177.罪ある者の迷いと秘策
黙って話を聞いていたが、テオドアはひどく困惑した。思ったような話運びではなかったからである。
ペレミアナは溜め息を吐いてしゃがみ込むと、膝に頬杖をついた。
「わたし……テオドアさんにひどいことをしました。覚えているでしょう」
「ええ、まあ……」
「今回の、『秩序の女神』が起こしたことは、わたしたちの起こしたことと何も変わりありません」
ほんの一年ほど前まで、彼女は前世のテオドアへの執着をまったく隠していなかった。どういう心境の変化か、そこから少しずつ態度が変わり、以前よりも『番人』に対する恋慕は〝表向き〟なりを潜めていた。
もちろん――テオドアと婚姻することになったから、というのが大きいだろう。〝依代〟となって百年後に消滅する際に魂を譲り渡す契約が、今も生きているからかもしれない。
しかし、ここまで思い詰めていたとは思わなかった。テオドアはじっとしたまま先を聞いた。
「愛するひとを復活させたい。わたし、その気持ちが痛いくらいに分かるんです。あのとき、あなたを見つけなかったら、わたしたちは今でも亡骸のそばにいました。それこそ、千年でも一万年でも、あの人を蘇らせるために手を尽くしたと思います」
あのとき、とは、『神々の楽園』と呼ばれる山の上で、ペレミアナがテオドアを見つけたときのことだろう。
どんなに時間が掛かってでも、必ず目的のものを手に入れる。『秩序の女神』の想いは世界を壊しかねないが、王家と公爵家ひとつをめちゃくちゃにしかけた三女神もまた、同じ罪を持っている。
神の身勝手さは、もはや宿命なのだ。
「今度はわたしたちが被害者になったから、ひどいって思いますけど……一緒ですよね。わたしも、あの人が魂ごと消滅していたら、きっと創ります。相性の良い人間の肉体を殺してでも奪って、あの人のために作り直します」
「ペレミアナさま……」
「それで、生き返ったあの人に責められても、構わないんです。蘇らせるのは、わたしが望んでいたことなので、あの人の意見は――否定されたら悲しいかもしれませんけど、本質的にはどうでも良いんです」
はっきりと言い切って、彼女は固く目を閉じた。
手を下ろし、立ち上がる。ふらつくように窓辺に寄り掛かると、静かに肩を落とした。
「『最高神』と『秩序』は……利害が一致したんでしょう。神同士の愛は、ものすごくうまくいくか、壊滅的に合わないか、どちらかしかありません。でも、人間が相手だったら?」
「……」
「今さらなことを言っている自覚はあります。ありますけど……『秩序の女神』の話を聞いてからずっと、頭から離れなくて」
おそらく、罪悪感からではないだろう。
テオドアは、女神の姿を眺めながら、冷静にそう判断した。
ことここに至っても、彼女は自らの所業を後悔していない。ただ「自覚」しているだけ。『秩序の女神』の行いに同情こそすれ、同調はしない。抵抗し、排除する対象であるのには変わりがない。
ペレミアナは、「自分に『秩序の女神』を糾弾する資格があるのか?」を、純粋に問うているのだ。
ない、と言えば、彼女は身を引くだろう。後方支援に回るかもしれない。
ある、と言えば、テオドアとともに乗り込む心づもりか。
要は、罪を自覚したまま身の程をわきまえるべきか、振り切って突き進むべきか。そこを悩んでいる。
(だとするなら、答えはひとつだ)
テオドアは、黙り込んだペレミアナの前まで歩み出る。そうして、彼女の両手を――マントの袖口ごと掴んだ。
魂のままでも、布越しに彼女の体温が伝わってくる。
「ペレミアナさま。僕に悪いとお思いなら、そんなことを言うのはおやめください」
長い睫毛に彩られた瞼が上がり、潤んだ瞳がテオドアを見上げる。
後悔はしていなくても、傍若無人にしか在れない自分を嫌悪しているのかもしれない。ふと、そんなことが脳裏に過ぎった。
だとするなら、今から言う言葉は、彼女にとって残酷なものになるだろう。
「あちらが貴女さまと同じような罪を犯したとして、だからどうしたと言うんですか? 貴女さまの罪が増えますか、軽くなりますか? いいえ、どうともなりません。貴女は貴女です」
「――」
「そんなことを言ったら、ティアディケさまやレネーヴさまが、『最高神』から逃げることさえも罪になってしまいます」
そんなわけはないだろう。どんな罪を犯した者だとしても、他者に暴力を振るわれれば被害者になる。そこから逃れるのを非難する権利は、感情論を除けば、誰にもない。
――この場で唯一、テオドアだけが、彼女を糾弾することができる。
