32.第三の試練・前編 『豊穣の女神』を尊ぶ密教
ライルイン伯爵自治領は、大陸の東方に位置する、小さな国である。
この大陸をざっくりと五つに分けたとすると。
真北にジダ=パノミド国。
北から東にかけて存在するのが聖ロムエラ公国。
東に広がり、南にも少し国土があるヴェルタ王国。
南から西にかけ、最大の領土を誇るノクスハヴン帝国。
西から北に領土を持つアルカノスティア王国。
と、なる。
国境には『境界の森』が広がっているし、大国傘下にない小国もかなりの数に上るが、おおむねはこんなものだ。
その、聖ロムエラ公国とヴェルタ王国に挟まれた小国こそ、ライルイン伯爵自治領というわけだった。
なんなら、ロムエラよりもヴェルタの国境に寄った国なのだが、「特殊な事情」により、ロムエラ傘下になった過去がある。
「ライルイン自治領は、『密教』を尊ぶ国、っていうのは調べたんだけど――どういう意味だと思う?」
鬱蒼とした森を眼下に、空飛ぶ魔獣に当たらぬよう高度を保ちつつ、怪鳥は大きく羽ばたく。
その背に掴まりながら、テオドアは、隣のルチアノに問いかけた。
『肉体保護の魔法』を掛けているためか、耳元で風の音が鳴っているにも関わらず、自分の声もはっきり通った。
「『密儀宗教』のことだな!」
「ミツギシュウキョウ……?」
「ああ。尊ぶ神々は同じでも、信仰の方法が違う。特に、彼らは『豊穣の女神』を熱心に崇めている。豊作を祈る儀式は、他国どころか、儀式を執り行う国主一族以外は誰にも知られてはならんようだ」
そう言うと、ルチアノは片手で古地図を広げ、淡く赤い光をまとわせた指で、紙のある一点をとんと押した。
途端に、古地図はじわじわと焼け落ちるように消え、代わりに拳大の丸い光が現れる。
光は、ルチアノとテオドアの周囲をくるくる回ると、二人を乗せる怪鳥の前に躍り出た。
そうして、先導するように飛んでいく。
「【道しるべ】の魔術だ。あの光が目的地まで案内してくれる。使用者と、使用者が指定した者以外には見えないから、安心してくれ!」
消費する魔力が少ない分、十分置きに掛け直さなきゃならんのだがな!
ルチアノは笑いながら、抱えていた紙を数枚、見せてくれた。どうやら、彼が持っている紙はすべて、同じ内容の古地図のようである。
「ありがとう。それで、その。『豊穣の女神』の密教についてなんだけど……」
「おお、話が逸れていかんな! まあ、秘儀を守り続けることにおいては、ヴェルタよりロムエラのほうがやりやすい、と判断したのだろう。五十年前に庇護下に入ってからも、上手くやっていたと聞いている!」
聖ロムエラ公国は、五ヶ国で唯一、信仰を第一義とする国だ。
ゆえに、王はおらず、代わりに『大司教』が国の代表を務めている。
セブラシトは、主に祭事を執り行う司祭の代表、『大司祭』。役割が違い、名目上は大司教の下に位置する。
聖ロムエラ公国は秘儀を守るため、ライルイン伯爵自治領に、なんらかの補助をしていた可能性もある。
――と、ここまで説明をしてくれたルチアノは、ふと肩をすくめた。
「とは言え、私にも詳しい事情は分からん。秘教についてもさっぱりだ。ただ、『豊穣の女神』の神話についてなら分かるぞ!」
ルチアノが朗々と語り出した話を、要約するとこうだ。
――千年より昔。まだ神々が、地上にいた時代。
豊かな加護を与える土地を探すべく、『豊穣の女神』は、人間の娘に化けて方々を訪ね歩いていた。
その途中、とある湖のほとりで、行き倒れた青年を見つけた。
女神は、慈悲深くも青年を救ってやった。
いたく感謝した青年は、近くの国まで送ると言って、女神の旅を護衛し始めた。
その旅路で女神は絆され、愛が芽生え、二人の間には子が生まれた。
その子は、人間の姿をしていながら、何故か水の中でしか生きられない性質を持っていた。
