171.慶事
「いよお、おねーちゃん! 一人か!?」
「あ……いえ、連れがいます」
「かーっ! しけてんなあ! こーんなにめでてえ日によお、酒の一杯でも飲まにゃあ!!」
喧騒の中、ペレミアナは隣に座ってきた男性から、さりげなく距離を取った。椅子ごと逃れる徹底ぶりである。
しかし、むくつけき労働者風の初老男は、気付いた様子もなく上機嫌に笑った。
「ははは! こんなにめでてえのはひっさびさだわな! おーい、この姉ちゃんに酒出してやってくれ!」
「い、いえ! 結構です、その、持ち合わせが少ないですし……!」
「なあに言ってやがんだ! オレの奢りに決まっとろーが!」
マントを目深に被ったペレミアナは、困惑しきりの顔をしつつも、しっかりと周囲に目を配る。
狭い店内には人が溢れかえっていて、そのほとんどが肉体労働者の風体をした男性客である。彼らは粗野に笑い合ったり言い争ったりしながら、酒を浴びるように飲んでいた。たまに店員の女性に言い寄り、強烈に殴り飛ばされている人もいる。
ここは、ヴェルタ王国の街にある、酒場だ。
廃墟となった街から、徒歩で三十分ほど。簡易的に建てられた関所で偽造の身分証を見せたあと、建設途中の壁を横目に国の中へ。
壁の中は、祭りかと思うほどの賑やかさだ。
門から繋がる道の両脇に露店が建ち並び、店主や店の者が声を枯らして呼び込みをしている。道行く人々は豪勢に買い物をし、至るところにある飾り付けを眺めながら談笑をしていた。
それが、門の近くだけではない。どこまで行っても続くのだ。
女神と死の精霊の尽力により、手の空いていそうな人から少しずつ話を聞いて回ったところによると……。
テオドアの見立ては正しかった。
数日前、突如として、魔物が国境の壁をぶち破って襲ってきたが……ルチアノ王子の一声により、壁沿いに住んでいた住人は既に避難済み。
人的被害は皆無で、国民は安心して「お祝い」に専念しているという。
「お祝い……ですか?」
ペレミアナが問うと、親切に話に応じてくれた若夫婦は、「そうそう」と揃って頷いた。
「あなた、旅をしてきたのなら、聞いていなくても無理はないわね。まず、十日前に、国王が崩御なさったの」
「〝前の〟国王だろ」
「あ、そうね。でも、まだ即位はしてないでしょ――で、その三日くらい前だったかしら。王位継承第一位だった第一王子が、肺を病んでお亡くなりになったのよ」
ペレミアナとミシェのそばに立っていたテオドアは、ミシェが怪訝そうな顔で、若夫婦を見上げたのを捉えた。物言いたげではあるが、口を挟まず、じっと耳を傾けている。
夫婦はその様子に気付いた様子もなく、早口で話を続けた。
「あっという間だったよな。ご病気だってお触れが出てから、たった一週間だぜ」
「だから、正統な後継者は一人……ルチアノ第二王子しかいなくなったの。今のお祭り騒ぎは、即位式の前祝いみたいなものね」
「そうなんですね」
ペレミアナはいちおう、納得したように頷いた。が、少し考えたあとに、再び問う。
「……即位がおめでたいのは分かりますけど、王族が二人も亡くなっているのに、まったく偲ぶ感じじゃありませんね。ヴェルタ王国は、そういう文化なんですか?」
「いやいや! さすがに、前国王と第一王子の死は悲しいことだぞ! 葬式だってするしな!」
若夫婦の旦那のほうが、慌てて手を振って否定する。そこへすかさず、奥方が付け加えた。
「でも、そうね。あの二人はぜんぜん慕われてなかったわよ。だからこうやって、新国王の即位が喜ばれるんじゃない」
「そうですか……」
「あと、これも重要」
彼女はひとつ指を立て、にやりと笑った。
「元〝依代〟候補で、先の魔物襲撃を見通すほどの実力をお持ちの方で、おまけにすっごく美形なの。どうせ国を支配されるなら、そういう頼もしいお方のほうが良いでしょ?」