アルカノスティアの王弟は処刑された。その娘も死んだ。テオドアの異母兄は廃嫡された。元ヴィンテリオ公爵は爵位を剥奪された。
三女神のせいで、人生をめちゃくちゃにされた者が大勢いる。
だが、だからこそ。彼女には傲慢で居続けてもらわなくては。
「良い人になろうとしないでください。貴女さまは女神です。本質は誰にも変えられませんし、ご自身にも不可能でしょう。無理に変えれば歪みます」
そう。神自身がどんなに願っても、厭っても、人間に寄り添おうとしても、根本から相容れない。数年間、神々と接する栄誉に浴し、そのことをよくよく思い知らされた。
ならばいっそ、開き直ってしまえばいい。
「女神らしく、気に入らないものを排除してください。貴女さまにとって、『最高神』や『秩序の女神』は、好ましい存在ですか?」
「……いいえ……」
「それなら、共に倒しましょう。あちらが我がままを通そうとするなら、こちらも同じくらい身勝手になるべきです」
そして、テオドアは、露悪的に笑った。
「知っていますか? 僕たち人間も、我が身が可愛くて、自分の利益のことしか考えていないんですよ」
「……」
ペレミアナは、目を丸くしてテオドアを見ていたが――やがて力を抜き、ゆっくりと姿勢を正した。
「……そうですよね。どうかしていました。古き女神と『最高神』を相手に、怖気付いていたのかもしれません」
「ええ」
「もう、大丈夫です。覚悟を決めました」
そこに、もう、迷い戸惑う女性の姿はない。愛する人の死を経て、自分の気持ちに忠実に、他人を巻き込むことすら厭わない女神がいた。
彼女はテオドアの手を丁寧に外し、振り返って窓を開ける。澱んでいた空気がざっと押し流され、さわやかとは言い難い風が部屋を満たす。
ペレミアナは目を細め、海の向こうを眺めた。
「わたし、幼いころはここで育ったんです。赤ん坊のときから、立って話せるようになるまでの、ほんの数年でしたけど」
「では、ここがご実家なんですね」
「そうです。お母さまとの二人暮らしは、大変でしたが、楽しくもありました。でも……お母さまは、ご自分が他人の魂を司ることに、悩みも苦しみもあったようです」
だから、と、彼女は呟くように言う。
「わたしがやろうとしたことは……いいえ、これからやろうとすることは。お母さまの顔に泥を塗り、貶める行為なのかもしれません」
でも、やります。
ペレミアナは再びテオドアに向き直ると、そっと身を寄せてきた。立ち尽くすテオドアに抱きつくように、腕を背に回し、口を耳元に寄せる。
魂だから触れられない。だが、いきなり近付いてきた女神に、テオドアは少し戸惑った。
それにも構わず、彼女は囁く。
「きっと、帝国の息が掛かっていない国なら、比較的、冥界の道が開きやすいはずです。帝国軍がひとつひとつ神殿に細工するのは、まったく関係のない国では目立ってしまいますから」
「……なるほど。国の外から魔術を施すにしても、国境の壁に近づけば怪しまれますしね。間者を仕込んでも、怪しい者が怪しげなことをすれば目立つ……」
とすれば、ジダ=パノミド国が、いちばん帝国から遠いので有力候補になるか。
いや……その隣国である聖ロムエラ公国も、帝国と同じくらい怪しい。今回のことにまったく関与していないとは考えづらく、地理の上では、敵に死角はなさそうだ。
ペレミアナは、「地道に探しましょう」と言う。
「死の精霊たちにも手伝ってもらいます。彼らも、仕事ができないのは困りますから。一ヶ所だけでも綻びを見つけられれば良いんです」
「しかし、綻びを見つけたとして、僕の肉体が治らないことには……」
「それも、わたしに考えがあります」
ふふ、と、笑う声。先ほどとは打って変わって、自身に満ち溢れた声音だった。
そうして手短に語られた「考え」に、テオドアは、自分の目がだんだんと見開いていくのを自覚した。
だから、彼女はあれほどまでに悩んでいたのだ。覚悟を決めて開き直ったから、こうして自信たっぷりに話すことができるのだろう。
テオドアは、深い驚愕を感じるとともに、舌を巻いた。
やはり、神は手段を選ばない。使うとなれば、なんでも使うのだ。
「……貴女さまが、ご不快でなければ」
話を聞き終え、辛うじてそう言うと、ペレミアナは身を離してテオドアを見上げた。
「ご不快? どうして? わたしにとっては、むしろ良いことだらけです」
「……そうですか……」
美しく微笑む彼女に気圧され、テオドアはただ、頷くことしかできなかった。