異国の召使は、 坊ちゃんだけの 甘々王子様(プリンス)(坊ちゃん編)
※本作品は、pome村<@pomemura_>様がX(Twitter)で行った、以下のイラストによる「#イラストを投げたら文字書きさんが引用rtでssを勝手に添えてくれる」企画にて、当方が作成したSSに、加筆修正を行ったものです。ご本人の承諾を得た上で、web小説の扉絵としての利用、飾り枠等の追加を行っております。
ジャマルは先の戦で父上が拾ってきた召使だ。
目鼻立ちが涼しげなので、身分があるのだろうと捕虜にしたが、身代金を払おうと名乗り出たものはいなかったらしい。
以来、僕の家で薪割りや荷運びなどの下働きをしている。
肌の色が異なり、言葉が通じないジャマルは、ほかの使用人からもなんとなく遠巻きにされていたが、温和な性質のようで、文句ひとつ言うこともなく、日々黙々と働いていた。
使用人の食事の輪に入れてもらえないのか、薪小屋の裏手の木の階段に腰をかけて、ひとり堅いパンをかじっていた。
彼が来るまでそこは、父上の不義の子として冷遇されている僕が、一人で本を読んでいた場所だった。
「どけ」と言えば彼はどくだろう。でもそうしたら彼はどこに行く?
僕は黙って木の階段の端に座り、本を読み始めた。
彼はちらりとこちらの様子をうかがったが、僕が何も言わないのを見て、黙ってまたパンをかじった。
そんな日が続くうちに、僕たちの距離は少しずつ近づいて、そしていつの間にか、少しずつ話すようになった。
「キッチンで食べないの?」
「そとに、いけ、言われた」
気の毒になった僕が眉をひそめると、ジャマルは首を振った。
「ここ、しずか。ぼっちゃん、おこらない」
「ハリエットだ」
「ハリエット、ぼっちゃん」
ジャマルは、真っ黒でつぶらな瞳を細めてほほ笑んだ。
身振り手振りでは物足りなくなった僕は、オリエントの言葉や文物について書かれた本を持ってきて、一緒に読んだ。
最初のうちは、隣に座って。
そのうちに、膝の間に抱っこしてもらい、後ろから本を支えてもらって。
書斎にある本は、たいていが大きく古びていて、僕の膝からはみ出し、持っているだけで重いのに、完全に開くと背表紙が割れてしまいそうだったのだ。
ジャマルの手は、痩せて骨が浮き出ていたけれど、僕の手よりもずっと大きくて、しっかり本を支えてくれた。
色刷りの口絵には、赤茶色の岩で築かれた巨大な神殿が描かれていた。
「きれいだなあ。ジャマルの肌みたいだ。ここに行ったことはある?」
「ない。ここ、アル・ブトラ。むかしの国。ここ、大きい。さいごまで行くの、何日もかかる」
「ジャマルはどこから来たの?」
「ココ」
ジャマルが地図をさす。スルタンのしろしめす偉大なる都だ。
どんな暮らしを送っていたのだろうか。
ジャマルは、帰りたいとも言わなかったし、自分からは故郷のことをあまり語らなかった。
「太陽」
「アフタブ」
「動物」
「ハイワン」
興味のおもむくまま、僕はジャマルの国の言葉を学んだ。
「わたし」
「…いいかたいっぱいある」
どうやらジャマルの国の言葉は、格変化が多数ある面倒なタイプのようだった。これは単語を少々教わるだけではどうにもならない。
どうせ領地経営も教えてもらえない庶子なのだ。暇と知的好奇心にまかせて、僕は部屋に戻っても独学でジャマルの国の言葉を学んだ。
「優しくてきれいなハリエット坊ちゃん……」
「ハリエット坊ちゃん、大好きです。ずっとそばにいられたら……」
ジャマルが僕を膝に抱えながら、時々つぶやいている独り言の意味がわかるようになったのは、数か月後のことだった。
◇ ◇ ◇
言葉がわかるようになったことを、僕はジャマルに言えなかった。
「私の大切な坊ちゃん……」
後ろからそっと聞こえるささやきは、僕だけの宝物のように思えたし、いつもはたどたどしいジャマルの言葉が、低く深い声で滑らかに聞こえてくると、それが僕の胸の中に響いて、のどが詰まったように何も言えなくなってしまうのだった。
