185.王城単身潜入任務
一晩でだいたいの調査を終え、テオドアたちは宿に戻ってきた。
寝こけていたセブラシトを叩き起こし、休憩室に篭って作戦を話し合う。寝起きで不機嫌に文句を言っていたセブラシトも、ペレミアナが作った「地下の予想図」を見て表情を引き締めた。
「予想以上に〝魔物部屋〟が大きいな……どんだけ詰め込んでるんだよ」
「そんなに詰め込んで、魔物同士が争ったりしないものかな? あとは、生殖能力がある魔物――〝魔獣〟が勝手に繁殖したりとか」
「人造の魔物なら、そういうのは調整してるでしょ。そこら辺のをとっ捕まえてるなら別だけど」
人間二人がやいやいと言い合っている間にも、ペレミアナは自分が作った予想図をじっと眺めていた。
王都の中で、王城を中心とした周辺に張られたと思わしき結界。さらに、その中の大半を魔物の棲家が占めている。
だが、魔物を人為的に集めたならば、人間が出入りする通路が必要だ。どんな阿呆でも、ただの穴ぐらに魔物を適当に放り込んで管理する者はいない。
音の反響が変だった、という箇所を炙り出し、地下の予想図を簡易的に書き出した。ペレミアナは、王城の辺りを指差して言う。
「地下への出入り口があるとしたら、ここら辺です。やっぱり、王城の外より中のほうが、管理も易しいと思うので」
「しかし、人目についてはいけませんから、王城の中でも辺鄙な場所にあるのではないでしょうか」
セブラシトが、相変わらず女神には敬意を払って言う。テオドアは胡乱な目を向けたが、彼はどこ吹く風と堪えた様子はなかった。それどころか、テーブルの下で、女神に見えないように足を蹴ってくる。
当然、テオドアも応戦した。
ペレミアナは、男たちの水面下の戦いには気付かず、素直に頷く。
「そうですね……事情を知らない者がうっかり見つけてしまって、万が一にも侵入されたら困りますし。だから……通路がこうあって……こうだから……」
ぶつぶつと言いながら、彼女は何度も、指先を紙の上で行き来させる。頭の中であらゆる選択肢を試しているのだろう。
そして、右手の内にペンを出現させると、出入り口があると思しきところに印をつけていった。
いずれも、王城内部ではなく外側。城壁近くの、おそらくわざと作られた死角の場所。洗濯物を抱えた下女さえも通らないほど〝何もない〟ところだ。
地図だけでは詳細な情報は読み取れない。そもそも、地図に重要なものを書いてしまっては国防上の脆弱性に繋がる。紙の上では何もないものの、何かが建設されている可能性もある。
だが、探る価値も充分にある。
「……ほんとに一人で突撃する気? 別にきみが死のうが構わないけどさあ、拷問されて情報吐いて僕が危険な目に遭うのだけは勘弁してよね」
「捕まった時は君が主犯って言っておくよ」
「おい! ふざけんな!」
「半分は冗談だよ。でも、勝機はある。僕は一人で戦いに行くんじゃなくて、女神さまたちが地下にいるかどうかを確かめに行くだけだから」
この『番人』の身体でルチアノと会っているが、下働きとして潜り込む予定だから、城で出くわす確率は限りなく低い。
念のために、顔形の雰囲気もペレミアナの魔法で変えていただくつもりである。
テオドアは、確信を持って告げた。
「それに、少しでも妙な動きをすれば、彼女は必ず現れる。だから、もし自力で出入り口を見つけられなくても、きっと自ら案内していただけるよ」
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数日後、厨房などに薪を供するための薪割り係として、テオドアは城内に侵入を果たした。
奇しくも、城壁が壊れて住む家を追われた民への「救済措置」のお陰で、雇われるのも容易かった。行き場をなくした人間として辛い身の上を話せば、それだけで採用されたのだから。
それもこれも、ルチアノが善政を敷こうと努力しているからこそ成せる技である。
(僕としてはありがたい話だけど、怪しい人間もどんどん採用しているみたいだった。大丈夫なのかな?)
