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186.女神の慢心

「退屈だったものだから、あの男を揶揄っていたのよ。単純な男で、ちょっと恋心を煽れば面白いことになると思って」

「はあ……」

「そうしたら、偶然、女召使いたちがお前を話題にしているのを聞いて、勢いよく飛び出していったの。変なところで点と線が繋がったのね」


 初心で単純な男は楽しいわ、と、『秩序の女神』はころころと笑う。

 テオドアは、女神の居室に通された緊張から、ろくな返事を返すことができない。無理に緊張を解く必要もないだろう、と、頭の片隅にいる冷静な自分が判断をした。

 女神は、激昂する兵士とテオドアを引き剥がし、「事情聴取」の体でテオドアを自身の部屋に招き入れた。この時点で、彼女が何者かを明かされていない。

 〝雇われただけの一般人なら〟ここで相手の身分を聞かないとおかしいだろう。万が一にも高貴な者に無礼を働いてしまえば、自分の人生どころか家族も巻き添えにして終わる。


 テオドアは、恐る恐る声を上げた。


「あの……お聞きしても良いですか? 貴女は……その、偉いお方で……?」

「ふふ。ご想像にお任せしようかしら」


 そう言って、『秩序』は楽しげに笑う。窓際の長椅子に寝転びながら果物を食べる姿は、尋問どころか客人に対する態度でもない。

 テオドアは部屋の隅に立ち尽くしたまま、女神の様子を眺めた。

 地界の様相に合わせて、高貴な女性が普段着にするようなドレスを身につけている。古代風の服よりは動きづらそうだが、「お忍びで来た貴族女性だ」と言われても納得できる姿だ。

 強引に連れてきた割に、特に罰を与える素振りも、暇潰しに付き合わせる様子もない。

 

 勝手に帰るわけにもいかない。どうしたものか……と思っていると、『秩序』が不意にこちらを振り向いた。

 手には、さまざまな果物の盛られたガラスの皿を持ち、唇の周りについた果汁を軽く舐め取って、言う。


「その指輪、何の効果があるのかしら。誰かに害を与えるものではなさそうだけれど」

「ああ……これは、妻が心配してくれたんです。安全なところからお城に行くとなると、どんな危険があるか分からないでしょう」


 テオドアは、緊張しつつも流暢に、嘘の身の上話をした。すべてが嘘ではなく、巧妙に本当のことを言い換えて。

 まったくの虚構ではない分、言動や態度にも説得力が増すだろう。緊張を無理になくそうとしないのもそのためだ。

 地方から出稼ぎに来た男らしさを表せていることを、願うばかりである。


「魔道具屋で買ってくれた指輪なんです。おまじない程度の魔術ですが、無事に帰還できるようにと……それで、あの、お城の防衛を乱すつもりはまったくなく……」

「お前のような男が間者だなんて、本気で思っていないわよ。使命を帯びているなら、わざわざ目立つところに魔道具を身につけるなんて間抜けなことはしないわ」


 そう言い切られてしまうのも、少し複雑な気持ちになる。

 だが、良い傾向だ。女神はテオドアのことを疑っていない。取るに足らないつまらない男、と思われているなら、多少動き易くなる。

 本当なら、誰にも目をつけられないのがいちばん良かったのだが。その場合、『秩序の女神』が裏でどんな動きをするかが分からなかったため、これが最良だったかもしれない。

 潜入の作戦も、見つかることを織り込んで立てていた。


 テオドアが説明を終えると、『秩序』はさほど興味もなさそうに、「人間の夫婦というのは大変なものね」と呟いた。


「わたくしにも愛する方がいるけれど、心配なんておこがましいこと、できるわけないもの。完璧で、素晴らしくて、何にも代え難い力をお持ちなのだから」

「そうなんですね……」

「でも、退屈になるのも事実ね。わたくしがやれることが何もないの。たまに、城の人間を揶揄って遊ぶくらい」


 彼女は頬に触れる髪を耳に掛け、頬杖をついた。見た目は若く美しい女性だが、千年もの間、変わらずに一柱の男を愛し続ける狂気が詰め込まれていると思うと、迂闊(うかつ)に見惚れることもできない。

 細く息を吐いたあと、『秩序』は憂い気な表情のまま、テオドアに告げた。


「お前、わたくしの暇潰しになりなさい」

「ええ!? ど、どうして僕が……」

「理由が必要? お前はただ、何も考えずに頷いておけば良いの。それとも、わたくしの誘いを断ると何が起こるか、知りたいのかしら?」

(お、横暴だなあ……)


