19.第一の試練・中編 傷つけないはずの戦い
崖の上に辿り着いたときには、日は落ちかけていた。
途中、何度か落ちそうになったが、なんとか登り終えることができた。命綱なしで登ったため、流石に腕が疲れている。
両手のひらを開いては閉じてを繰り返し、ちゃんと動くかどうかを確認する。特に問題はない。
ここで、テオドアはようやく、周囲を見た。
崖の下とは比べものにならないほど、巨大な木があちこちに生えていた。
夕日の赤に照らされて、ただでさえ大きな影が地面に伸びている。
山の中腹までと比べて、明らかに本数は少ないはずなのだが、空を覆わんばかりに枝が伸びているせいで、より暗く感じられた。
ここが頂上かは分からないけれど、警戒心が高い怪鳥が、巣を作るのには適していそうな環境だ。
「でも、どういう形の巣かは分からないままだし……」
さまざまな資料を漁っても、明確なことは書かれていなかった。
もともと、屋敷に用意されている本だ。核心を突くようなものはわざと排除されているのかもしれない。
注意深く頭上を確認しながら、テオドアはひとまず歩き始めた。
動物や魔物の気配は、全くない。まるで、崖の下の森とこことでは、違う世界に来てしまったかのようだ。
みんな、怪鳥を恐れて、息を潜めているのだろうか。
それとも、食い尽くされてしまったのだろうか。
そんなことを考えながら、探索を進めていると。
「――!」
誰かの叫び声が聞こえた、気がした。
残響に耳をすませ、声の方向に走る。そこらに散らばる太い木の枝につまずき、行手を阻む大きさの根を乗り越えながらも、先を目指して突き進む。
そうして、辿り着いた。
「……」
いくら傾いているとはいえ、まだ太陽は空にある。枝葉の隙間から、光は差し込んでくるはずだ。
しかし――その木の下だけは、異様に暗かった。
空に伸びているはずの枝も見えない。どころか、辛うじて幹が突き出ているために、周囲と同じ木だと判別できる有り様である。
テオドアは、ごくりと唾を飲み込んで、それを見上げた。
「この……木、まるごと、巣なんだ」
巨木の枝葉をまるごと覆い尽くすように、暗色のでこぼことした半円形が、木の上部に鎮座している。
まるで別の種類の木であると錯覚しそうだが、これこそが、怪鳥ネフェクシオスの巣なのだろう。
上に気を取られながら歩み寄って、不意になにかを蹴飛ばす。
木の根だろうかと見下ろせば、足元に、候補者の誰かのものであろう荷物が転がっていた。
骨砕きの樹にはコブがあるため、案外すんなりと登ることができた。
わずかなとっかかりに足を置き、硬い巣材の周囲をぐるりと探れば、ちょうどテオドア一人が入り込めそうな穴を見つける。怪鳥は、この穴を出入りできるくらいの大きさなのだろうか。
穴を覗き込み、直近の危険がなさそうなことを確認してから、慎重に潜っていく。
そうして、視界の開けた先に。
腕がおかしな方向に曲がっている、ネイが倒れていた。
「……えっ」
「貴様ら!! それが候補者のすることかッッ!!!」
生きた木の枝を梁とし、広い空間を支える巣の隅に。
血だらけになって動かないネイと、そのそばで必死になって彼を手当てするルチアノがいた。
「ルチアノ?」
「テオドアか!! 悪いが彼の身体を押さえておいてくれ! 回復魔法で応急処置をするッ!!」
言われるがまま、しゃがみ込んでネイの肩を押さえる。
どうやら、か細いながらまだ息はあるらしい。しかし、それも段々と消えかけている。流した血の量を見ずとも、死にかけているのは明らかだった。
ルチアノは素早く呪文を唱え、両手をネイに向けてかざした。その途端、暖かな色の光が、ネイの身体を薄く包み込む。青ざめていた彼の頬に、ほんのりと血の気が戻ってきた。
