181.正しくない正義
こんな状況になった理由がある。
それは、「不機嫌になって外に出ようとしていたは良いものの、建物内で迷子になっていたセブラシトを、『魔力持ち』の子どもたちが案内した」……ということらしい。
彼には方向音痴の素質があったのか。と、セブラシトを見ると、彼は険しい顔でそっぽを向いた。
「ちょうどお散歩の時間でしたので、神官さまと鉢合わせたのです」
「神官さまがお優しいから、この子たちも懐いてしまって」
というわけで、子どもたちはわらわらとセブラシトに群がり、好き勝手に喋っていた。
幼子は男女の別なく養育している。セブラシトの身につける魔石に目を輝かせる少年もいれば、セブラシトの背中によじ登ってにこにこしている少女もいる。
感情に任せて振り払えば良いものを、元大司祭の癖か何かか、慈悲深く――顔が怖すぎるが――耐えていた。髪を引っ張られても何も言わないのは、セブラシトの本性を知る者としては驚愕するばかりだ。
ただ、さすがに鬱陶しかったらしい。彼は無言で右手を掲げ、何事かを呟いたかと思うと、幼子たちを宙に浮かせた。
「そろそろ散歩も終わりでしょ。先生に迷惑をかけないほうが良いよ、ガ――子どもたち」
そのまま、職員の方に飛ばす。職員たちも心得たもので、彼らを抱きかかえたり紐で自身の身体に縛ったりしたあと、素早く礼をして去って行った。
子どもたちの不満の声が遠ざかる。
ルチアノは、セブラシトを見た。
「……安全に処理できていないようだが?」
「それ以上言ったら殺す」
「セブラシトさま、抑えましょう。殿下に悪気はないようです」
バンの取りなしにより、なんとか殺意を収めたセブラシトは、皺になった袖口を伸ばしながら言った。
「きみ、ちょっとどっか行ってて。僕は王子と話がある」
「はい。承知いたしました」
バンは何も聞かずに礼をとり、あっさりとその場を去っていく。
彼の姿が見えなくなってから、セブラシトは鼻を鳴らして嗤った。
「ああいう素直なのって損だよね。あいつさ、お人好しのせいで財産も地位もむしり取られてんの。周り全部敵だと思ってなきゃやってらんないでしょ、普通」
「……話というのは?」
「はあ? ……ああ。さっき聞いたじゃん、『魔力無し』のことがなんで分かるのかって」
セブラシトはこちらに顔だけ向けて、軽く言った。
「きみさあ、そうなってどれくらい経った?」
「……言っている意味が分からないが」
予想外のところから、いきなり殴られたような心地だった。
動揺を隠すのには慣れている。上っ面の表情を浮かべるのにも。
まだ、彼の言っていることが、何を指しているか分からない。何を言われてもしらばっくれればいい。
と思っていたのだが、セブラシトはそう甘くなかった。容赦無く畳み掛けてくる。
「別に言いたくないんなら良いけど。きみに乗り換えられる前は、僕がその役目に挙がってたから。興味があってさ」
「役目……?」
「嘘吐くのへったくそだよね。『この世で最も尊いお方』だよ。分かるでしょ」
セブラシトは、子どもに掻き乱された髪を整え、こちらに近寄ってくる。
自然、ルチアノは何歩か後退ったが、それよりも早く追いかれた。セブラシトはルチアノの胸ぐらを掴み、嗤って言った。
「きみだけに打診された特別なお役目だとでも思ってた? 聖ロムエラ公国は『最高神』を最も重要な神として崇めてる。――消滅した途端に神殿や信仰心を忘れ去った別の国とは違って」
「っ……」
「だから、僕の国は魔術を行使するとき、神に祈る。唯一無二の『最高神』に。そういう場所なんだから、器となる候補がいて当然だろ」
代々の『大司教』は、『最高神』を復活させたい女神と手を組み、あらゆる努力を重ねてきた。
すべては、『最高神』が消えても紡がれ続ける、間違った世界を正すために。
そこまで聞いて、ルチアノは手を振り払った。距離を取り、喉を押さえながらセブラシトを睨みつける。
その視線を、彼は難なく受け止めた。
「……つまり君は、私を恨んでいるんだな?」
「あはは、節穴だなあ。そんなわけないじゃん。むしろ、お役目がなくなって清々するね!」
「では、なぜ」
「僕がお役目に抜擢されたのは、この眼のせい」
言いながら、セブラシトは自身の眼を指差す。
彼の、髪と同じ灰色の瞳が、冷たくルチアノを見据えた。
「『魔眼』って言うと通りが良いかな。魔力の流れが読めるし、使われた魔術や魔法を視て、解析して模倣することだってできる。まあ、『魔眼』を持ってるってだけじゃできないから、僕は貴重な人材だったってわけ」
「……」
ルチアノは、セブラシトの視線から逃れるように、地面に目をやった。
目的が分からない。彼にとっても、その話はおいそれと言い触らして良いものではないはずだ。いくらルチアノの現状を暴くためとはいえ、少々、喋り過ぎではないか?