城の裏手にある小ぢんまりとした中庭で、ひたすらに薪を割り続けながら、テオドアは考えを巡らせる。
採用された「同期」を少し見ただけでも、良からぬことを企んでいそうな面々はごまんといた。
その〝良からぬことを企んでいる〟筆頭たる自分が、言えたことではないけれど。
(油断……いや、勝者の余裕か。今のこの世で、ルチアノや『最高神』に敵う人間なんて一人もいない。妙な人間が紛れ込んでも、大事には至らないと考えているのか……)
宝石の一つや二つが盗まれたところで、どうってことはないのかもしれない。彼らの手中には、宝石以上に価値のあるものが収まっている。
女神。『最高神』としては、ただ好みの女を集めただけかもしれないが、彼女たちは基本的になんでもできる存在だ。やろうと思えば山も海も割れる。
世界中の富を集めることもできるだろうし、宝石だって思うがままに出現させられる。ただ、やろうとしないだけで。
例え『最高神』の力が衰えていたとしても、女神は充分に強力な兵器となり得る。
斧を振りかぶり、そのまま打ち下ろす。
綺麗な断面にできると少し嬉しくなる。初めは疲労が勝つが、同じ動きを淡々と繰り返しているうちに、感覚が研ぎ澄まされて爽快感さえ味わえるようになる。
懐かしいな。こういう単純な肉体労働は、今世ではあまりやってこなかったから。
冷遇されていた母を助けて金を稼いでいたものの、本格的な肉体労働は、あまり仕事として選ばなかった。需要も体力もなかったからだ。
もっと金払いが良い、商店に潜り込んで下働きとしてこき使われるほうが割りが良かった。
前世は、たった一人で生活を回していた。
薪割りも、楽しいとか辛いとかではなく、ただの日常の義務だった。生活に必要な火を熾すための作業。
労働にやりがいや汗の尊さを見出すのは、生活に僅かでも余裕がある者の特権であると――転生してから、テオドアは深く思い知った。
顎に伝う汗を拭い、作った薪を縛って積み上げる。ある程度作り終えたら、厨房に持っていくことになっていた。
「おい、お前」
「はい?」
突然に声をかけられ、驚いて振り返る。見ると、あまり素行のよろしくなさそうな風貌の兵士が、不機嫌も露わにこちらを睨みつけていた。
知り合いだっただろうか、因縁をつけられる覚えはないのだが。
相手の出方を伺っていると、彼は悔しげに歯を食い縛り、いきなり人差し指を突きつけてきた。
「お前! 調子に乗るなよ!」
「……はい?」
「俺たちのティアちゃんをどうしてくれるんだ!!」
「はあ……?」
ティアちゃん……とは? 心当たりがまったくないことで怒られ、さしものテオドアも思考を止めた。
なんだ! 知らないとは言わせねえぞ!! と、自分で自分の怒りに鼓舞されたのか、兵士の声がどんどんと大きくなっていく。とりあえずは簡単な事情を聞き出そうと、テオドアは冷静な口調で問いかけた。
「そのティアちゃん? と、僕になにか関係が?」
「お、お前が……お前が来てからなあ……! 女使用人がみんな浮き足立って素っ気なくなりやがった! お前のせいだ!!」
「……気のせいですよ、絶対に」
ああ、痴情のもつれか、といち早く察知する。ここ数年、女性たちと過ごす機会が多く、そういった話題には嫌でも敏感になっていた。
第一、雇われてから数日の男に、城の女性使用人が軒並み惚れるわけがない。そこまで簡単な女性だけではないはずだ。接点らしいものといえば、厨房に薪を持って行って、力仕事をちょっと手伝ったくらいである。
悪感情は持たれていないとは思うが、恋ではないと思う。
しかし、兵士はますますいきり立ち、口角泡を飛ばして叫び続ける。
「いーや! 絶対お前に惚れてんだよ! ティアちゃんは俺みたいなクズにも優しくしてくれた可愛い子なのにここ数日はお前の話しかしないし頬なんか赤らめちまってふざけんなあ!」
「仮に、仮にですよ。そのティアちゃんが僕に何かしらの感情を抱いていたとしても、僕は応えられません。妻帯者なので!」
「はあああ!? 妻帯者なんていちばん信用できねえだろ世の中の十割の既婚男は浮気してんだからよ!」
「それは既婚男に対して偏見があり過ぎますよ!?」
一向に埒のあかない応酬に、テオドアも疲れを覚え始めた。
きっと、兵士も憤り過ぎておかしくなっているだけなのだろう。しかし、怒りの対象であるテオドアが何を言おうと、火に油を注ぐだけだ。
一方的な大騒ぎに、人も集まり始めてきた。こういう風に目立つのは避けたい。テオドアは潜入している身なのだから、顔を覚えられてはすべてが台無しだ。
「ですから、一度話を――」
テオドアが斧を置き、兵士に向き直った。
その時だった。
「あら。お前、妙な指輪をしているわね。これが誓いの指輪だとでも言うつもり?」
左手を軽く引かれ、テオドアはそちらへ視線をやった。目の前の兵士も、先ほどまでの絶叫はどこへやら、一瞬で呆然と黙り込んでいる。
豊かな萌黄の髪の、恐ろしいほど美しい女性。
テオドアは、彼女が誰であるかを知っている。
だが、おそらく――『秩序の女神』は、相手がテオドアとも知らずに左手を掴み上げ、興味深そうに銀の指輪を眺める。
そして、こちらと目線を合わせて、邪気などなさそうに笑うのだ。
「魔道具を身に付けるなんて、ただの難民じゃないわ。――素直に吐けば、少しくらい罰を軽くしてやれるけれど?」