間話.囚われの戦女神は笑う
どこまでも暗い場所だ。
ティアディケは冷たい檻の中で、膝を揃えて折目正しく座っていた。神に食事や排泄は必要ないため、石を切り出した椅子しか置かれていない。
――が、食事は娯楽のひとつだ。なくなると寂しい。
この檻の、壁一枚隔てた向こう側には、魔物の巣窟がある。
土壁であるから、いつ蹴破られるかは分からない。常に得体の知れない生き物の気配が彷徨い、獣の息遣いが這いずっていた。
おおかた、戦意を喪失させるために、わざとこのような場所に閉じ込めたのだろう。『最高神』――真偽は分からないが、ティアディケたちの神気と権能を奪った者は。
ティアディケは、勝ち誇って己を閉じ込め、檻の前から去って行った男のことを思い出し、僅かに笑んだ。
「彼の男は、吾の事を知らずに閉じ込めたな。『戦と正義』を司ると言えど、権能を奪えば、か弱き生娘に成るとでも思ったか」
いいや、自分のことなどは、あくまでも「副賞」といった雰囲気だった。
あの日――天界にて、謎の光を確認しに行ったとき。ルクサリネとティアディケは、光があったと思しき山中に分け入り、そこで見覚えのない精霊たちに囲まれた。
異様だったのは、彼らが一様に生物的でない動きを取ることである。すぐにティアディケが打って出て、数人に致命傷を負わせたが、傷をものともせずに立ち上がるのだ。
ティアディケは悟った。彼らは、草の息吹や川の流れから生まれる精霊ではない。
どこかで他者の手が加わった「人工生命」なのだと。
「吾も鈍ったな。油断をしていた積りは無いのだが」
彼らの異様な動きに少し手間取っている間に、不意打ちを喰らった。目には見えなかったが、恐らくは離れたところからの追撃だ。山中であることを鑑みるに、そう離れてはいなかっただろう。
ルクサリネも、ティアディケに劣らぬ活躍ぶりだったものの、多勢に無勢。
体勢を少し崩してからあっという間に隙を突かれ、二人は妙な精霊たちに捕えられた。
そこで、満を持して、『最高神』の登場である。
『最高神』の器となっているのは、テオドアと〝依代〟の座を争った男だったらしい。ティアディケは直接の面識はなかったゆえに然程の衝撃はなかったが、ルクサリネは驚愕していた。
そして、『最高神』に対して、これ以上ないほど動揺していた。
ルクサリネは、『大戦』以前に生まれた女神だ。『最高神』とは、因縁浅からぬ相手であったと推測できる。
『最高神』の側も、ルクサリネに特別な感情を抱いているらしい。あまり他者の機微に聡いほうではないティアディケだが、彼がルクサリネばかりを気にしていたので、すぐにそれと分かった。
――お前の夫となるはずの〝忌まわしい男〟は、俺の器が殺した。
そう言い切って、ルクサリネを昏倒させる。その時初めて、ティアディケは、自分が持っているはずの権能が振るえないことに気が付いた。
話している最中に――いや、この地に足を踏み入れた時から、じわじわと奪っていたのだろう。神気もごっそり失われ、二人は下級精霊よりも弱い存在となっていた。
(吾が檻に入れられてから、レネーヴも捕縛されたと聞いた)
ご丁寧にも、『最高神』が定期的にやって来て自慢話をしていく。
恐らく、ティアディケたちが連れ去られたすぐ後に、レネーヴが追って来たのだ。彼女は争いに長けていない。権能からしてそうだ。
捕まるのは、申し訳ないが必然だったと思う。
鉄格子の向こうを見る。暗く湿った地下空間は、それなりに広い。
虜囚を隣同士の檻に入れるほど、あちらも馬鹿ではないということか――レネーヴがどこにいるかはまったく分からなかった。
まあ、やりようはある。
牢屋の管理は面倒だ。わざわざ女神を三人、ばらばらの場所に閉じ込めておくのは、見回りの手間も管理の手間も煩雑化する。
だから、レネーヴは確実に、この地下にいる。
あの執着ぶりからして、ルクサリネは手元に置いておきたがるだろうから、ここにはいない。
ペレミアナは――逃げおおせたと信じたいが、果たして。
「……」
ティアディケは目を閉じ、椅子に深く座り直した。
背後の壁を叩く。反響に耳を澄ます。
それだけで、三つ先の檻まで、誰もいないことが分かる。
ふ、と思わず笑みが溢れた。
『最高神』は、ティアディケを見くびっていた。
権能を奪い、神気を失わせれば、抵抗の余地をなくせたと思い込んでいるのだろう。
馬鹿なことを。権能とは、あくまで「神気を使って行使できる固有の能力」のこと。『戦』と『正義』に特化したこの肉体は、健在である。
『最高神』ともあろう者が、知らないはずがない。しかし、余裕そうな素振りとは裏腹に、切迫詰まっているのか。そこまで頭が回っていない様子だった。
(我が身とレネーヴは、添え物の戦利品だ。テオドアを〝殺した〟と言い張る以上、勝利は確実。『最高神』が見せた粗暴さからすれば、吾らを直ぐに手籠にしたがってもおかしくはないが……)
戦とは、かくも残酷なものである。勝者は敗者のすべてを貪るものだ。男なら隷属か死刑。女も同様だが、気に入られれば勝者のもとに侍らされ、一生を食い尽くされることもある。
『最高神』は、ティアディケを煽りには来るものの、一定以上の手出しをしようとはしなかった。馴れ馴れしく触れたりはするが、性的な行為はない。
そちらの方面は清らかなのだろうか?
否。
結構な頻度で、目の前の女を抱けない事実に苛立つ様子を見せていた。
ここから導き出せる答えは、決まっている。
(男として役に立たない故に、女を手籠に出来ない。が、高い自尊心が、代替行為で満たす事を拒否している)
ひいては、それほど弱っている、ということだ。
器の身体ひとつ満足に動かせない。それは付け入る隙になり得る。脱出する手立てさえ見つかれば、すぐにでも逃げ出せる。
そこまで考えて、ティアディケはふと、自分がいつにもなく高揚していることに気が付いた。
嗚呼。困難を乗り越えるのは、吾の本分だったな。
平和な時代が続くというのは、それはそれで素晴らしいことだ。しかし、『戦』を司って生まれてきた以上、ティアディケの本質は『正義としての戦』なのだった。
天界はただでは済んでいないだろう。地界も、秩序の崩壊が起きかけているかもしれない。
だが、それでこそ、存分に暴れられるというもの。
「――今回は、吾らが被害者で、正義だ。立場を存分に使う為、卑怯な事はすまい」
だが、少し頭を使って裏をかくことは、咎められることではない。『正義』は依然として貫くことができる。
捕まったのも――吾自身のみであればだが――そう悪いものではないな。
ティアディケは嬉々として、「脱獄方法」に頭を悩ませ始めた。
魔物が近くにいようがいまいが、まったく堪えていなかった。