――いや。もしかして。あのことがバレたのかもしれない。
彼は『最高神』を尊ぶロムエラの出だ。ルチアノが為そうとしていることを見抜き、警告をしているのかもしれない。
どう誤魔化すべきか……黙秘をするべきか。
黙り込んだルチアノに、セブラシトは呆れたように息を吐き、言った。
「……辛気臭いな。被害者面とかやめてくんない? ていうか、別に責めるつもりで言ったわけじゃないし。きみが何を企んでて、どんなことをしようが、僕にはまったく関係ないしさ」
「いや……だが……」
「言っただろ、『大司教は僕を見捨てた』って。今の僕には、あいつに告げ口するツテもないよ」
ルチアノが目を上げたのと同時に、彼はこちらに背を向けた。
別れの挨拶もなく歩き出し、少し行ったところで、「あ、そうそう」と振り返る。
「きみが死のうが生きようがどうでもいいけど、そこまで思い詰めた理由くらいは興味あるね。何かあったの?」
「……教えられない」
「ふーん……」
彼は少しの間、ルチアノの顔を探るように眺めていたが、やがて興味を失ったように目を背けた。
建物のほうへ再び足を向けながら、呟く。
「相変わらず、自分に甘いよね。目的のためなら、他人なんかいくらでも犠牲にしていいと思ってるんでしょ?」
ルチアノは、去っていくセブラシトの姿を睨み、唇を噛んだ。
握り締めた拳のせいで、手のひらに爪が食い込んでいるのが分かる。
お前が言うな、とは言えない。言えなくなってしまった。
たったの数年前が、遠い昔のように思える。まだ道を踏み外していないとき。愚直に自論を振りかざし、満足ができていたとき。セブラシトとデヴァティカの所業に、ただ義憤を覚えていられたとき――
彼と今の自分の、何が違う? いいやむしろ、自分とセブラシトを比べてしまっては申し訳ない。彼がどんなに悪どい男だとしても、ルチアノほど人を、神を、精霊を、殺した者はいないからだ。
分かっていたはずだった。それでも、自分が正しい道を歩んでいると思っていたかった。
これでは『最高神』を責められない。
あのお方がどんなに下衆な考えをお持ちだろうが、ルチアノに咎める権利はない。
俯き、きつく瞼を閉じる。
大丈夫、もう少しの辛抱だ、と、心の中で繰り返しながら。
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「相当参ってるみたいだよねえ、あの王子さま」
少し後――田舎道を走る馬車の中。
セブラシトは頬杖をついて外を眺めつつ、対面で礼儀正しく座っているバンに話しかけた。
救貧院を出たあと、セブラシトはできる限り王子たち一行から離れ、外れにある森の入り口で待たせていた馬車と合流した。
そこには既に、バンが待機していた。彼も王子に挨拶なく帰ってきたのだが、指摘する者は誰もいない。
小石や道の凹凸からの揺れに眉を寄せ、しかしセブラシトは上機嫌だった。「あの顔は傑作だった」と、話を続ける。
「人間って、自分が正義だと思い込んでるときがいちばん調子乗るじゃん。あいつ、頭では分かってたけど自覚は薄そうだったし、精神が不安定みたいだからさ。僕がちょっと正論っぽいこと言ったらめちゃくちゃ動揺してんの。もう笑わないように必死!」
「セブラシトさま」
バンが言外に嗜めるが、セブラシトは腹を抱えて笑う。『試練』のとき、暑苦しく正義をぶち上げていたルチアノの変貌が、よほど愉快だったらしい。
ひとしきり笑ったあと、目に浮かんだ涙を拭いつつ、馬車の壁に背を預ける。
「その点、きみは一貫してるよね。禁術使ってるし、死んだ他人の身体なのに、ぜんぜん動じてない」
「まあ、この肉体を管理している方に、許可は取りましたので」
「あーあ。つまんないな。『試練』のときの復讐ができるかと思ってたのにさ」
大袈裟に嘆く素振りを見せるが、バンは動じない。穏やかな笑みを浮かべて頷く。
「僕はそこまで、できた人間ではありません。世界を救うなんて考えもできない平凡な人間であると、自覚しています」
「平凡〜?」
セブラシトは、その言葉にすぐさま噛みついた。胡乱な目でバンを見据え、「冗談だろ」と吐き捨てる。
「どこの世界に、首切られて死んだ後に『冥界の神』と交渉して、保存されてた死体を使って蘇って女神を引き連れて地上に出てくる〝平凡〟がいるんだよ」
「それはまあ、ここに……。それより、そんな胡散臭い人間の話に乗る神官がいたのも驚きですが」
「はあ? 馬鹿にしてんの?」
「事実では?」
しれっと答えるバンに、セブラシトは憤って腰を浮かしかけた。
――が、何かを思い出したのか、すぐに座り直す。今度は不機嫌なまま肘をつき、苛立ちを隠さずに言い放つ。
「とにかく。僕は僕の目的のために協力しているだけだ。利にならないと分かったら、すぐに全部の情報持って『大司教』のとこに行くからな」
「ええ。承知しております、セブラシトさま」
「さまって付けんのやめろ。鳥肌が立つ」
セブラシトは自らをかき抱いて震え、「その死体の身体が腐らないようにしろよ」と嫌そうに釘を刺す。
バンは微笑んだまま答えた。
「腐敗の心配は無いと思います。かれこれ百年くらい、保存魔法を掛けられ続けていたので」