――おそらく。魔物が来るのを見通せたのは、ルチアノ自身が襲撃を指揮していたからだ。
厳密にはルチアノではなく、ひとつの身体に同居した『最高神』の仕業なのだろうが――どちらでも結果は同じだし、それを論じている暇はない。
己の有用性を見せつけ、王位継承に箔をつけるためか。国民の信用はまんまと高まり、国中が慶事に沸いて大騒ぎ。
また、周辺国の人間も、即位式の噂を聞きつけて大勢やってきているらしい。どこの街のどこの宿にも空きがなく、飲食店は貴賤を問わず客が詰め掛けている。
聞き込みをするために腰を据えよう、その前に休憩を挟もう、と思ったが、これでは難しい。
なんとか見つけた場末の酒場に潜り込み――腰掛けた途端に、冒頭に至る。
というわけだ。
テオドアがペレミアナのそばに立っているのだが、男が気付いた素振りはない。本当に見えないんだなあ、と、溜め息を吐きたくなるのをぐっと堪えた。
魂だけの状態で、人のいるところをうろつくのは、変な気分だ。
「女神さま、お酒は飲むふりでお願いいたします」
誰に聞こえるわけでもないのに、女神の耳元で囁く。ペレミアナは、自身の酒の弱さを自覚しているのか、神妙に小さく頷いた。
しかし、まあ……これも必然か。
一歩引いて、店内を俯瞰してみると分かる。ペレミアナは、このむさくるしい酒場で、ひときわ浮いていた。
マントの覆いを被っているものの、ほっそりとした体型や美しい尊顔は、まったく隠しきれていないからである。
この男は、綺麗どころを見つけたからと声を掛けて来たのだろう。周囲の客たちも、気にしていない素振りをしつつ、ペレミアナを意識しているのが丸分かりだ。
威勢よく見せようとわざと声を張り上げたり、意味のない喧嘩をしたり。ペレミアナへ絡みに行った男を睨みつけたり。
なんというか……ペレミアナの気はまったく引けていないため、空回りもいいところである。
女性店員が酒を運んでくると、ペレミアナは口をつけて飲むふりをした。男はますます上機嫌になって、「いやあ、おねーちゃん! えらい別嬪だねえ!」と騒ぐ。
それに対して愛想笑いもせず、ペレミアナは静かに切り出した。
「……あの、お伺いしたいことがあるんです」
「お? どうした?」
「その……皆さんがお祝いしているのは、ルチアノ王子が国王に即位するから、ですよね」
「おうよ! それ以外に騒ぐもんがないしな!」
男は快活に、力強く請け負った。
それを聞きながら、ペレミアナは、大きなコップになみなみと注がれた酒をじっと覗き込む。息が掛かるためか、表面はゆらゆらと揺れていた。
「前の王さまと第一王子は、慕われていなかったと聞きました。それって、なにか理由があるんですか?」
すると、男は、薄汚れたテーブルに片肘を付いた。「それ、聞いちゃうかー」と、唸るように笑う。
「王族ってのはよ、どの国でも多少なりとも嫌われるもんだろ。だけど、あの二人はなあ――」
「なにがあったんですか?」
「ま、特別なんかあったってより、いつも国民のことを考えてなかったってとこに尽きるわな。いつまで経ってもお貴族さましか見てねえ政治をするもんだから、オレたち庶民は怒りまくりよ」
ルチアノ王子も、あいつらに相当、苦労かけられたって話だぜ。と、男は身を起こし、己の肩や首を回して鳴らす。
凝っているのか、ゴキゴキと関節が外れそうな音がした。
「こんな噂も出回ってやがる。……なんでも、ルチアノ王子には妹がいたらしいんだが……」
欠陥品だからってんで、父王が政情の不安定な小せえ国に身売りさせたんだってよ。
で、その妹を買った王族が、まーひでえヤツだったらしくてな。てめえが国民を怒らせたくせに、ぜんぶの罪をその妹におっ被せて……とんずらだ。
あとのことは、だいたい予想つくだろ?
どんなもん食ったら、自分の娘を生贄にできるんだか。
ま、ただの噂なんだけどな。