50.使用人と幼きご令嬢
「ご、ごめんなさい、その……テオドアさま。勝手に居座ってしまっていて」
ハンナは慌てた様子でルネリーゼを抱き上げた。
幼い女主人は不満げだが、ハンナの使用人服を握って離さないところを見るに、かなり慕っているらしい。
「いえ……」
テオドアが軽く戸惑っていると、隣のルクサリネがそっと促してくれた。
「ともあれ、まずは上がりましょう。積もる話もありますから」
「は、はい」
足を踏み入れる。
内装は、基本的な配置は変わっていなかった。だが、見覚えのない衣服や家具が少し増えていて、母とテオドアの荷物が、少量だけ隅にまとめられていた。
衣服のデザインを鑑みるに、ハンナとルネリーゼのものだろう。
ハンナは古びた丸椅子にルネリーゼを降ろすと、自分はその側に立って、口を開いた。
「一ヶ月前から、ここに住まわせていただいているんです。名目は、この小屋の管理ですけど、本当は……」
と、言いづらそうに言葉を切り、躊躇ってから続ける。
「リゼお嬢さまが危険で。誘拐されかけたこともありました」
「……初めから説明をお願いします」
母子二人の小屋だったので、二人分の椅子はある。テオドアはもうひとつに座り、ハンナを見上げた。
彼女は頷くと、経緯を説明してくれた。
――職を失っていたハンナは、『選定の儀式』のあと、公爵家の使用人に勧誘されて働き出した。
同時期に仕事を辞めた、クレイグも一緒らしい。
だが、公爵家は、荒れきっていた。
第一夫人たちの暴走。諍いが絶えず、次々と辞めていく使用人たち。ハンナはその中でも、数少ない良識的な先輩に恵まれ、なんとか火の粉が降り掛からないよう立ち回ってきた。
だが、第一夫人たちが屋敷を「捨てて」から、状況が一変する。
「捨てた?」
「はい。なんでも……〝奪われた地位を取り戻すため〟と言っていました」
彼らは、気心の知れたわずかな使用人だけを引き連れ、王弟の屋敷に移る。
問題だったのは、そのとき、末娘のルネリーゼだけ置いていかれたことだ。
「外聞もあるんでしょうから、まったくなにもせずに置いてった、ってわけじゃなくて」
ハンナは、溜め息混じりに言う。
「でも、酷いものでした。遠い親戚の男性に後見人を頼んだって、奥さまは仰ってたんですけど。いざ来てみれば、お嬢さまを……その……妻として扱おうとする人でした」
これには、テオドアも、自分の顔が強張るのが分かった。
「……ルネリーゼは、まだ三歳か四歳では?」
「そういうの、珍しくありません。平民にも、こういう大人はいます。幼いから、分からないと思って、付け込もうとするんです」
その「後見人」は、かなりの金持ちで家柄も立派だったが、結婚適齢期を過ぎてからも独身だった。
それ自体は構わないにしても――彼はルネリーゼが「〝依代〟を出した家柄の娘」であることに目をつけ、早いうちから手懐けようとした。
要は、権力と幼妻と将来好きに使える道具を、一挙に手に入れようと画策したのだ。
「あたしやクレイグ、あとリュカさんとかが頑張って、なんとか近づけさせないようにしてました。それで、業を煮やしたのか、その男が隙を見計らってお嬢さまを誘拐しようと……」
「無事でしたか?」
「……連れていきそうなところを、クレイグとリュカさんが見つけてボコボコにしましたね。お嬢さまには傷ひとつありませんでしたが、そいつのことは知りません」
なんでも、リュカが良い笑顔で「廃棄してきます!」と引きずっていったきり、その男はまったく屋敷に来なくなったとか。
「だから――もう来ないとは思うんですけど、どうしても、半壊してる屋敷では心許なくて。お嬢さまを連れて、この小屋に隠れ住んでいました」
「鍵も、安全のために?」
「はい、リュカさんが。あの人、なんでもできるんです」
「なるほど」
リュカの顔を思い返しながら、テオドアは納得する。
おそろしく器用に立ち回る少年だった。きっと、手先も器用なのだろう。
すると、テオドアたちの会話に飽きたのか。ルネリーゼは、床につかない足をばたつかせながら、元気よく手を挙げた。
「リゼね、このおうちの、ごしゅじんさまなの!」
その笑顔に屈託はないが、もしも「後見人」が好き勝手していたら、とんでもないことになっていただろう。
テオドアの背筋に、さっと冷たいものが走った。
――これは、自分が〝依代〟に選ばれたがゆえの、周囲への悪影響だ。