代わりに僕は、この国の言葉をジャマルに教えた。
大きくて重たいオリエントの書物の代わりに、子ども向けの教本を持ってきて、一緒に読んだ。
「月曜日、火曜日……す、す……」
「水曜日だよ」
◇ ◇ ◇
そんなある日、事件が起こった。
いつものように薪小屋に向かおうと、屋敷の裏手を通りがかると、勝手口の脇で、ジャマルが使用人に取り囲まれているのが見えた。
「お前がやったに決まっているだろう!」
ジャマルは必死に首を振って何やら否定していたが、使用人頭は構わずジャマルの横っ面を張り飛ばした。
おそるおそる様子をうかがってみると、銀のスプーンが一本なくなっており、ジャマルはどうやらその罪を着せられているようだった。
「ちがう、わたしではない。やっていない」
ジャマルはキッチンメイドの一人を指さしたが、それはかえって周囲の怒りをあおった。
「あたしが盗んだって言うの!? もう何十年もこのお屋敷で働いてるんだよ!」
「何を言っているんだ!」
「ちがう、ちがう」
僕はジャマルを取り囲む使用人の輪に潜り込んだ。
「どうしたんだ?」
「ハリエット様。こんなところに何の御用ですか」
使用人頭の口ぶりは、恐縮しているようでいて、口を突っ込まないでほしいという意図が滲んでいた。
「何があったの、ジャマル」
「坊ちゃん」
僕がジャマルの母国語で話しかけると、一瞬驚いたように目を見開いたが、すぐにスラスラと話し始めた。
やはり、言いたいことがあるのに言葉ができなくて、うまく説明できなかったのだ。
「……なるほど。皆、僕についてきてくれ」
話を聞いた僕は、キッチンを抜けて使用人用の階段に向かった。
手すりの間から地階を覗き込むと、地下の蔵に、木箱が積み上げられているのが見下ろせた。
その隙間から、銀色の小さな光がきらっと輝いている。
「上の食堂と行き来する時に、彼女が落としたのが見えたそうだよ」
ジャマルもその時別の作業があり、いずれ気づくだろうと思って忘れてしまったそうだ。
使用人たちに謝らせ、ジャマルを薪小屋まで連れてきて解放してやると、彼は地面に片膝をつき、胸に手を当てて僕に深々と頭を下げた。
それから僕の右手を両手で捧げ持ち、目を閉じて額に当てる。
「貴方こそ私の真の主。命の限り、我が愛と我が魂を捧げます」
深く、低く、呪文のような異国の言葉を唱えると、ジャマルは目を開けて僕を見上げた。
どこか寂しげだった黒い瞳が今、黒玉のような輝きを宿して、僕のまなざしをまっすぐに見つめ返している。
「許す、とおっしゃってください」
「……許す」
僕の手は震え、頬は高熱に浮かされたように火照っていた。
「ありがたき幸せ」
ジャマルは、うやうやしく僕の手をおしいただくと、そっと額に押し当てた。
◇ ◇ ◇
驚いたけれど、たかが11歳の庶子と下僕で主従の礼を交わしたところで、何か大層なことが起きるわけもない。
僕は相変わらず薪小屋でジャマルの膝にすっぽりと収まりながら、自分の読みたい本を読み、時にはジャマルに言葉を教えた。
僕が言葉をわかっていることが知られてしまったためか、ジャマルが母国語で独り言をつぶやくことはなくなった。
代わりに「ぼっちゃん、ものしり」「ぼっちゃん、ほんをよむのじょうず」などと言ってほめてくれた。
しかしささやかだが幸せな日々は、そう長くは続かなかった。
「ジャマル、お別れを言わなければならない」
僕は秋から寄宿学校に入らなければならないのだ。
「手紙を書くよ」
涙で目をしばたたかせながら言うと、ジャマルは首を振った。
「お屋敷の人に捨てられます」
それは確かにそうだった。手紙はすべて執事がチェックする。下僕宛ての手紙なんて届くわけがない。
「でも……」
これでもう、ジャマルと何年も会えなくなるなんて……。