しかし、ルチアノの表情は硬い。
「ここまで血を失っていると、回復魔法では間に合わん!! 今すぐ下山して、きちんとした設備のもとで治療しなければ、このままッ――」
「――良いんじゃない? 失格者が増えるのは、こっちも大歓迎だよ」
嘲笑を含んだ声が、少し遠くから聞こえてくる。
振り向くと、まず、巨大な鳥が目に飛び込んできた。
美しい鳥だった。薄灰色の体色に、金の尾を持っている。巣の床を削る鋭いかぎ爪。巣の端から端までを突き回せそうな長い首。
巨大な巣の中にあって、天井に頭をぶつけそうなほどに大きい。尾と同じ金色のくちばしは、大の男を三人くらいなら一度に丸呑みできるだろう。
なにより印象的なのは、虹色の大きな瞳だ。
彼女は、侵入者をまとめて排するつもりなのだろう。巨大な翼を広げて、地が震えんばかりに高く鳴いた。
その鳥の前に、彼――セブラシトとデヴァティカは、臆することなく立っていた。
セブラシトは、ネイの周りにいる二人へ、小馬鹿にするように肩をすくめる。
「そんな奴なんて、ほっとけば良いのに。弱いのが悪いんでしょ。【防護】も一瞬で破壊されちゃってさあ。使い物にならないったら」
「黙れッ!! 貴様がわざとネイを突き飛ばしたんだろう!!! あの鳥への目眩しにするために!!!」
「ぼーっと立ってるのが悪いんだよ。それに、ほら――強かったら、それくらいのピンチも、普通に乗り越えられるものだし」
こんなのが候補者とはねえ、世も末だよまったく。
と、セブラシトは心の底からおかしそうに笑い、怪鳥ネフェクシオスに向き直った。もうこちらへの興味は失せたようだ。
隣のデヴァティカは、すらりと剣を抜き放ち、隙なく構える。
そこに、怪鳥のかぎ爪が、横薙ぎに叩き込まれた。
「……ネフェクシオスに少しでも傷をつければ、その時点で失格のはずだけど……」
ネイの身体を押さえながら、テオドアは戦いの様子を見て呟く。
真正面から戦って、傷をつけずに立ち回ることはできるのだろうか。できたとしても、相当な苦戦を強いられるのでは。
そう思ったがゆえの発言だったが、ルチアノは首を横に振った。
「母鳥を突破できなければ、まず卵には近づけまい。と、いうより――卵には、母鳥が強力な障壁魔法を施し続けているからな。少なくとも、気を逸らす必要がある」
風が吹いても割れる、というのは、与太話でもないようだ。
ルチアノは、ネイから顔も手も逸らさぬまま、そう言った。
「……やっぱり、君の国の鳥だから、詳しいんだね」
「付け焼き刃の知識だ。父……ヴェルタの国王が気を利かせて、国中から集めた資料を送りつけてきた。それを覚えていたまでのこと」
回復魔法を掛け続けているせいか、ルチアノの額には脂汗が浮かんでいる。
しかし、自身の疲労などにはまるで気にせず、彼は悔しそうに唇を噛んだ。
「……これほど己の力不足を呪った日はない。魔力をいくら持とうが、瀕死の人間一人治せんようでは……ッ」
「ルチアノ」
「私は、正々堂々と勝負をしたかったのだ! 候補者が死ぬかもしれないことは百も承知、だが! こんな卑怯な手で命を失わせるなど、あってはならない!! 絶対に!!」
力不足。
ルチアノの嘆きの言葉は、しかし、テオドアの心にも深く突き刺さった。
自分には力がない。それは嫌というほど承知している。
だが、もしも――今、自分が、魔法の扱いに長けていたら?
回復の手は二倍になる。なんとなれば、テオドアが回復を一手に引き受けて、ルチアノがあの二人に挑みかかることだってできたかもしれない。
自分はこれで良い、と、弱いことに胡座をかき、端から技術を習得するのを諦めていたのでは――?