ルネリーゼは、〝依代〟を出した家のご令嬢だから、狙われたのである。
異母妹とは言え、彼女はテオドアと血を分けている。彼女からは、同じような優秀な子どもが生まれ得る……そう考える輩がいても、おかしくはない。
母に続いて、なにも知らない異母妹まで巻き込んでしまった。
テオドアは、拳を握り締め、詰まりそうな息をなんとか整えつつ言った。
「事情は分かりました。この家に住んでいたのも、気にしないで大丈夫です。それと……もし良ければ、ルネリーゼと一緒に、僕のところに来ませんか」
「テオドアさまの……?」
「一時凌ぎではありますが、ここにずっといるよりは良いかと」
ルネリーゼの母は、あの第一夫人だが。この異母妹自身に罪はない。
ここはもう、以前の公爵家ではないようだし、危険な目に遭う心配があるのなら保護したかった。
「あ、でも、僕が今滞在してるところ、王宮の中か……」
「問題はありません。テオドアさまが望むなら、王も王宮も断らないでしょう」
ルクサリネがすかさず補足してくれた。
王宮相手ですら、こんなふうに融通が効くのは、〝依代〟ならではのことか。不幸中の幸いである。
「でも……あたしがご一緒する必要は……」
「ハンナさんには、ルネリーゼがよく懐いているようですから。引き離すのは酷です」
「……」
それでも不安そうな顔をするので、テオドアは念のため、ルネリーゼによく事情を説明して「一緒に行くか?」を問うた。
ルネリーゼは、目の前の少年が自分の「兄」であることに驚きつつも、特に公爵家に頓着する素振りを見せない。
それどころか、「別のところへ行くのは良いけど、ハンナが一緒じゃないと行かない!」というような内容の言葉を叫びながら、ハンナに抱きついた。
ここまで懐いているとは、よほどよく面倒を見てもらったのだろう。
「分かりました、お嬢さま。一緒に行きます」
ルネリーゼをなだめるハンナの表情も、どことなく安堵していた。
「こっちの事情ばっかりでごめんなさい。お母さまの件ですよね」
少し落ち着いたところで、ハンナが切り出す。
ちなみに、話に飽きたルネリーゼは、近くで女神と遊んでいる。女神も、「子守りは悪くない」と言うだけあって、上手く付き合っていた。
ハンナは、テオドアに促されるまま丸椅子に腰掛けたが、落ち着きなさそうに前掛けの端を握った。
「たぶん、お昼をちょっと過ぎたくらいだったと思います。急に、ここの扉が開いて、綺麗な女の人が入ってきました」
「……どんな容貌でしたか?」
「灰色っぽい目に、眼鏡を掛けてて……髪は黒? でした。鍵閉めてたのに扉が開いたので、たぶん、魔法使いです」
該当する人、いや女神を、テオドアは知っている。
――『知恵と魔法の女神』だ。
「その人と会った時、なにか違和感はありましたか? 体調が悪くなったとか」
神と直接相対すると、免疫のない人間は倒れてしまいかねない。それを念頭に入れた質問だった。
ハンナは、少し考えて頷いた。
「そういえば、その人が近づいてくると、すごく息苦しかったです。頭も痛くなって、目の前もぐらぐらして、気絶するかもって感じでした」
だが、意識は失わなかった。もしかすると、『選定の儀式』で、光の女神と会ったことがあるからかもしれない。
「その人は、神殿の使いだって言ってました。〝依代〟さまのお母さまの、荷物を取りに来たんだって。あたし、ごめんなさい。それを信じちゃって、お着替えとか渡してしまいました」
「……いいえ、それで良かったんです。たぶん、その人は、本当に荷物を取りに来たんだと思います」
おそらく、誘拐したあとに、入り用のものができたのだろう。
だが、これではっきりした。犯人は女神だ。荷物を取りに来たことを見るに、すぐに命を奪うつもりもないらしい。
だが、どうして?
なぜ、『知恵と魔法の女神』が、テオドアの母を拐かすのだろうか?
そして、女神の手から母を取り戻すには、どうすれば良いのだろうか?
黙って考え込むテオドアを、ハンナは気遣わしげに見た。
「あの、あたし、あんまりお役には立てそうにないですけど……身の回りのこととか、お話聞くくらいだったらできます」
「……ありがとうございます、ハンナさん。優しいんですね」
なにも分からず、手探りの状況でもらった気遣いは、素直に嬉しい。
テオドアが顔を上げて微笑むと、なぜかハンナは、頬を赤らめた。