兄上は乳兄弟と一緒に寄宿学校に行った。令嬢であれば側仕えを連れて行くこともある。
けれど、僕もジャマルも、そういうことが許される身分ではない。
悲しみに押しつぶされそうになって黙りこくっていると、ジャマルがこの前のように僕の足元にひざまずいた。
「ひとつだけ、お願いをきいていただけますか?」
そして僕の手を取ると、黒玉のような瞳で僕を見上げた。
「私が、夢を持つことをお許しください」
「え……?」
どういうことかわからず戸惑っていると、ジャマルは優しくほほ笑んだ。
「いつか貴方にふさわしい男になって、お迎えにあがる夢を持つことを」
「……許す」
ジャマルは目を閉じて、僕の手の甲にそっと唇を当てた。
◇ ◇ ◇
見送りの中に、一介の下僕であるジャマルの姿はなかった。
走り出した馬車の中で、僕はかばんを抱きしめて、押しつぶされそうな思いに涙をこらえた。
屋敷の敷地を抜けた馬車が、ガラガラと乱暴な運転で土手を大きく回り込んでいく。
「ハリエットぼっちゃん!」
ハッとして窓から身を乗り出すと、土手の上に褐色の肌をした、背高のっぽが見えた。
「お元気で! まっていてください! かならず、おむかえに行きます!」
ジャマルは笑っていた。大きく手を振って、黒い瞳をきらきらと輝かせながら。
「ジャマルーッ」
僕は馬車の音に負けまいと、遠ざかっていく姿に向かって、涙を風に飛ばしながら力の限り叫んだ。
◇ ◇ ◇
寄宿学校では、身分の低い庶子は下僕だ。上級生どころか同級生の使い走りに荷物持ち、時にはいたずらの罪をかぶることもある。
僕は、口ごたえをすることもなく、ひたすら彼らの言いつけに従った。
そして、屋敷にいた時のジャマルもこんな気持ちだったのだろうかと思った。
時々、深夜に上級生の部屋に呼ばれ、声を殺して泣きながら帰ってくる気配を耳にして、僕にもいずれお呼びがかかるのだろうかと、怯えながら毛布をかぶった。
けれど、さげすまれ、こき使われることあっても、どうやら僕はそういう対象にはならないようだった。
代わりに上級生に乱暴に肩を抱かれて、物置小屋に消えていったのは、新興貴族の家の子たちだった。
僕は理解した。
屈服させる必要のある立場の者が、狙われるのだと。
居場所を奪われるのをおそれるからこそ、人生の早い段階で序列を決めたがるのだ。
僕は、ほかの皆の居場所は奪うつもりはない。
だからどうか、僕のことをそっとしておいてほしい。
言われるがままに雑用をこなし、良くも悪くもない中くらいの成績を維持し、一人になりたい時は上級生の目の届かない場所を探して、息をひそめて暮らした。
勉学は僕の孤独を癒してくれたが、ジャマルの膝の上で本を読んでいた時が、思えば一番幸せな勉強時間だったかもしれない。
どうして自分は、そこまでして息を潜め、逃げ続けているのだろうか。
そんな思いが時折よぎる。
監督生がわざとこぼしたホットチョコレートを拭きながら考えていると、上から二杯目が降ってきて頭にかかった。
クスクスという笑い声、冷めながらボタボタと髪から垂れ落ちる茶色の雫。
僕が、僕のおそれている何事かをされてしまったとしても、どうでもいいことではないのだろうか。
いや、仮に死んでしまったとしても、誰も困らないのだ。
心を粉々に砕かれて、寄宿学校をひっそりと去っていく生徒の後ろ姿を窓から見送りながら、どうして自分はそうならないのだろうか、と不思議に思った。
その度に思い出すのは、遠い日のジャマルとの約束だった。
「私が夢を持つことをお許しください」
その時は、なぜそんな言い方をするのだろうと不思議に思ったが、今の僕にはわかるような気がした。
「必ず、お迎えに行きます」
僕を慰めるための、その場限りの言葉かもしれないし、ジャマル本人ですら、そんな約束は忘れているかもしれない。
最初のクリスマス休暇に帰省した時、ジャマルは、すでに屋敷を辞めてどこかに去ってしまっていた。
