合さんには大人びた格好が似合う。当分の間、出来れば私がいる間は、制服の変更はなしの方向でお願いしたい。
「そう言えば、最近来出したあの子も可愛いわよね」
「いいんですか? 店員がお客さん相手にそんな事言って」
百合さんの言うあの子とは、先月から急にこのお店に来始めた男の子の事だろう。彼も学校帰りに寄っているようで、平日にはよく制服姿でこのお店を訪れている。学校は今いるカップルと同じ所らしく、彼氏の方と同じ制服を着ている。
大体、週に三回程だろうか、彼がこのお店に来るのは。
「全体的に小さくて華奢で、ちょっと女の子っぽいわよね、彼」
「そういうの、本人の前では言わない方がいいですよ。気にする子多いんですから」
「はーい」
私の忠告に、百合さんがまるで年下のそれのような返事をする。これでは、どちらが年上か分からないではないか。止めてくれ。
とはいえ、百合さんの言う事も分かる。彼は背が低く線が細いため、一見すると女の子と見間違えてしまう容姿をしている。もし女子の制服を着て来店したら、私はなんの違和感も覚えずそのまま店内に通す事だろう。そのくらい可愛らしい子だ。
「今日は来るのかしら?」
「火曜日なんで、今日は来ないんじゃないですか」
「ふーん。来る曜日覚えてるんだ」
「あれだけしょっちゅう来てたら、嫌でも覚えますよ」
なぜか口元を緩めこちらを見つめてくる百合さんに困惑しつつ、私は事実をただ有りのまま伝える。
他意はない。本当に。