20.第一の試練・後編 〝言語を解さぬ怪物〟
怪鳥は、最早、ここが自分の巣であることも忘れているようだった。
大きな翼が床に叩きつけられ、爆風が巻き起こる。テオドアは咄嗟に腕で顔を守った。
「ルチアノ! ネイを連れて逃げられる!?」
「無理だ! 私は回復魔法を掛け続けていなければならない! もう一人、彼を運ぶ者がいなければ……!」
「っ……分かった! とにかく、君は回復魔法に専念してて!」
テオドアは二人の前に飛び出し、暴れ狂う怪鳥の爪を、鞘を掲げて受け止めようとした。
当然、剣でもない鞘は、その一撃で脆く壊れる。鋭い爪の先が掠り、テオドアの腕をたやすく切り裂いた。
「――!」
痛い。だが、我慢できないほどではない。
テオドアが鞘を捨てると、背後から、「使ってくれ!」の声とともに、立派な装飾の剣が投げ出された。
ルチアノのものなのだろう。テオドアはためらいなく拾い上げ、剣を引き抜いた。
「それは本来、鳴き声を攻撃手段とする鳥だ! 今まで卵に気遣って使っていなかったようだが、今は」
次の瞬間、ぐるりと視界が回るような錯覚が襲う。
それが怪鳥の攻撃だと気がついたのは、耐えきれずに片膝をついたときだった。
平衡感覚がおかしくなるような。先ほどとは違う、不快感を引きずりだすような鳴き声が、ざらざらと耳の底に響き続けている。
(音……から耳を、防御するのは……!)
もちろん、魔法でなければ難しいだろう。感覚を狂わされたこちらと違い、怪鳥は当たり前に動き、翼や爪などの攻撃も加えてくる。
今はなんとか喰らい付いてはいるが、このまま続けても、押し切られてしまうのは分かりきっていた。
(考えろ、なにか、切り抜ける方法を!)
可能性を探る。情報を洗い出す。
剣を振って攻撃をいなし続けながら、思考に深く潜っていく。
卵。貴重。金。人間。死ぬ。死んだ。怪我人。生き残り。魔力無し――
――彼らはどうして生き残った?
そもそも、怪鳥が襲う人間を選別していたのは、なぜだ?
邪な心を感じ取ったから? ――いや、もっと単純に――
巣の外にいる人間の話し声を、理解していたのだとしたら?
怪鳥は、今にもテオドアを踏み潰さんと、片足を大きく振り上げた。
一か八かを、賭ける価値はある。
テオドアは、持っていた剣を投げ捨て、腕を広げて大声で叫んだ。
「僕たちを殺すのは、いつでもできます!! どうか話を聞いてください!!!」
――果たして。
ネフェクシオスは、振り下ろしかけた足を、テオドアの頭のすれすれで止めた。
三又の細いあしゆびの隙間から、虹色の瞳が、こちらを鋭く睨み据えている。
テオドアは、息つく間もなく声を張り上げる。
「僕たちは、あの人間二人とは違います! 試練のために貴女の卵を必要としていますが、傷つけずにすぐお返しするつもりでした! 貴女に言葉が通じないと思い込んで、大切な卵を奪おうとしたことをお許しください!」
嘘をつけ。ここに来るまでは、卵を奪って逃げる算段を立てていたじゃないか。
頭の片隅で、冷静な自分がそう囁く。
自分はあの二人となにが違う? 嘘をつくなど卑怯者のすることだ。こんな場しのぎの言葉が、信用に足るはずがない。
――だとしても。今ここで、もろとも全滅するよりはマシだ!