しかし、女神たちの旅は陸路を行く。海は遠く、川も近くにない。
豊穣を司る女神は、こう考えた。
「自分にとって、数十年はあっという間に過ぎ去るもの。それに、わざわざ自分で足を運ばなくとも、どうやって加護を与えるかは決められる。引き返して、夫と娘とともに、穏やかに過ごそう」
こうして、女神たちは来た道を引き返し、湖の周りで生活を営んだ。
女神はそれから、十二人もの子を産んだ。
息子六人は近くの国から妻を娶り、娘六人は近くの国から婿を取った。
初めに生まれた娘は、誰の妻にもならず、湖から兄弟姉妹の子孫を見守ることに決めた。
彼女にだけは、母である『豊穣の女神』の血が、色濃く受け継がれていた。ゆえに、長い寿命を持っていた。
その湖を中心としてできたのが、『ライルイン伯爵自治領』の前身の国なのだという。――
「すごいね。あの屋敷の図書室で調べても、〝ライルインには密教がある〟くらいのことしか分からなかったよ。アルカノスティアの王さまが送ってくれた資料にも、そんな神話は載ってなかったし」
「うーむ。やはり、隣国だからだろうな。幼いころから、この手の神話はよく聞かされていた」
それからルチアノは、ちょっと嫌そうな声音で付け加える。
「セブラシトなら、自国の傘下でもあるのだから、もっと詳しく知る機会もあっただろうな……」
「それくらい有利にはなるだろうね、――」
そう答えて、ふと、テオドアの頭に、嫌な考えが浮かんだ。
この『試練』に、不正はないと言う。
しかし、候補者間には情報の点で、有利不利が存在している。
テオドアは知識が無さすぎるから例外にしても、地界で行われる『試練』は、明らかにその国出身の者が有利だ。
『真実の神』が監視することによって、候補者たちや、その他の人間たちには、不正ができないようになっている。
では、神は?
不正をしていないと言えるだろうか?
例えば、『光の女神』が選出する前から、既に五ヶ国の勝敗が決められているとか。
もしくは、選出された候補者の中で、いちばん〝神々に気に入られた〟者が勝つよう、『試練』が調整されているとか。
厳正な『試練』に、第三者の作為があるとは思いたくない。
だが、『光の女神』によれば、神々も人間と同じような感情を持っている、らしいし……。
「――テオドア? どうした、急に黙り込んで」
ルチアノが、片手で【道しるべ】を掛け直しながら、こちらを心配そうに伺っている。
テオドアははっと我に帰り、慌てて首を振った。
「だ、大丈夫大丈夫。『第三の試練』が、うまく突破できるか不安になっただけ」
(なにを考えてるんだ、僕は。……ルチアノが物知りだからって、僻んでるのか?)
神を疑うなんて、どうかしている。
少なくとも、こと『試練』に関しては、きちんと不正なく進行している……と信じたい。
(ルクサリネさまがあまりに気安くていらっしゃるから、僕の中で、神々が身近になり過ぎているのかも……)
光の球に導かれ、怪鳥は飛ぶ。
森が続く向こう側、遠くに――建物と、それを取り囲む高い壁が見えてきた。
高い壁の前に、ネフェクシオスは静かに降り立った。
二人を下ろし、テオドアの撫でる手をたっぷり堪能してから、くるりと背を向けて元来た方角へ飛んでいく。
その姿を見て、ルチアノはぽつりと呟いた。
「本当にありがたいものだな。無償でここまで送っていただいて……」
「え? 無償ではないよ?」
「ん?」
テオドアは気がついた。
そう言えば、彼女がどんなふうに承諾してくれたか、詳しい事情は喋っていなかったことに。
「あの、送ってくれること自体は、見返りは無くて良いって言ってくれたんだけど……お土産を――」
「お土産……?」
怪訝そうにルチアノが繰り返した、その直後。
遠くなりかけていたネフェクシオスが、不意に、地面目掛けて急下降する。
――ギャェエエエエエエエエッ!!?
