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間話.第一王子は死に向かう

 ルチアノが部屋に入ると、第一王子付きの医術師たちが慌てて止めに入った。


「殿下! なりません、お戻りください! 殿下までお倒れになられては……!」

「気にするな。私が倒れても、次の王位が縁戚に回るだけだ」

「いいえ! 医療に携わる者として、これ以上の犠牲を出すわけには参りません!」


 行く手を塞ぐ医術師を押し退け、迷いのない足取りで部屋の奥に進む。大きな寝台のそばでは、患者の手を取って脈を測っていたらしい初老の医術師が、こちらに気付いて立ち上がった。


「ルチアノさま」

「容態は?」

「無礼を承知で申し上げれば、(かんば)しくはありませんな。保って数日でしょう」

感染(うつ)るか?」

「今のところは、看病をしている者の中に、同じ症状が出た者はおりません」


 ルチアノは、しばし、考えを巡らせるふりをして押し黙った。本当は、()()()()にここへ来たのだが……万が一にも、悟らせてはならない。


「分かった。……少しの間で良い、兄上と私を二人だけにしてくれないか」


 若い者たちには動揺が走ったが、目の前の医術師はただ目を伏せただけだった。「予断を許しません。五分であれば」と言い、他の者を引き連れて部屋を出ていく。

 ルチアノはそれを、黙って見送った。

 初老の彼は、ルチアノが幼い頃から王家に仕える専属の医術師だ。兄がもう永くないことを知っていて、その上で僅かでも時間を設けてくれたのは、最期の別れをさせてやりたいという気遣いか。


 ――逆なのだがな。


 自嘲の笑みを零す。廊下で待機している者の誰もが、ルチアノのことを、単に危篤の兄に別れの挨拶をしにきた弟、としか思っていないのだろう。

 寝台の上で苦しげな息を繰り返す、己の兄を見た。

 ずいぶんと痩せ細り、肌に血の気はない。意識があるのかないのか、ただ目を閉じていた。二週間前、最後に会った時は、健康そのものだったのだが。

 病とは……呪いとは、恐ろしいものだ。


 ルチアノは、部屋の外に聞こえぬよう、静かに言った。


「兄上。死の淵を歩くのは、どんな気分ですか」


 当たり前だが、ルチアノに死の経験はない。

 魂だけになる感覚も、冥界へ降りていく時の心地も、死の精霊の冷たい手の感触も知らない。いや――()()()()()()()になった以上、まともな死を望めるのかどうか。

 ルチアノは、投げ出されていた兄の右手首を掴んだ。皮と骨の感触が、嫌でも手のひらに伝わってくる。


「貴方が良き王子であり、誠実な人間であったことは、私がいちばんよく知っています」


 兄は、模範的な男だった。

 立派な為政者になるために自己を磨くことを怠らず、舞踏会や夜会では誰もが持て囃した。周囲の世辞にも驕らず、淡々と努力を積み重ねていた。ルチアノが荒れていた時期も、彼だけは見離さず、きちんと向き合おうとしてくれた。


 だが、それは、あくまでも「王侯貴族」に向けての顔だ。


 平民に対しては、ほとんど無関心と言っていい。王は国を動かすに当たり、多少なりとも非情な判断を下さなくてはならないし、大衆を数字上の存在としか認識せねばならないこともあるが――兄は、もっとひどい。

 平民を、そこらにうごめく生き物、としか思っていないのだ。


 ある意味では、支配階級にふさわしい思考である。魔力を一定以上持つ者しか「人間」と思っていない。決して邪険には扱わないものの、あくまでも「哀れな生き物」に対する慈悲である。

 平民にも意思があり、感情があることを、知識では知っているけれど実感を伴っていない――と言おうか。

 ましてや、貴族社会で爪弾きにされる『魔力無し』への認識は――


「……兄上。昔、こう仰いましたね。〝魔力の無い者に関わっている暇があるなら、もっと生産的なことをしなさい。あの人たちは平民よりも可哀想な人たちなんだから、余計なことをするんじゃない〟と」


