173.帝国騎士団の魔術
騎士、という存在について、テオドアはほとんど何も知らない。
実家にいたころは、王宮騎士が要人や神殿の警護に当たることをなんとなく聞きかじる程度。ことに公爵家子息らしい生活をしてこなかったため、夜会へ呼ばれて騎士を見かける、ということもなかった。
〝依代〟候補者になってからは、帝国の騎士団長の印象が最悪だったこともあって、特に積極的に調べることもしなかった。
〝依代〟となってからの儀式漬けの日々では、特に必要としない知識だった、というのもある。
いつも王宮を警護し、王族の身を守り、重要な儀式の際には神殿へも出張する。平民でも頑張ればなれる兵士とは明確に異なり、貴族の子息にのみ試験を受ける資格がある。
他国の騎士事情は分からないが、おおむねそのような存在であることは同じだろう。
そんな彼らが、なぜ集団でこんなところに?
テオドアたちが知らないだけで、この神殿で重要な儀式でもあるのだろうか?
「……あの人たち」
と、隣にいるペレミアナが、極限まで押し殺した声で呟いた。
「おそらく……ヴェルタの騎士団じゃありません。鎧の造りが違います」
「そうなんですか?」
「はい。ヴェルタやアルカノスティア、ジダ=パノミドのような国は、兵士と騎士団が分かれているので、騎士は比較的に軽装なんです」
テオドアは身を乗り出し、神殿の入り口から見える騎士たちへ目を凝らした。そんなことをしても、ヴェルタ王国の騎士を見たことがないので、見分けはつかないのだが。
しかし、ペレミアナの言う通り、騎士にしては重装というのは分かった。故国・アルカノスティアの王宮騎士は、鎧も最小限で、なんなら身につけていない者もいた記憶がある。
ペレミアナは、ひそひそとした声で続けた。
「あれは、ノクスハヴン帝国の騎士団です」
テオドアとミシェは、思わず顔を見合わせた。ヴェルタ王国内に、ノクスハヴン帝国の騎士団が闊歩している? どういうことなのだろう。
疑問は尽きないが、下手に動くと見つかりそうだ。テオドアたちは自然と、騎士団のほうへ視線を戻す。
三人が息を潜めて見守る中。騎士の先頭に立っていた男が、前に進み出て振り向き、居並ぶ者たちを見渡した。
「諸君。ここが最後だ、気を引き締めたまえ」
「はい」
声を揃えて返事をしたかと思えば、次の瞬間には既に、彼らは澱みない動作で剣を抜き去っていた。それから、一糸乱れぬ足取りで散っていく。
入り口からは見えなくなったため、テオドアが率先し、こっそりと外の様子を覗いた。
彼らは神殿の周囲を取り囲むように立ち、剣を掲げ、何事か呪文らしきものを呟き始めた。
それと呼応するように、神殿周囲の地面に、複雑な光の筋が走る。『冥界の神』の神殿に何らかの魔術を施しているのは、一目瞭然だった。
しかも、魔術に参加していない幾人かは、神殿の中へ入ろうとしているようだ。
テオドアは慌てて駆け戻り、二人を促して、神殿の奥にあった扉の中へと逃げ込んだ。
入り口付近の、普段は信者たちが集う『祈りの間』とは壁一枚を隔てた奥の部屋。『贄の間』である。
完全に追い詰められているが、騎士がここに来るまでには、わずかでも時間がかかるはずだ。
これで、冥界への道が開かなければ、目も当てられないが――
「ミシェさま、お願いいたします」
テオドアが言うと、ミシェは真剣な顔で頷き、両手に大鎌を出現させた。
隣の『祈りの間』には、既に騎士たちが入ってきている気配がする。足音が複数響き、部屋の中を探索して、何事かを報告し合っている。
三人の焦りが募る中、ミシェは思い切り鎌を振りかぶり、何もない空間へ振り下ろした。
――何も起きない。
まずい!
