169.不完全な魂を補うには
「魂の融合……!」
ペレミアナが驚いたように身を乗り出す。
対するテオドアは、「そんなことが可能なのか?」という疑念を抱えたまま、ミシェの横顔を眺めた。
先ほどまでの、どこか怯えて狼狽えている様子の少女ではない。〝魂を扱うこと〟を数百年も繰り返してきた、死の精霊に相応しい真剣な顔つきだった。
「……ぼくも、自分で、めちゃくちゃなことを言っていると思います。で、でも、お話を聞いていて、そうなんじゃないかなって……」
『最高神』は、己が衰えている、というようなことを言っていたらしい。
加えて、〝器〟のことに触れてはいたものの、「乗っ取って殺した」とは言っていない。そこまで説明しなかっただけかもしれないが、どうにも己を誇示したがる彼が、殺した事実を殊更に隠すとも思いがたい。
――ミシェの仮説は、真実味を帯びていた。
「……神気や権能を奪うのも、欠けているがゆえに、でしょうか」
テオドアが呟くと、ミシェは厳かに頷きを返した。
「おそらくは……そうだと、思います。と言うより、今は、それしかできないんじゃないでしょうか」
「欠けた力を回復したいから……」
「はい。その人の言う、愚かな神、を罰する意図もあるかもしれませんが……力を吸い取って自分のものにすることで、増強を図っているんでしょう」
とすると、ますます早く手を打たなければ、付け込む隙がなくなってしまう。
すぐにでも行動を起こしたいところだが、この三人……ミシェを巻き込まないとしたら二人で、どうやって立ち向かえば良いのか。
冥界にいる神々を引っ張り出すことはできない。彼らの掟は独特だ。テオドアにふんわりとした情報しか与えなかったのも、彼らが「地上」の争いに介入できないからだろう。
避難所として逃げ込むくらいは許していただけると思うが……入れないので意味がない。
八方塞がりだ。
冥界での蘇生に望みを託す……なんとかして道をこじ開けて下り、いつになるか分からない復活を待つか……それとも……。
「テオドアさん」
「……っ、はい。お呼びですか」
深く考え込んでいると、不意に、女神から声が掛かる。はっと顔を上げれば、ペレミアナはしっかりと意思の宿った眼差しで、こちらを見返した。
「優先すべきことを考えましょう。現状では、わたしたちは『最高神』に立ち向かえません。そうですね?」
「はい」
「とにかく、わたしも、お父さまにお会いしたいです。もしかしたら、その……テオドアさんの身体が復活するより早く……」
いったん口籠もり、少しだけ目線を逸らす。
彼女は何かを躊躇っているようだ。束の間の沈黙のあと、拳を握り締めて立ち上がる。本調子ではないだろうに、ふらつく足で地面を踏み、彼女はテオドアを見下ろした。
「わたしとしては、冥界への帰還を最優先にしたいです。できれば、数日以内に。……テオドアさんは、どうですか?」
「僕は、今……」
「ご迷惑でないのなら」
ペレミアナは、ここで、何故か哀しげに微笑んだ。
「お願いします……先に、冥界へ。『最高神』を出し抜く方法を、思いついたんです」
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再び試したが、冥界へ降りる道は、どうやっても開かなかった。
原因は不明だ。三人であれこれと意見を出し合って、おそらくは『最高神』が現れた影響だろうと仮説を立てた。
テオドアたちを狙って身動きを取れないように仕向けたのなら、既に何かしらの追っ手や攻撃があってもおかしくないからだ。
とは言え、今は、すべてが推測の域を出ない。死の精霊の鎌が使えないのであれば、早急に別の方法を探さなければ。
「お父さま……いえ、『冥界の神』の神殿を探しましょう」
ペレミアナが、そう提案をした。
「神殿は、わたしたちを祀り、人間が祈りを捧げる場ですが……本質的に、わたしたちと繋がっている場所でもあります。『光』が大々的に受肉した時も、受肉の儀式は彼女の神殿で行いましたよね?」
「そうですね。『冥界の神』さまの神殿に行けば、冥界への道も繋がりやすくなる――かもしれない、ということですか?」
「ええ。その可能性に賭けましょう。もしかしたら、道中で、冥界へ繋がらない原因が探れるかもしれませんし」
そういうわけで、三人は、『境界の森』を出ることにした。
ひとまずの目標は、どこかの国に辿り着くこと。テオドアが魔法を使えず、ペレミアナの神気を極力消費しないという都合上、どうしても現在地を特定できないのだ。
ミシェは、「ぼ、ぼくが一人で行って確かめて来ましょうか」と申し出てくれた。しかし、現状では彼女だけが、いつも通りに魔法を行使できる。申し出は有り難いが、今回は念のため、一緒に行動してくれるようにお願いした。
だがそれでも、「せめて」と言って、周辺の警戒を買って出てくれている。
つくづく、善良な少女だ。ただ巻き込まれただけの立場だと言うのに……冥界はもっと、彼女に休みをあげてほしい。
「あ、あの、テオドアさん。耳……隠れていますか?」
「はい、大丈夫です。よくお似合いですよ」
テオドアは普通の人間には見えないので、どこをうろついても見咎められることはない。
問題は、獣の耳を得ることになった女神である。
彼女は頭を隠すため、覆い付きのマントを身にまとっていた。落ち葉を掻き集め、ミシェの力を借りて作った一品だ。
耳さえ隠れてしまえば、普通の人間にしか見えない。頬を染め、窺うようにちらちらとこちらを見る女神の、なんと可愛らしいことか。
自然と緩む口元を律しつつ、テオドアは持っていた眼鏡を差し出す。これも、つい先ほど、ミシェが「今のペレミアナのために」作り直した特注のものだ。
いつもは耳に引っ掛けるつるがあるが、この眼鏡にはそれがない。鼻に掛けるだけでずり落ちない加工が施してあるため、走っても首を振っても大丈夫――と言うことらしい。
ペレミアナはおずおずと受け取り、眼鏡を掛けた。
「ええと……い、行きましょう、テオドアさん。ミシェが待ってます」
「そ、そうですね……! 行きましょう!」
お互いに何故かどぎまぎしつつ、揃って洞窟の外へ出る。女神の体調が心配ではあるが、彼女が「大丈夫」と言うので、信じて何も言わずにいた。
2人の元へミシェが駆け寄ってきて、周辺の状況を教えてくれる。近くに魔物の気配はなく、攻撃をしてきそうな存在は皆無らしい。安心はできないが、気をつけて進むことはできるだろう、と。
テオドアは頷き、ペレミアナはミシェを労って、この先の偵察も頼んだ。
〝お嬢さま〟に頼み事をされたミシェは、嬉しそうに走っていき、少し先で探索を再開する。大鎌を片手に持っているため、早々見失うことはないだろう。
テオドアは、ペレミアナと並んで歩きながら、上を見上げた。
分厚い木々の枝葉に遮られ、ほとんど空が見えない。この光景が、自分の世界のすべてだった時があったのだ。
――少し前に、妙な夢を見てしまったからだろうか。そんな余裕はないはずなのに、『境界の森』にいると、前世のことを感慨深く思い返してしまう。
「――テオドアさん」
だから、反応が遅れた。
「あなたは、本当に、前世のことを覚えていないんですか?」