17.怪鳥ネフェクシオス
「魔法は、いろんな才能が合わさらないと、うまく使いこなせないんです」
また、夢を見ている。
城の書庫にこもり、隅にうずくまって読書に勤しむ。それが『知恵と魔法の女神』の日課であるらしかった。
その日も、彼女を訪ねようと書庫に訪れてみれば――案の定、部屋の隅に本を堆く積み上げ、熱心に分厚い本を読み耽っているところだった。
本の世界に集中しているのだろうと、一度立ち去ろうとしたのだが、その前に気付かれてしまった。
「あ、あの、あのあの。よ、よよよよろしければ、少しお話を」
「ですが、読書をされていたのでは」
「い、い、良いんです。ここにあるなら、いつでも読めますから……」
そうして、何を読んでいたのかに始まり、どのような話題の変遷を辿ったのか、彼女の司る「魔法」の話になっていた。
「ま、魔法と魔術の違いは、ご存じですか」
「いいえ」
「この区分けは、人間の使うものにしか当てはまらないんです。魔法は、本来、使用者の魔力と想像力がものを言います。どうしても才能が全てになるんです。魔術は、『要求される分の魔力さえあれば誰でも再現が可能になる』、研究の果てに構築された魔法です。想像力のない人間には便利ですが、本当に才能がある人間や、受肉した神々は使う必要がそもそもなくて」
こちらの理解が追いついていないことに気付いたのだろう、女神は慌てて顔の前で手を振り、「す、す、すみませんっ。喋り過ぎてしまいました」と言った。
「いえ。僕に魔力があれば、とても有意義なお返事ができたのですが……」
「い、良いんです。あなたはそれで! そ、そ、それに、魔力があったからって、誰でもみんな魔法がたくさん使えるようになるわけではないので」
「そうなんですか?」
「魔法をうまく使うには、〝コツ〟がいるんです。あの、これは、どんなに魔法が使える人でも、他人にはうまく教えられないんです。自分でなんとか感覚を掴めなくては、魔力があっても持ち腐れのままになってしまいます」
魔法を語る彼女の横顔は、きらきらと輝いていた。
一見して黒に見える、深青色の髪。ほこりのついた丸眼鏡の奥にある、薄灰色の瞳。いつもの「神らしく努めた」微笑みとは違う、彼女らしい朗らかな笑顔。
本当に、愛おしく思えた。
「あ。も、もし、あなたがわたしたちのは、は、伴侶、になったら、魔法、使えるようにしてみますか……?」
「興味はありますが、できるのですか?」
「わ、わたしは『知恵と魔法の神』ですよ! 魔力のない人間を大魔法使いにすることだってできます!」
「ううん……大魔法使いはちょっと……」
女神はこちらを向き、ぐっと拳を握って力説した。
「大魔法使いになれば、長生きできますからっ! やりましょう、一緒に! 今からでも、ほら、魔法の理論くらいはお教えできます!」
そのとき教えていただいた魔法の知識は、悲しいかな、今はほとんど忘れてしまった。
ただ、彼女が楽しそうにしていたことは、忘れられないでいる。
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朝起きて、身支度を整えていると、控えめなノックの音が響いた。
「どうぞ」
「失礼いたします、テオドアさま。お手紙をお持ちいたしました」
今日は、女神の居城ではなく、自分の屋敷で睡眠を取った。
ロムナがしずしずと入ってきて、テオドアに二通の手紙を差し出す。一通は立派な封蝋で封じられた豪華なもので、もう一方はいたって素っ気のない白い封筒だった。
とりあえず、立派なほうを開いてみる。中には、どこかの紋章が描かれた、美しい便箋が入っていた。
アルカノスティア王国の王、ゾランデ王からの手紙だった。几帳面な字だが、誰かに代筆してもらっているのだろうか。
内容も、挨拶から始まり、先の夜会でほとんど話をせずに慌ただしく去った非礼を詫び、王家として候補者の支援は欠かさないことを約束している。
とても真面目な内容だ。どうしても、あの「人は良さそうだが大雑把そうな雰囲気」とは結びつかない。王だから、真面目で当たり前なのかもしれないけれど。
支援はすぐにでもお届けします、と書かれたのを最後に、手紙は結びの言葉を述べていた。
「ロムナ。僕が国王に返事を書いたとして、届けてもらえるのかな」
「それは難しいことと存じます。王からの手紙は、あくまで『候補者さまへの献上品の一部』と見なされています。手紙のお返事、またはテオドアさまからどなたかにお送りになる手紙は、認められておりません」
「……分かった。生きて帰ったら、お礼を言うよ」
