胎児語保存
産婦人科で働いている看護師のあかねさんは、間もなく母親になるであろうケイさんの担当を努めている。
今が一番体に用心しなければいけない時期なので、ケイさんに付き添う時は本当に気を付けて行動していた。
ケイさんが病室を移動する時には、段差や階段、曲がり角等では最も用心が必要となる。
「何か必要な物はありますか?
お買い物は深夜でも構いませんので、遠慮なさらず思いきり甘えて下さいね」
あかねさんは嫌な顔を一切しないで、妊婦のケイさんの気持ちに寄り添おうとする。
他の看護師の人もやはり思いやりがあるのだが、あかねさんの気遣いには普通を越えた優しさが宿っているのだ。
「いつも助かります。
あかねさんの言葉には心が強くなる魔法がありますね」
幸せを噛み締めながら、ケイさんがあかねさんに気持ちを伝える。
『魔法』なんて云われてあかねさんの気持ちも幸せに満たされていく。
「何を仰いますか!
とんでもないですう」
「本当ですよ。
他の妊婦さんや患者さんも、あかねさんは医療現場の魔法使いだって云ってます」
「私が魔法使いなら、他の看護師の皆さんや先生は神様ですよ……ん?」
笑っていたあかねさんが突然真顔になり、ケイさんのお腹を見詰め出した。
そしてお腹の一番膨らんだ部位に手を当て、耳をすませる。
「あかねさん、どうかされました?」
急な事に、ケイさんの表情が少し固くなった。
「ケイさん……お腹の中の子、もう産まれてきます」
「ええっ?
予定では、来月だって……」
「お腹の中にいる子が、出たがっています。
私、先生を呼んできますね!」
展開についていけず、ケイさんはそのまま分娩室へ移動させられていた。
準備を進めている看護師の方々、それに先生もまた言葉を失っていた。
「橋場の云う通りだ。
間もなく産まれる!」
橋場とは、あかねさんの性だ。
分娩室にはあかねさんも加わっていて、ベッドで横たわるケイさんを優しく見守っている。
【はやくここからでたいよ!
あかるいばしょにはやくいきたい】
ケイさんの中から、これから産まれてくる子の声が、あかねさんにはしっかり聞こえている。
【もうすぐいくね】
(元気で優しい男の子……ケイさんみたいな優しい子)
あかねさんの脳内イメージでは、ケイさんを幼くした感じの赤ん坊が思い描かれている。
(頑張って……!)
【いま、でるね!】
ケイさんが産んだ赤ん坊は、元気な産声を弾かせた。
産声は分娩室の外で待つケイさんの旦那さんにまで聞こえ、無事に出産出来たことが分かった。
【はじめまして!
よろしくね!】
「おめでとうございます。
元気な男の子ですよ!」
あかねさんは、抱いた赤ん坊をケイさんに見せた。
ケイさんは優しい我が子とあかねさんの笑顔で力が湧いてきた。
(二人とも、そっくりな笑顔!)
胎児の時の言葉を保存しておいて良かったと、あかねさんは安堵した。
胎児の時の言葉を記憶している人は、果たして存在するのでしょうか?