どこかから、魔獣の叫び声が響く。
そうしてそのまま、怪鳥は、異様に首が長い四足歩行の魔獣――彼女と同じくらいの大きさだ――を、大きな足で鷲掴み、悠然と飛び去っていった。
暴れる魔獣を物ともしていなかった。
「……」
「僕が孵化作業を始めてから、ご飯を食べる気になってくれたみたいでね……。今回も、『おやつ持って帰れるし、困ってるみたいだし、良いよ』って感じだったみたいで」
「……いやはや、まさに、怪鳥の名に相応しい姿だな……」
ルチアノは、それだけを言って、しばらく怪鳥の消えた方角を見つめ続けていた。
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ここから先は、ヴェルタ王国を通って行くことになる。
壁伝いにしばらく歩くと、荘厳な門があり、重装備の門番が二人立っていた。
徒歩で『境界の森』を抜けてきたと思わしきテオドアたちを、門番たちは初め、絶対に通さぬ気概で詰問してきた。
当たり前だが、事前に通達されていないのに、門を開けることはできない。
さすらいの商人ならばまだしも、軽装備の二人では、そうにも見えないだろう。
しまった。身元が信頼されてない人間は、通されないんだった。
当たり前のことに、今さら思い至る。
テオドアが必死に打開策を考える横で、ルチアノはおもむろに背筋を伸ばした。
そうして、外套の中から、丸いブローチを引っ張り出して、門番に見せつけた。
「皆まで言わずとも、聡明な貴君らであれば、事情を察していただけるだろう?」
「はあ? これがなんだって言――」
門番の一人が、ずいとブローチに顔を近づける。
――と思えば、飛び退るように離れた。
「こ! こここ、これは! ああ、あ、貴方さまは!」
「おい、コイツがなんだってんだよ?」
「ば、馬鹿! 畏れ多い! 今すぐ門を開けるぞッ」
その門番は慌てた様子で、門のほうへ走って行った。
残されたもう一人も、同じようにブローチを見て、腰を抜かさんばかりに驚いた。
ルチアノは凛とした表情を崩さず、言う。
「訳あって、隠密に行動している。私たちの身分が知られるのはまずい。上官に報告は良いが、街で言いふらすのは止してくれ」
「へ、へえ……てことは、お連れの方も……」
「ああ。私と同じ立場だ」
すると、門番はテオドアにも、なにやら尊敬と畏れの入り混じった視線を向けた。今にも拝み倒さん勢いだ。
「……第二王子が候補者に選ばれたことは、ほとんどの国民が知っているからな。第二王子としての紋章を見せれば、なんとかなると思ったのだ」
ルチアノがこっそりと囁く。
それを聞いて、なるほどと思いつつ――テオドアは、膝をつき頭を垂れそうな勢いの門番を、慌てて起こさせた。
なんとかなり過ぎである。
そこから、馬車を借り、数時間揺られてようやく。
二人は、ライルイン伯爵自治領との、国境近くに立っていた。
そこの検問でも、ルチアノが同じように身分を明かして、通らせてもらえることになった。
だが、門番の一人が、声を低くして言う。
「気をつけてくださいね。あそこは……あの国は、近ごろ、奇病が流行っているって噂です」
「奇病……? どんな症状なんですか?」
テオドアが問うと、門番は怖気を震ったように、自らの二の腕の辺りをさすった。
「分かりません。突然、倒れて死ぬことぐらいしか。でも、前兆もなくて、さっきまでピンピンしてたヤツが、次の瞬間には死んでるって。毒でもないらしくて、奇病としか言いようが……」
「竜よりも、そちらのほうが厄介だな」
ルチアノが、眉を寄せて難しい顔をする。
門番は二度ほど頷き、「それも、もしかしたら」と付け加えた。
「悪竜の呪い、なのかもしれません。――かの竜は、湖に棲みついているそうですから」