テオドアは、端的に、『試練』の内容を話した。どこまで理解しているかは分からないが、怪鳥は身じろぎせず、ただこちらの言葉に耳を傾けてくれていた。
「――僕たちも『試練』に勝ちたい。その気持ちはあります。ですから、どうか卵を〝一時的に〟貸していただけませんか。もちろん、傷ひとつつけないとお約束します。あの二人が持って行った卵も、奪い返してきちんとお返しします。もし、約束を破ったときには――」
その言葉を言うのを、一瞬だけためらう。
生に縋ろうとする本能を振り切って、口を開いた。
「――そのときは、僕を殺しても構いません。そのくらいは覚悟しています」
「テオドア!」
「大丈夫。卵を壊さずに、山の麓に行って、また帰ってくれば良いんだから。それに、あの二人だって、『試練』を突破したら卵に未練はないと思うよ」
咎めるようなルチアノの声を、低く遮る。
まったくもって大丈夫ではない。その自信はない。けれど、テオドアは背筋を伸ばし、怪鳥と真っ直ぐ目を合わせた。
「お願いします」
そうして、暫し、沈黙が流れた。
怪鳥は、こちらを見つめる瞳を、ゆっくりと細めた。
睫毛が長いんだな、と、テオドアはそんなことを思った。
彼女は足を退かし、そして――
右の翼で、テオドアを力いっぱい殴り倒した。
テオドアの身体はたやすく吹き飛び、何度か床を跳ねたあと、巣の壁に勢いよく叩きつけられて止まった。
(やっぱり、ダメだったか……)
頭を打ったのか、先ほどとは別の意味で、視界がぐらぐらと揺れる。
衝撃の余韻が過ぎ去らず、怪鳥がのっそりと動き出したときも、すぐに立つことができなかった。
(せめて、死ぬなら一撃で――)
覚悟を決めて目を閉じる。
しかし、いつまで経っても、致命的な衝撃はやってこなかった。
「……?」
恐る恐る瞼を上げると、怪鳥がテオドアの方など見向きもせず、別の方を向いて歩いていくのが見えた。
その方向は、確か、彼女の卵が安置されている場所だ。
怪鳥は、――おそらく卵のあるところを心配そうに覗き込んだ。それからこちらを振り返り、短くひと声鳴いた。
勘違いでなければ、「取れ」と言っているらしい。
「……良いんですか?」
その問いに、彼女は顔を逸らすことで応えた。大切な卵から少し離れ、テオドアが近づくのをじっと待っている。
「あ、ありがとうございます!」
ふらつく頭を押さえ、テオドアは慌てて立ち上がった。
幸い、頭から血が出ていることもなさそうだ。腕は羽が掠って切れていたが、出血は止まっている。
怪鳥が覗いていた辺りまで行くと、床に大きな窪みがあり、ひと抱えもある大きさの卵が、三つ安置されていた。
万が一にも擦れて割れないためだろう、下には藁のようなものが敷き詰められ、さらには卵の上にも軽く掛けられていた。
明かりのない薄暗い巣の中でも、卵の美しさは一目で分かった。
大きな宝石を加工し、熟練の職人が工芸品に仕立て上げた――と言っても、過言ではないほど。殻に浮かぶ緻密な模様は、美術品に疎いテオドアをして、見事だと思わせた。
しかし、肝心の、持って行き方が分からない。
そのことを、完全に失念していた。
卵はたいへん割れやすい。だが、テオドアは『持ち出す卵に傷は一切つけない』と断言してしまっている。
大見得を切ってしまった後で、これは恥ずかしい。
困ったテオドアは、恥をしのぎ、ルチアノのもとへとって返した。
「ルチアノ、君の分の卵を先に取ってほしい。それで、もし良ければ」
卵を安全に持ち運ぶ方法があったら教えてくれないか、と言いかけて、驚いて口を閉じる。
ネイに回復魔法を掛け続けていたルチアノが、ふらつきながらも立ち上がっていたからだ。
「だ、大丈夫!?」
ルチアノの疲労とネイの容体、二つのことを同時に問うてしまったが、分かってくれたらしい。ルチアノは疲れのにじむ顔で頷き、「私はまだ動ける。ネイは、」と、後ろを指し示した。
「……ネフェクシオスの厚意だ。羽を分けてくれた」
「羽を?」
「かの鳥の羽は、『今の状態を維持する』魔術に使うことができる。回復魔法を掛けたネイを、魔術で一時的に維持しているところだ」
そちらを見ると、確かに、怪鳥がネイのそばに寄っていた。
抜けた羽を握らされているネイは、回復魔法がなくても、小康状態を保っているようだ。それを、怪鳥はじっと見下ろしていた。
なにか、思うところがあるのだろうか。
「ネフェクシオスを、言葉の解さぬ化け物だと思っていたからな、あの二人は。彼女も、ネイを傷つけたのは本意ではなかったのだろう。……もっとも、言語など分からないだろうと、私も思っていたからな……」
ルチアノは怪鳥に向かい、「申し訳なかった!」と頭を下げた。
気にするな、と言いたいのか、それとも別の意図か。怪鳥はルチアノのほうを振り向き、また短く鳴いた。
「はは。なんと言っているかは分からないが、君が優しいということは分かったぞ」
うん、あのまま私が魔力を使い続けていたら、君の卵にも悪影響があっただろうしな!