 この感じ、雰囲気に、なんとなく既視感を覚える。

 そうだ。出会ったころの『光の女神』に似ているのだ。あのときは、過分なお気遣いをいただいているものの、まだそこまで親しくはなかった。

 奔放に好きなことをやって、笑い転げる女神。近ごろの、対等であろうとしてくれる『光の女神』もこの上なく愛しているが――あの頃の「なんとも思っていない時期」も、とても懐かしく、愛おしく思える。

 『光』が似ているのか『秩序』が似ているのか。答えは分からない。


 テオドアは頷き、恭順の意を示した。

 田舎の一般人が、貴族社会の礼儀作法など知るはずがない。さすがに無礼だと言われないか心配だったが、『秩序』は特に気分を害した様子もなく、どころか上機嫌に笑った。

 気分も上向いたようで何よりだ。


「決まりね。二日に一度、わたくしの話し相手になってもらうわ。普段の仕事を取り上げるわけではないから、安心なさい」

「はい。分かりました」

「お前は教育のない野蛮人でしょうし、多少の無礼は許してあげる。でも、もしわたくしが我慢できなくなったら……死の準備をしておくことね」


 テオドアは引きつった笑顔で応えた。

 なんと答えていいのか分からなかったし、口を開くとボロが出そうな気がしたので、黙っていた。




-------




 それからというもの、『秩序』は何かにつけてテオドアにちょっかいを掛けるようになった。

 テオドアは普段の業務に勤しみつつ、『秩序』とも会話を重ねていく。高貴な身分だろう女性に、たまに連れられていくテオドアを、周りの使用人や下働きたちは遠巻きに眺めていた。

 きっと、自分がいないところであらゆる噂を流されているだろう。愛人とか、下僕とか。だが、直接に言って来ない以上、無いものとして扱うことに決めている。


(公爵家にいたときは、どんな悪口も言われたい放題だったし、別に良いや)


 そういうわけで、テオドアは来る日も来る日も薪を割り、困っている者の仕事をちょっとだけ手伝いながら、『秩序』の暇潰し相手にもなっていた。

 意外なことに、『秩序』は気が長い。物を知らない庶民と接しているという自覚があるのか、生意気な口をきいても鷹揚(おうよう)に許してくれる。

 ……とは言え、失言で死にたくはない。テオドアも、彼女の癪に障る物言いを慎重に探り、彼女が面白がるように適度に粗野な態度を取っていた。

 

 早く調査を進めなければ、と焦る気持ちはある。

 しかし――ここで焦燥のままに突き進めば、すべてが台無しだ。テオドアは、じっとその時を待った。

 そして、『秩序』がテオドアを見出してから、二週間が経った。


「お前の妻との馴れ初めが聞きたいわ」


 その日は、昼から雨が降っていた。

 『秩序』の居室のカーテンをすべて開き、ぼんやりと外の雨を眺めながら、『秩序』はグラスの中のワインを煽った。

 もうすぐ夜になる。雨の日は特に、面白みのない真っ暗闇になるだろう。

 彼女は、線の細い椅子の上に優雅に腰掛け、気怠げに話題を振ってきた。


 テオドアは、ワインには口をつけず、テーブルの籠に盛られていたパンをひとつ取ってかじった。

 貴族の食事に供されるものより固いが、噛みごたえがあって美味しい。テオドアは咀嚼(そしゃく)したパンを飲み込んでから、答えた。


「……僕のことは後にして、先に貴女の馴れ初めを知りたいです。いつも惚気ているじゃないですか。どんな人か知りませんけど、すごい人なんでしょう?」


 テオドアと『秩序』は、互いに名前を知らなかった。

 彼女は名乗らず、テオドアも聞かれなかったので答えない。それで困ることは何もない。名を呼び掛けるほど、親しくもない。

 『秩序』は目を閉じ、微笑んだ。「そうね」と言って、グラスをテーブルに置く。


「あの方は……とても正直なの。昔、あの方が熱心にわたくしを口説き落として、恋人になったのは本当よ。でも、わたくしはね、あのお方の唯一ではなかった」


 その微笑みに、一片の悲哀もなかった。


「だって、あの方がわたくしを口説いた理由は――()()()()()()()()()()()()()()()()()、なんだもの」

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