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最高神の〝依代〟 〜転生後も不遇で虐げられた公爵子息の、最高神成り上がり譚〜  作者: 青波希京
第二部 第三章 かりそめの楽園へ

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55.無事の帰還を誓って

 神や精霊が受肉する。

 それは、神気で形作られていた上位の存在から、肉の器に囚われる下位の存在に押し込められるに等しい。


 ゆえに、上位の存在たちは、受肉という選択を取らない。天から人間たちにお告げを下し、それで引き起こされる悲喜交々を他人事で眺めている方が、圧倒的に楽で愉しいからだ。

 いや、もっと言えば。受肉の「欠点」が、看過できないほど致命的であるのだと。


 ルクサリネを壁際まで蹴り飛ばした『知恵と魔法の女神』は、そう説明しながら振り向いた。


「仮の肉体ですから、受肉前の性能とは比べるべくもないんです。でも、もっと厳しいのは、()()()が悪過ぎて、失った魔力がなかなか回復できない点です」

「伝導率……?」

「もちろん、普通の人間よりは遥かに魔力を持っていますが、それだけ。あの人、今は、意識を保つだけでやっとだと思いますよ」


 あなたの前では虚勢を張っていたんだと思います。と、冷笑しながら、うずくまったまま動けないルクサリネを一瞥する。

 それから、入り口で動けないままのテオドアの方へ、ぱたぱたと駆け寄ってきた。


「ああ、やっとお連れできます! この時を待ち侘びていました!」


 真正面から飛び込んできて、甘えるようにしなだれかかる。

 受け止めもせず抱きしめることもせず、棒立ちのままのテオドアに、王弟は皮肉げに言った。


「お盛んですねえ。美しい精霊に飽き足らず、女神の心まで射抜いてしまわれるとは。さすが、運だけで成り上がった人間だ。性根の卑しさが透けるようです」

「勘違いするな、穢れた王家の人間」


 テオドアに寄りかかったまま、『知恵と魔法の女神』は、低く不快げな声音で言った。

 王弟の方を振り向いたため、表情は見えないが、おそらく睨みつけているのだと思う。


「あなたのような血筋の者に協力したのは、あくまで彼を手に入れるため。あなたやあなたの血族に価値などない。彼への無礼は赦さない。一族ともども殺されたいか」

「おお、恐ろしいことです。ですが、貴女の目的を達するためには、私とパウロベルトの命だけは見逃していただかないと。分かっておいででしょう?」

「……冥界に降りてきた時が楽しみです」


 明確な脅しだったが、フィラットは怯えるふうもなく、肩をすくめて笑った。

 『知恵と魔法の女神』は、気を取り直したように顔を戻した。


「あんなもののことはどうでもいいんです。さあ、行きましょう、テオドアさん」

「……王さまや、姿の見えない他の人たちは、無事なんでしょうか?」


 彼女は、「どうしてそんなことを聞くのだろう?」とばかり、首を傾げた。

 その他の人間のことなど、まったく眼中に無いようである。


「無事ですよ? 転がっている国王も、お城の人間も、眠らせているだけです」

「なんのために」

「それは」

「――決まっているでしょう。私が王となるためです」


 二人の会話に割り込んできた王弟は、気絶した国王の顔に剣先を突きつけながら、朗々と言った。『知恵と魔法』の不機嫌そうな様子など、気にも留めない。


「私が王になれず、この愚鈍な兄が王となったのは何故か。ひとえに、忌々しい『長男継承』のしきたりがあったためです。――まあ、王の座への渇望は、年を経て少なくなったと自負していますが――なれるものならなりたいでしょう?」


 人間は欲望の塊ですからね、と、彼は続ける。


「唯一の子どもが随一の実力を持っていたにも関わらず、女であったのは残念でしたが。素晴らしいことに、適齢期の男児を二人も産んでくれました。これなら、私が王になったあとも、地位は盤石になります」

「えっと……あの二人が、いったいどういう?」

「まだ分かりませんか? 鈍いですね、貴方が学院に行かなくて正解でしたよ。公爵家の恥を晒さずに済みました」


 つまり――貴方とパウロベルトの魂を、交換するんです。


「そうすれば! 私が王になったあとも、〝依代〟さまのご支援を受けられます! あの子も〝依代〟の座を欲しがっていましたから、なおさら良いこと尽くめです。私と〝依代〟さまの二人三脚で、アルカノスティアはますます発展することでしょう!」


 ぞっとした。

 魂の交換など、それこそ、禁忌に片足を突っ込む行為だろう。テオドアでさえ分かる。

 実現可能かどうかは知らないが――

 興奮して喋るフィラットの姿が、なにか得体の知れないもののようにすら見えてくる。

 

