172.歓迎される即位
混沌の酒場で話を聞き尽くし、やっと店の外へ出たときには、すっかり夜になっていた。
途中、何故か、ペレミアナを巡って男たちが乱闘する事態に陥ったのだが、「謎の力に引き剥がされるという怪現象」と、恰幅の良い女主人が一喝したことによって場は収まった。
まあ、怪現象というか、テオドアが暴れる男の服を掴んで引っ張っただけなのだが。
生物には触れないが、頑張れば服を「無機物」と看做せるということが分かって、喧嘩に介入したのだ。
魂だけの生活がどんどん板についている気がして、かなり複雑な心境ではある。何もできない存在ではなくなったのが、せめてもの救いか……。
通りは、変わらず賑やかだった。人々が楽しげに行き交うのを道端に寄って眺めていると、近くの建物の裏から、さりげなくミシェが出て来て合流する。
さすがに、死の精霊とは言え、少女の見た目をした者が酒場に入るのは憚られたからだ。
三人で――側から見ると二人で――連れ立って歩き出す。先の騒動で疲労している様子のペレミアナを気遣い、テオドアはそっと提案した。
「やっぱり、今からでも宿を探しましょうか」
「いえ……このまま、神殿まで向かいましょう。お父さまの神殿がどこにあるか、ある程度の場所は分かりますし」
ペレミアナ曰く、冥界に住んでいたときに、父親とともに各地の神殿を覗いたことがあるそうで。現地に行ったわけではなく、冥界から遠隔で見ただけだが、位置はきちんと覚えているらしい。
ここからいちばん近いのは、通りをずっと行った先の、人気がない公園の中にある神殿。周囲に民家も建物もないため、冥界への道を開くところを見咎められる心配もないだろう、とのこと。
そこまで説明してから、ペレミアナは声を低くして問うた。
「……どう思いましたか? さっきのお話……」
「ああ、ルチアノのお父さんとお兄さんのことですね」
これほどまでに〝ルチアノの即位〟に沸く国民たち。その直前に国王と第一王子が亡くなっているというのに、喪に服す気配が全くない。
元から嫌われていたのだとしても、異様な光景だ。
だが、気になることは他にもある。
「妹がいた……父親に欠陥品だと言われて売られた、と言いますが……ただの噂ではなく、ある程度は真実なんじゃないかと思っています」
テオドアは、考えをまとめながら、ゆっくりと喋る。
あの男性は「妹がいたなんて話は聞いたことがないから、眉唾な噂だ」と断言していた。が、テオドアはそうは思わない。
過去の記憶を引っ張り出す。ヴェルタの魔術学院に潜入していたとき、疲れ果てたルチアノが、「双子の妹がいた」と口走っていた。
だから、妹は実在していたのだろう。
そして――あの口振りから察するに、妹は既にこの世におらず、納得できる亡くなりかたをしていない。噂を鵜呑みにするわけではないが、あながちすべてが間違いとも言えない気がした。
その旨を伝えると、ペレミアナも真剣な顔で頷いた。
「わたしもそう思います。恨みがあったのも、事実でしょうね。本当に父と兄を慕っていたのなら、表向きでも喪に服すことを、国民に要請するはずです」
「……『最高神』がルチアノに成り代わって、国王たちを殺した可能性は?」
「その可能性もあります。でも……わざわざ、ルチアノ王子を騙って即位する必要はあるんでしょうか? 彼の願いは世界の一新ですし……それこそ、『最高神』がこの身を依代に復活した、とでもでっち上げたほうが、手っ取り早いでしょう」
とは言え、こればかりは、議論しても分からない。判断材料があまりにも少な過ぎるからだ。
二人は、どちらからともなく口をつぐんだ。
テオドアは、影のない自らの足元を眺めながら、しばらく黙って、遅々として進まない現状に対する焦りを抑えようと息を整えていた。
大通りからひとつ外れた道に入ると、途端に人の姿がまばらになる。
夜道にふさわしい静けさだ。
誰もが表に出て浮かれているわけではなく、家の中でひっそりと、いつも通りの生活を営む者もいるらしい。
道の両脇に建ち並ぶ民家からは、どこも温かい明かりが漏れ、冷たい石畳をぼんやりと照らしていた。
ふと、今まで喋らずにいたミシェが、控えめに「よ、よろしいでしょうか」と手を挙げた。
「どうしたんですか、ミシェ」
「あ、あの……その、国王と第一王子の話、なんですけど……」
ミシェは躊躇いがちにテオドアたちの顔色を伺ったが、やがて大きく息を吐き、言った。
「死んでるなら、冥界に来ているはず……ですよね。ぼ、ぼくが担当してないから、知らないだけかもなんですが……」
「ええ」
「……その二人、冥界に来ていないです。もしかしたら、まだ、地上を彷徨っているのかもしれません……」
死んだ人間の魂は、おおよそ一日前後で、担当の『死の精霊』が回収する。
人手不足が深刻だった大昔なら、取り逃したり見落としたりして、魔物化させてしまうこともあったらしいが――今は、回収に手こずる魂を見つけ出す仕組みもできていて、取りこぼしは格段に減っている。
王族の魂が特別だと言うわけではないが、地界で地位のある者が二人も死ねば、冥界でもちょっとした話題になるらしい。
それがない。しかも、そのような魂を誰かが回収した、という話も聞かない。
若夫婦の話を聞いていて、ミシェが怪訝そうな顔をしたのは、そのためだったのである。
「普通に、回収が難しかったとか……担当が地界へ来れなかったとか、あると思いますし、それならまだ、良いんですけど……」
何か、嫌な感じがします。と言って、ミシェはわずかに顔をしかめた。
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進むにつれ、どんどんと民家がまばらになり、建物すら稀になっていく。足元の道も、いつしか石畳が途切れ、ぬかるんだ土に変わっていた。
一面に雑草が生えた空き地には、切り出したと思わしき木材がそのまま放置されている。
どう見ても「公園」の様相ではない。が……人の行き来はあるらしい。今にも草に覆われそうなこの細い道も、きちんと踏み固められてはいた。
加えて、神殿への道しるべとしてだろう、ほんのりと輝く白い石が、端のほうに等間隔で並べられていた。
「……あちらです」
と、しばらく歩いたところで、唐突にペレミアナが立ち止まる。
指差すほうを見れば、薄灰色の神殿が、雑草と枯れ木の中に堂々とそびえ立っている。いつでも参拝者を受け入れているのか、入り口付近に赤々とした松明も備え付けられていた。
土の道は神殿よりも先へ続いていたが、向こうに何があるかは見えない。ただ、なにもない空き地を突っ切っているようにしか見えないのだが……何かあるのだろうか。
疑問はひとまず置いておく。
三人は黙ったまま神殿に近付き、周囲を見渡した。
近くに人の気配はない。入るなら今だろう。そう思ったテオドアが、意を決して中へ踏み入ろうとして――
〝なにもない〟道の向こうからやってくる、複数の足音を捉えた。
「!」
同じく気がついたらしい二人と、目配せをして、テオドアは『冥界の神』の神殿へ駆け込む。ペレミアナたちはそれよりも慎重に、しかし素早く後を追ってきた。
暗い神殿内には、やはり誰もいない。不審な女性と少女が飛び込んでも、問い詰められることがないのはありがたかった。
三人は、入り口近くの壁に背を張り付け、息を詰めて気配を殺し、外の様子を窺った。
足音は硬い。金属の擦れ合う音が混じっている。
鎧をまとっているからだ、とテオドアが気づいた時には……彼らは既に、騎士らしく整った仕草で、神殿の前へ整列していた。