少し休憩して気力が回復したのか、ルチアノの声にも張りが戻ってきた。
「悪影響……?」
「む、卵はあちらか! 本物などそうそうお目にかかれない! 是非、拝見させていただこう!」
ルチアノは、はしゃいだ様子で駆けて行き、卵を覗き込んで感嘆している。
(……あとで聞けば良いかな)
彼の言葉の違和感を飲み下し、テオドアもそちらへ駆けつけた。
ルチアノは自身の右手に魔法陣を浮かべ、そこからなにか、白い袋のようなものを引きずり出した。
「【収納】だ。魔術の中でもよく使うぞ」
「へえ、そんなに便利なものがあるんだ」
「ああ。……この袋は、ヴェルタの人間が、ネフェクシオスの卵を持ち出すために作ったものだ。これならば安全に卵を運べるだろう」
卵を運ぶために、専用の袋までも作り出すとは。
貴重なものを手に入れたい、と欲する人間たちの執念を感じる。
「これを君に預け……いや。差し上げよう」
「……えっ!?」
素直に感心していたところを、急に話の矛先が向かってきたので驚く。
いや、もとより、卵の持ち運びに関しては、彼の知恵を借りるつもりでいたのだが。
「き、君の分を運ぶ手段は別にあるの?」
「うん? いや、私はこの試練を棄権するつもりでいる」
「え……え?」
困惑しきりのテオドアに、ルチアノは笑って答えた。
「卵を持ち帰れるように努力したのは君だ。母鳥を説得するなど、私には到底思い及ばなかった。私は、ネイを言い訳にして戦わなかった。なんの努力もしていない」
「そんな。君はネイを助けようとして……」
「ああ。だがそれも、誰も切り捨てられない私の甘さだ。実力が伴っていればまだ良かったんだが、……回復の魔法の学びを疎かにしていたことが仇となったな」
そうして、テオドアの手に、卵専用の袋を押し付ける。
返そうとしても頑として拒否されたため、テオドアは仕方なく、受け取ることにした。
卵を慎重にひとつ詰め、袋の口を結ぶと、にわかに袋が青白い光を放った。
それはすぐに消えたが、ルチアノ曰く、「強力な保護魔法がかかった印だ」とのこと。とりあえず、期待通りの使い方ができているようで、ほっとする。
「でも、これからどうしよう。今からネイを抱えて降りるのは、危険だと思うけど……」
「そうだな。外も暗くなってきている。今日はどこかで夜を越さねば……ん?」
ふと、怪鳥がこちらに近寄ってきて、ぺたりと床に腹をつけて座った。
テオドアたちが、その様子を黙って見ていると、怪鳥は焦れたようにこちらを向き、「早くしろ」とばかり鳴く。
――これは、もしや。
テオドアとルチアノは、顔を見合わせた。
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「まさか、ネフェクシオスを手懐けるとはな。知恵者は武人にも勝る……というわけか」
暗闇の中にあっても、女神は美しかった。
山の麓に戻ったときには、既に、日は沈み切っていた。
怪鳥は山の頂上から、テオドアたちを背に降り立った。テオドアは卵を、ルチアノはネイを抱えて、彼女の背にしがみついていただけだ。
自身の卵を早く取り戻すためではあろうが、それでも大変ありがたかった。
二人が怪鳥から滑り降りると、狙い澄ましたかのように、光の女神とセラが現れた。
セラの手にはランプがあるが、女神は自ら輝いているので、辺りがほんのりと明るい。
「いいえ、手懐けたのではありません。彼女には、大切な卵を貸していただいたんです」
女神は、黙って微笑んだ。〝神らしい〟慈悲深き笑みである。
この場でこれ以上言及するのを、避けたようだった。
ルチアノもいることだし、妥当だろう。
当のルチアノは、抱えていた怪我人を、セラに頭を下げて託していた。セラは頷き、女神の同意を求めるように振り向く。
「行きなさい。結果を伝えるのは私でも事足りる。怪我人を治療させてやりなさい」
セラは黙ったまま、女神に小さなランプを託した。そうして、自分よりも大きなネイをひょいと担ぎ上げ、『空間移動魔法』でこの場を後にする。
それと入れ替わるように、候補者の残り二人が姿を現した。
「予想以上に早かったね! 三日くらい粘って、失格……みたいになると思ったのに」
セブラシトは笑い、大きな袋を抱えるテオドアと、何も持たずに佇むルチアノを見比べた。
「へえ。お優しい王子さまは、手柄もそこのヤツに渡してあげちゃったんだ?」
「今回、手柄を立てたのは私ではないからな」
ルチアノは静かに言い返し、そのまま口をつぐんだ。これ以上は何を言われても聞き流す、という意思表示だろう。
デヴァティカのほうは、こちらの背後にいる怪鳥に怪訝そうな目を向けたが、それだけだった。
一度打ち倒したものを、もう一度倒そうとするほど、血の気が多くはないらしい。
「揃ったな。では、私が直々に、『第一の試練』の結果を伝えよう」
女神は、四人の顔を見渡し、厳かに告げた。
「候補者五人のうち、棄権が一人。失格が三人。合格が一人。
――アルカノスティア王国の候補者、テオドア・ヴィンテリオ。お前が唯一の合格者だ」