テオドアは思わず、奥歯を食いしばった。
騎士の気配がだんだんと近付いて来ている。ペレミアナの様子を窺うと、彼女は祈るように両手を組み合わせ、ミシェの姿を見守っていた。
ミシェが、焦燥を抑えるためだろう、深く息を吐く。
テオドアは背後の扉を振り返り、「自分だけでも飛び出していって騎士の動きを封じようか、鎧なら干渉できるはず」と考えを巡らせた。
だが、その必要はなくなった。
「テオドアさん!」
短く呼ばれて顔を戻すと、小ぢんまりと祭壇だけがある『贄の間』に、見覚えのある坂道が開いていた。
テオドアが『境界の森』で見たものより、ずいぶんと小さく消えかかりそうだが、冥界への道で間違いはないだろう。
「ぼくが殿を務めます、早く入ってください!」
いつになく芯のある声で、ミシェが囁く。テオドアは頷き、ペレミアナを先に行かせて、自分も坂道を駆け下りる。
初めて入った時は、湿った空気と洞窟の雰囲気に違和感を覚えたものだ。今はそんなこと、これっぽっちも感じない。
少し行ったところで、テオドアは、背後から何かを動かすような音を聞いた。
冥界の道を閉ざしたのだ、と分かったのは、ミシェがテオドアを追い越して教えてくれたからである。
「ぼくが道を閉じ切る直前に、『贄の間』の扉が開きかけていました」
扉を開いたのは、騎士団の誰かだろう。
本当に、間一髪だったようだ。
そこからは、三人とも無言のまま、素早く冥界へと降りた。
道中、やはり恋人や友人などの悲鳴が聞こえたが、反応するのも惜しかった。粛々と冥界の門へ辿り着き、淡々と冥界に入る。
遅ればせながら――ここで、テオドアは、ペレミアナが受肉していることを思い出した。
本来、冥界は魂だけで至るもの。いくら『冥界の神』の娘でも、天界に住まう神ならば、受肉体でいるのはまずいのではないか。
そもそも、天界と違って、冥界には受肉体で入れることが、まず驚きなのだが……。
「ペレミアナさま……失礼を承知で申し上げますが、その……元のお身体に戻ったほうが、負担も少ないのではないでしょうか……?」
ペレミアナにそっと寄り、提案する。
今、彼女が使っている身体は、即席かつ魔獣を用いて作った粗悪なもの。ミシェに協力してもらったとは言え、心地の良いものではないだろう。
だが、彼女は、「大丈夫です」と微笑んで首を振った。
「受肉体のこと、心配してくれてるんですよね。ありがとうございます。でも……不思議なことに、まったく拒絶反応がないんです」
むしろ、地上よりも冥界のほうが、空気が美味しく感じるくらいです。と、ペレミアナは続けて言った。
近くで聞いていたミシェも――先ほどまでの毅然とした態度はどこへやら――遠慮がちに口を挟んできた。
「……も、もしかしたら、〝素材〟が魔獣だからかも、しれません。魔物や魔獣の中には、実際に冥界で働いていたり……神獣として召し上げられたりするものも、いますから」
「なるほど。じゃあ、わたしは、冥界から神獣として認識されているんですね」
ペレミアナは、特に不快感もなさそうに言った。神の使う魔獣の肉体は、魔獣というより神獣に近いだろう、と――知識欲が刺激されたのか、むしろ嬉しそうでもある。
対するテオドアは、緊急事態だったとは言え、尊いお方を魔獣もどきにしてしまった気まずさで、少し身を縮めた。
そんなテオドアをよそに、女性二人は、今後についての話し合いを進めていく。
「この後、どうしましょうか。何よりまず、お父さまにご挨拶をしたほうが良いですよね」
「そ、そうですね。でも、お嬢さまがお帰りになったこと……たぶん、『冥界の神』さまはお気付きになっているかと思います。ご用事があるなら、先に、そちらへ行っても、お怒りにはならないかと……」
「……でしたら、わたし、別行動がしたいです。ミシェは、テオドアさんを連れて、先にお父さまのところへ行ってください」
そう言って、ペレミアナはちらとテオドアを見た。テオドアが慌てて背筋を伸ばすと、なぜか寂しげに目を細める。
「後から追いつきますから、心配しないでください」
――ちょっと、『魂の女神』に、お伺いしたいことがあるんです。