174.自称一般人、冥界に来たる
「坊ちゃーん! 魂になってもお元気そうでー!」
なんかいた。
……いやいや、なんか、などとは言ってはいけない。テオドアは雑念を掻き消し、走ってくる少年を見た。
ペレミアナとは門の前で別れ、テオドアとミシェは川辺を上って『冥界の神』の館まで向かっていた。
その道中でぽつぽつと話をしたが、なんの意味もない憶測ばかりで、到底、後で役立つようなものではない。ただの雑談と割り切り、二人は沈黙を続けぬように、適度に口と足を動かしていた。
どれほど歩いただろうか――陰鬱な川面も見飽きたころである。
静かな川辺に、バタバタと賑やかな足音が聞こえてきたかと思うと、前方から、ものすごい勢いで走ってくる人影が現れた。
大きく手を振ってくるのは、誰あろう、リュカである。
公爵家で迫害されていたとき、ほとんど唯一の味方だった下働きの少年。人外疑惑があり、数年前から一向に身体の成長の兆しがない男だ。
珍しく地界の庶民服を来たリュカは、テオドアたちの前に着くと、笑いながら言った。
「いやー、お久しぶりです! なんか、天界とか地界とかめっちゃくちゃになってるみたいで、旅好きのオレとしては大打撃っす!」
「久しぶり、リュカ。どうして冥界に?」
「そりゃあもう、坊ちゃんの肉体の一部を持ってくるためっすよ。現状、オレしか運べるヤツがいなかったんで」
リュカは親指で自らを示してから、これ見よがしに溜め息を吐く。
「ほんと、冥界に降りるって大変なんすよね。オレみたいな……えー、普通の人間は、そもそも入る資格がないんですよ。抜け道を見つけるのに一週間かかりましたもん」
「〝普通の人間〟って言い張るの、もう無理があるよ?」
「いえいえ、オレ、普通の純真無垢な少年なんで! 信じてください!」
と言われても、テオドアは苦笑いしか返せない。
どう考えても人間ではないだろうし、言い逃れできないのも分かっているだろうに。あくまでリュカは、シラを切り通すつもりなのだろう。
テオドアは、自らの隣に立つミシェへ、視線を移した。
案の定、彼女は突然現れた正体不明の少年に、戸惑いを隠せない様子だった。
「あ、初めまして。リュカって言います。テオドア坊ちゃんとは幼馴染みたいなもんでして、よろしくお願いします」
「……あ、こ、こちらこそ……ミシェ、です。よろしくお願いします……」
戸惑いに気付いたのか、リュカが嫌味なく挨拶をする。こういうところは本当に抜け目がない。ミシェも緊張が少しほぐれた様子で、名乗り返したあとは静観に徹し始めた。
テオドアは、リュカに問い掛ける。
「僕の身体はどう? 治りそう?」
「いやー、まあ、治るとは思いますけど……死んだあと念入りに燃やされてたんで、たぶん、完璧に元通りになるには数ヶ月は掛かりますね。早くて二ヶ月くらいっす」
リュカはさらりと言って、腕を組んだ。
「大まかな事情は聞いてます。あの口うるさい女神がタダで捕まるとは思えないんすけど、まあ……坊ちゃんとしては心配ですよね」
「まあね……数ヶ月かかるのは、さすがに長過ぎるかな」
口うるさい、とは、おそらく『光の女神』のことだろう。
折り合いの悪い彼としてはそういう感想になるのだろうが……テオドアとしては、やはり心配である。安否がまったく分からないというのは、想像以上に心労があった。
というか、現状、ペレミアナ以外の無事が確認できていない。女神や半神、精霊はもちろん、怪鳥やその雛、知り合いの人間たちの行方も。
ここまで考えて、テオドアはふと、気が付いて言った。
「リュカ、ハンナさんとクレイグは、無事?」
「ああ、坊ちゃんの妹さんと一緒に、公爵家で暮らしてますよ。アルカノスティアの国境付近の壁も、魔物に壊されてましたけど、公爵家の領地は壁から遠いんで、混乱も少ないですし」
やはり、アルカノスティア王国にも、魔物の襲来があったらしい。
だが、ひとまず、妹とハンナたちの無事が分かって、安堵する。特に、かの双子とは短い付き合いで、なんなら向こうは仕事上の関係としか思っていないかもしれないが……善良な人たちだった。
無為に命を失うことになっていなくて、良かった。心からそう思える。
「で、えーと……元ヴィンテリオ公爵と奥さまの話も、します?」
「それは大丈夫かな。君がそう言うってことは、ひどいことにはなっていなさそうだし」
そうすか、と、リュカも軽く頷いたきり、話題を切り替えた。
「そうだ、あの引きこもりと喋ってくれてありがとうございます。アイツ、めっちゃ上機嫌でしたよ」
「アイツ?」
「えーと、『予言の神』ですね。こう見えて、オレ、アイツと腐れ縁なんすよ。公爵家にも何度か連れてってます」
「もしかして、君の〝ちょっと予言ができる友達〟って……」
彼の発言の数々が、ここで繋がった。『予言の神』を「ちょっと予言ができる」扱いはどうかと思うが、リュカにとってはそれが普通なのだろう。
ちなみに、ミシェは目を白黒させて立ち尽くしていた。話の内容についていけないのもそうだろうが……「この人、絶対に普通の人間じゃない」と思っているのが手に取るように分かる。
リュカの言動は、人間以外の存在から見ても違和感だらけのようである。半分以上、隠していないも同然だし、むべなるかな。
二人の微妙な視線を受けて、しかしリュカはまったく頓着せず、話を続けた。
「坊ちゃん的にはどうでした? アイツ、すげー卑屈だったでしょ?」
「あ、いや……そこまででもなかったかな。いろいろと助言もくださったし……」
「え!? 助言!? ほんとですか!?」
なぜか、彼は身を乗り出し、目を丸くして叫んだ。よっぽど衝撃を受けたのだろう、リュカはしばらく固まり、口を閉ざして何事かを考えていたようだった。
そうして、ゆっくりと姿勢を正し、「そうすか……」と噛み締めるように言う。
「とうとうアイツにも友達っぽいの、できるときが来たんすねえ……数千年経って一人すよ? 前進には変わりないすけど……」
「君、数千年生きてるの?」
「えー、まあ、数千年くらい生きる人間もいますよ。世界広いんで」
とうとう誤魔化す言葉が見つからなくなったのか、適当な口調で返してくる。
矛盾に突っ込むのはもうよそう。テオドアもそれ以上は追求せず、ただ頷くだけに留めた。なんてったって、話が進まないからである。
リュカは二歩ほど退がると、「じゃ、オレはこれで!」とあっさり片手を上げた。
「坊ちゃんが冥界にいる限りは、オレもここに滞在してるんで。良かったら、相談くらいは乗りますよ。現状、割と役立たずなのが申し訳ないです」
「いや、僕のほうが何もできてないし、心強いよ」
テオドアが否定すると、彼は珍しく神妙な顔で、こちらを見上げた。
「役立たずは事実っすよ。やっぱ……こういうとき、禁術でもなんでも、すごい魔法を会得しときゃ良かったとか、思いますもん」