 しかし、それと同時に、腑に落ちる感覚もあった。

 ――第一夫人とパウロは、そのことを知っていた。だからこそ、あの王弟の屋敷で、テオドアの体調をしきりに気にかけていたのだ。

 あれは、もちろん、家族への態度ではなかった。「いずれ自分たちが利用できる器」として、接してきていたのである。


「……そんな、ことをして、バレないはずが……」

「バレたところで問題はない、と、そちらの女神さまが仰られていましたよ。なんでも、神々は、次の百年を保たせられれば、中身なんてどうでも良いんだとか」


 視線を移すと、『知恵と魔法の女神』はうっとりとこちらを見上げてきたが、否定はしなかった。


 あんなに仰々しく『試練』を科し、五人の候補者を相争わせておきながら。

 神々にとって、〝依代〟は、「なるべく性能が良いのが欲しいけど、間に合わせでも動いてくれればいい」というだけものに過ぎない……ということか。


 全身から強張りが抜けていくようだった。


 今まで悩んでいたのは、なんだったんだろう。放り出そうと思えば、できるものだったのだ。〝依代〟は――この、立場は。


 そのとき。声が掛けられた。


「聞くな……そいつらの話に、引き込まれては……」


 部屋の端でうずくまっていたルクサリネは、辛そうに顔を上げ、弱々しく唇を動かす。荒い息に紛れて、今にも消え入りそうな声だった。

 それを、『知恵と魔法』は嫌そうに「しつこいですね」と見下ろした。


「わたしたちの話を、止められる立場なんですか? あなたは、いちばん大事なことを知らせていないくせに?」


 その言葉に――

 ルクサリネは、もともと青ざめていた顔色を、さらに悪くした。心当たりがありそうな反応である。

 無言だったが、しかし、なによりも雄弁だった。


 テオドアは、念を押すように『知恵と魔法』に訊ねた。


「王宮の皆さんの命と安全は、保証されているんですね?」

「ええ。あなたが望むなら」

「では、僕の世話をしてくれた『ルリネ』さまも、王宮に滞在していたのですから、安全は保証されますね」

「……そうなりますね」


 ルクサリネのことに言及すると、若干声の調子が下がるのが恐ろしい。それでも、テオドアは根気強く続ける。


「僕の滞在していた建物に、異母妹のルネリーゼと、その世話係がいます。彼女たちとともに、『ルリネ』さまを、母がいた神殿に預けてくれませんか」

「テオドア!」

「僕は――僕は、貴方と共に行きますから」


 悲鳴のような、名を呼ぶ声を聞きながら。

 自身に体重を預ける彼女に、思い切って腕を回し、ぎゅっと抱き締める。


「約束してくださいますか? 僕が悲しむようなことは、絶対になさらないと」

 

 『知恵と魔法の女神』は、あからさまに頬を赤らめた。何度も頷いたのを確かめて、すっと身体を離す。

 そうして、『光の女神』のもとへ行った。


「ごめんなさい。母のために、無理をさせてしまったんですね」


 ルクサリネの顔は、今にも泣きそうに歪んでいた。それでも、一滴の涙も溢れないのは、彼女が気丈であるからか。

 テオドアは、彼女の前に膝をつき、少し小さな声で囁く。


「……三日前の〝花〟のこと、覚えておいでですか?」

「!」

「あの花にかけて誓えます。僕は大丈夫ですから」


 彼女も、言わんとすることを理解してくれたらしい。辛そうな顔に、少し赤みが戻った。

 そう。驚くことはあったが、想定内ではある。

 初めから攫われるつもりではあったし、なにより――


 ――なにより、攫われっぱなしで終わるつもりはないのだから。




-------




 目を開くと、白い花と葉が、視界を覆い尽くしていた。

 何度か瞬きをし、手足が正常に動くことを確認して、起き上がる。


 どうやら、花畑の真ん中に倒れていたようだった。


「……」


 上半身だけ起こしたまま、辺りを見渡す。

 一面の花々に、色とりどりの蝶が飛ぶ。頭上は雲ひとつない青空。そこを、気持ち良さそうに飛んでいく小鳥たち。

 それを眺めて、あ、と思い至る。


「……母鳥と雛たちのこと、ルクサリネさまに頼んでおけば良かった」


 もともと、地上での滞在は、『儀式』があるときだけと決まっていた。

 つまり、『儀式』が終われば山に帰るつもりだったわけで。渋々送り出してくれたネフェクシオスと二羽の雛、数ヶ月の時を経てようやく孵りそうな三つの卵は、今もあの巣で、テオドアの帰りを待っているだろう。


 ここがどこかは分からないが。少なくとも、あと一週間で帰れそうにないのは、確かである。


「うわあ……すごく怒られそう……」


 ネフェクシオスに。

 孵りそうな卵を放置するも同然なのだから。

 

 もしかして、攫われる判断をしたのは早計だったか? テオドアが頭を抱えていると、背後から、何かが近づいてくる音が聞こえた。


「――久しいな。否、(なれ)には記憶が無いのだったか」


 『知恵と魔法の女神』ではない。凛々しく、芯がある声だった。

 振り向くと、男物の鎧に身を包んだ女性が、槍を手にこちらを見下ろしていた。


(われ)は『戦と正義の女神』。歓迎しよう、テオドア・ヴィンテリオ」

 

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