 兄としては、学院に入ってから行動がおかしくなったルチアノを、ただ(いさ)めたつもりだったのだろう。ある時期を境に品行方正にはなったが、努力の方向が間違っている、という苦言だったのかもしれない。

 ルチアノは、その言葉を聞いて確信した。

 どうあっても分かり合えない、と。


「今の兄上は、『魔力無し』より役立たずですね」


 わずかに皮肉を込めて言う。死にゆく者に投げかける言葉ではないと、充分に分かっていた。

 すると、呪いに伏した兄は、熱にうなされながらも何ごとかを口走る。意識が混濁しているのか。意味のない呟きだ。


「……可哀想に。こんな、不実な弟が生まれてしまって」


 言いながら、ルチアノは空いた片手を虚空へかざし、【収納】の魔法陣から目当てのものを掴み出した。

 魔石である。

 手のひらに収まるほどの大きさで、臓物をそのまま固めたかのように生々しく赤く、不気味な模様が刻まれている。元魔術学院講師のマリレーヌが、〝真心〟を込めて創り出したものだった。

 可能な限り素早く、ルチアノは、掴んでいた兄の手に魔石を押し付けた。表面は艶出しの加工がされているはずだが、短剣よりも滑らかに、兄の手のひらへ埋め込まれていく。


「っが、あ!」


 途端、電流を流したかのように、兄の身体が跳ねた。

 目を極限まで見開き、泡を吹き、苦悶の表情でガタガタと震える。先ほどまでの力無い姿はどこへやら、体内に取り込まれた異物を全身で拒絶しようと暴れている。

 ルチアノは、粛々と魔術を行使し、兄の声を【沈黙】させる。どんなに悲鳴を上げようが、誰にも届かないだろう。

 一分も過ぎれば、魔石が彼の体内に溶け切ったためか、拒絶反応も薄れてくる。

 それから数十秒で、兄は、元の病人らしい姿を取り戻した。


「……」


 ルチアノは彼の腕を離し、寝台の上で暴れた痕跡を丁寧に消していった。シーツを整え、ズレた枕を直す。顔にかかった髪を払ってやったあと、静かに窓際へ寄った。

 時間切れだ。


「ルチアノさま」


 初老の男を筆頭に、医術師たちが気遣わしげに部屋へと入ってくる。

 彼らの表情から、何も勘付かれていないことを確かめたルチアノは、哀しげに見えるように微笑んだ。


「……礼を言う。兄上とは話せなかったが、覚悟はできた」

「よろしいのですか」

「ああ。君たちも、根を詰めて倒れてしまわないようにな」


 若い医術師の一人が、堪え切れない様子で涙を流す。周囲に諌められていたが、ルチアノは片手を上げ、「良い。彼を咎めるな」と(たしな)めた。

 

「ここへ来たことは、私と君たちとの秘密にしてくれ」

「はい」

「では……また、何かがあったら」


 医術師たちに見送られ、ルチアノは部屋を後にした。

 人払いがされた廊下を進み、自室へと戻る道すがら。高い天井を見上げ、大きく息を吐く。


「これで良い……あとは……」


 あとは、父上か。

 既に魔石は仕込んであるものの、どちらが先に死ぬかも分からず、上手く作動する保証もない。経過を確かめるためにも、父の側近に話を聞きに行こう。担当の医術師の手が空いていれば、なお良いのだが……。

 そこまで考えて、ふと思い出す。


(そういえば、今日は『秩序の女神』さまがお見えになる日か)


 今はまだ、大っぴらに女神として現れるわけにはいかないため、いろいろな人間に化けて現れる。一度、彼女と気付かずに普通に接してしまったことがあり――それ以降、いかに他の人間に紛れて意表を突けるか、面白がっている節があった。

 最近では、手口が巧妙になっていて、探し出すのが地味に難しくなっている。


 少し面倒だな、と、ルチアノは視線を前に戻し、溜め息を吐いた。

 ついさっき、兄を確実な死へ至らしめる細工をしたことなど、すっかり頭の隅へ追いやってしまった。

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