いや。
今は、そんなことを考えている場合ではない。
テオドアは首を振って邪念を振り切り、「なにか、僕にできることはある?」と問うた。
「では、あいつらの戦いを見張っていてくれ。あいつらのことだ、こちらに怪我人がいることなど気にも留めずに戦うだろう」
「分かった。危なかったら、……なんとかしてみる」
「頼もしいな。任せる」
彼は本気でそう言っているようだった。それだけにより一層、気持ちが引き締まる。
テオドアはネイから手を離し、剣のなくなった鞘を腰から抜き取る。そうして再び、二人のほうへ顔を向けた。
〝血を流させない〟という縛りがあるためか、セブラシトたちは防戦を強いられているようだった。
デヴァティカがくちばしや爪を剣で弾き、翼で巻き起こる暴風から、セブラシトが魔法で守る。攻め込めないのがやり辛いのか、デヴァティカの動きはどこか精彩を欠いていた。
一方の怪鳥も、なかなか決定打を撃ち込めないでいるようだ。背後に卵を庇っているのだろう、明らかに腰を据えたまま、場を動こうとしない。
幾度めかの攻防の末。
先に仕掛けたのは、怪鳥の方だった。
ちょこまかと動き回る人間に焦れた様子で、彼女は大きく身を乗り出し、デヴァティカに剣ごと噛みつこうとする。
そのわずかな隙を、彼らは見逃さなかった。
「待ってました――!」
セブラシトは、あろうことか怪鳥に駆け寄り、くちばしに両手を押し付けた。
「気絶しろっ!!!」
瞬間、彼の手のひらから雷撃が迸る。
それはくちばしを伝わって、怪鳥の巨大な頭まで痺れさせた。
彼女は意識を失い、ぐらりと横を向いて倒れ伏す。それに巻き込まれぬよう、噛みつかれかけていたデヴァティカは、とうの昔にその場を退いていた。
一撃で沈んだ巨体を、デヴァティカはつまらなそうに一瞥し、剣を納めた。
「……怪物とは言っても、所詮はこんなものか。卵はどこにある」
「たぶん、あっち。母親に潰されてなきゃ良いけど」
彼らは、怪鳥の後ろに回り込んだ。
気絶した巨体に遮られて、あまり様子は窺えないが、セブラシトが卵らしきものを二つ抱え上げ、そのうちのひとつをぽいと投げ渡したのは見えた。
「! おい……」
「平気平気、保護魔法かけておいたし。……まあ、本当にざっとだけど。形さえ保ってれば、卵だよ」
「――既にヒビは入っているが。まあ良い。さっさと戻るぞ」
「りょうかーい」
そうして、何事もなかったかのように帰路へつこうとする。
二人の背中へ、顔を上げたルチアノが吠えた。
「待てッ!! せめて怪我人を連れて行け!!」
「嫌だよ、なんで僕たちが。それが死んでも、別に嬉しくも悲しくもないし」
「ッ――どこまでも性根が腐った奴らめ!!」
「はいはい、褒め言葉褒め言葉。ていうかさあ――」
セブラシトは振り返り、「忠告しといてあげるけど」と、こちらを指差した。
「友情ごっこするのは構わないけど、そいつのことが心配なら、すぐにここ、離れたほうがいいんじゃない? 卵なんて忘れてさ」
「なん――」
「母親の怒りは恐ろしいよ。じゃあね」
軽く言い置いて、彼はさっさと穴から外へ出ていった。
その直後に、ぐらりと、床全体が揺れる感覚。
テオドアは咄嗟に警戒し、周囲を見渡した。
そうして――倒れた母鳥と、目が合った。
「まずい、このままでは、私たちが次の――」
ルチアノは言葉を飲んだ。身を起こした怪鳥ネフェクシオスが、異様な雰囲気を放っていたからだろうか。
守っていたはずの卵を、人間に奪われた。
それらはとうに逃げ出したが、ここにはまだ、人間が残っている。
ならば――彼女が、怒りの矛先を向けぬはずがない。
子を連れ去られた母鳥の叫びは、巣にあるすべてのものを、びりびりと震わせた。