遠い日のおとぎ話だ。
どこか遠くで幸せに暮らしているのならば、きっとそれでいい。かたくなに信じてそれにすがるのは、ジャマルにも迷惑だろう。
スルタンのしろしめす遥かなる都、青と水色の絵の具を溶き混ぜたような空、行けども行けども果てぬ赤き砂岩の遺跡──。
そこでターバンをかぶり、長い衣を風になびかせているジャマルを想った。
「いつかジャマルが迎えに来るかもしれない」という空想は、確かに僕の命をつないだ。
寄宿学校を卒業した後、大学では会計学を学んだ。
取りたてて関心があったわけではなく、伯爵家のほかの兄弟とかぶらず、偉くなりすぎることもなく、生きていくのに困らない。そういう条件で考えたところ、それしか残らなかったのだ。
庶子の僕が外交官になれる見込みはなかったが、オスマン帝国語の勉強も続けた。
異国の言葉に触れるたびに、背中から僕の耳元に聴こえてきた、ジャマルの低く滑らかな発音が聴こえてくるような気がした。
◇ ◇ ◇
──ジャマルとの別離から11年後。
22歳になった僕は大学を卒業した。
小さなかばん一つに荷物をまとめて、慣れ親しんだ寮の玄関を出ると、伯爵家が用意した古ぼけた馬車が停まっていた。
出迎えは御者ひとり。執事もフットマンもいない。
乗り物を手配してくれただけ、まあいいと思おう。
諦念とともに石段を降りようとすると、横から声をかけられた。
「ハリエット坊ちゃん」
──まさか。そんなはずはない。
何度も何度も、繰り返し思い出していた声。
それが現実に聴こえてくることが、あろうとは。
誰もいなかったら?
聞き間違いだったら?
おそれを抱きながら、それでも突き動かされるような想いにあらがえずに振り向くと、シルクハットの立派な紳士が立っていた。
白い手袋にぴかぴかのステッキを持った紳士は、優雅な手つきでシルクハットを脱いでお辞儀をした。
異国の古代神殿のような美しい褐色の肌と、涼しげな目鼻立ちが現れる。
「お迎えに上がりました、我が主」
完璧なクイーンズイングリッシュ。
痩せてどこか寂しげに見えた顔立ちは精悍さを増し、ぱさついて跳ねていた髪はていねいに手入れされていたが、黒くつぶらな瞳の輝きは、別れの日と変わらぬ、優しい光を宿していた。
「本当に……ジャマルなのか……?」
「お約束したでしょう? 必ずお迎えに参りますと」
僕が言葉を失って呆然としていると、ジャマルは流れるような仕草で僕の手を取り、首を傾げてほほ笑んだ。
「遅くなって申し訳ありません。命ある限り、我が愛と我が魂を捧げます」
唇が震え、千夜一夜では足りぬほど学んだはずの帝国語が出てこない。
「許す、とおっしゃっていただけますか?」
言葉を失っている僕に、ジャマルが穏やかな声で承諾の仕方を教えた。
熱い涙が頬を濡らすのは、別れの日以来のことだった。
「……許す」
ジャマルはにっこりと笑って僕の手の甲に口づけすると、そのまま手を取って車寄せへと誘った。伯爵家の馬車の前に、立派なタウンコーチが停まっていた。
それから僕たちは、一緒に馬車に乗ってケンブリッジからロンドンへと向かい、ドーバーからカレーへと渡り、パリを経由してマルセイユまで行った。
僕は生涯、イギリスに戻ることはなかった。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
日頃は、ムーンライトノベルズでR18のBL小説を書いています。
しかもかなりどエロイので、こんなキヨラカな全年齢BLを書くのは初めてです。
感想や評価、レビューなどいただけますと、とても励みになります!!
また、「ジャマル編」もアップしましたので、そちらも見ていただけると嬉しいです。
BLがお好きな成人の方は、よろしければムーンライトノベルズのほうものぞいてみていただけると幸いです。
ありがとうございました。