そちらはさておき、もう一通のほうを開く。
中の便箋を引き出すと、ロムナの補足が差し挟まった。
「これは光の女神さまより、候補者の方々すべてに向けて送られたお手紙です。ご承知おきくださいますよう」
シンプルな書面には、ただ数行ほど、綴られているだけだった。
――『第一の試練、開始は本日より二週間後。試練の内容、〝怪鳥ネフェクシオスの卵を、ネフェクシオスに血を流させずに持ち帰る〟こと。手段は問わない』
「怪鳥ネフェクシオス……」
前世の記憶までを探ったが、全く聞き覚えがない名前だ。怪鳥というからには、怪物の鳥なのだろうけど。
書面を睨んで首を傾げ、しかし一向に分からない。数分ほどそうしていたが、諦めて、先人の知恵に頼ることにした。
「この屋敷に、図書室ってあったよね?」
「ございます。お調べになるのですか?」
「うん。まあ、少しでも情報が欲しいしね。本を読むのは、あまり得意じゃないんだけど……」
「では、わたくしがお調べして、まとめたものをお渡ししましょうか。それくらいのお手伝いは禁止されておりませんから」
テオドアは、笑って首を振った。
つい先ほど見た、あの夢のせいだろうか。どうしても本を開いてみたくなったのだ。
「大丈夫、時間はあるから。自分で頑張ってみる」
「しかし、昼食後には、女神さまのもとで剣術のお稽古がございますが」
「……何日かに分けて読むよ」
屋敷の図書室に足を踏み入れるのは、初日にさらっと案内されて以来だった。
古い本の香りと、埃の気配。日に当たらないようにしているのか、本棚は全て、窓からの光が直接当たらないように配置されていた。
天井にまでつくかというほど背の高い本棚を、くまなく見て周り、数十分かけて目ぼしい本を数冊抜き出した。
書見台の前に立って、該当しそうなページを探してめくっていく。
「ネフェクシオス……あった。これだ」
怪鳥ネフェクシオス。ヴェルタ王国北方に位置する、とある高山にしか生息しない巨大な鳥。
気性はとても荒い。人を喰った事例も報告されている。特に、卵を抱えたメスは守るためにいっそう攻撃性が高まり、オスが巣に入ってきたのを、敵と間違えて突き殺すこともあるそうだ。
しかし、その羽根と卵は、とてつもなく貴重である。
特に卵は、大変脆く、割れやすい。風に吹かれただけで割れる、という与太話があるほど。
だが、殻にはガラス細工のような模様が入り、下手な宝石よりもきらきらと輝くため、好事家たちが求めてやまない逸品なのだとか。
金のあるところには、大金を稼ごうとするものが現れる。
何人もの命知らずが、卵を求めて挑み、返り討ちに遭っている。ほとんどは再起不能の大怪我。最悪の場合は死。
大きな損傷もなく生き延びた、わずかな者たちが、割れた卵のかけらを持ち帰った。それは、気が遠くなるほどの高値で取引されているそう。
「『卵が壊れたあとには血溜まりだけが残る』……うわあ。相当、悲惨だったんだろうな」
卵を守っていた母鳥が怒り狂い、たくさんの人が死んだ、ということだろう。
本を何冊か読んで、少ない情報を掻き集めても、怪鳥からどうやって卵を奪うかはどこにも書いていなかった。
当然だ。分かっていればとっくに、怪鳥の卵は市場に『安定供給』されている。
「人を見境なく襲うとか、巣に入ってもすぐに攻撃はしてこなかったとか……すぐに襲うのか襲わないのか、どっちなんだろう……?」
大声で騒いでいたから襲われた、いやいや卵を狙う邪な心を勘付いたんだ、など。憶測は絶えない。
この怪鳥自体、豊富な魔力の持ち主であるため、魔力に敏感になっていたという説がいちばんしっくりくるかもしれない。
それを裏付けるように、命からがら生還した者はみな、『魔力無し』であったという。
「……〝前〟のほうが、生きて帰れる確率は高かったかも……」
まあ、〝前世〟であれば、このような蹴落とし合いに巻き込まれることもなかったのだろうが。
とにかく、本はこのまま持ち帰って、もう少しじっくり読み込んでみよう。なにか、新しい情報があるかもしれない。
そう思って、テオドアは立ち上がる。
壁際に据えつけてある時計によれば、もうすぐ昼食の時間だった。
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二週間は、長いようであっという間だ。
怪鳥について調べたり、装備や持ち物の準備に追われたり、女神に特訓を付き合っていただいたり。
そうしているうちに、気がつけば試練の当日、となっていた。
別の場所へ一瞬で移動できるという『空間移動魔法』のおかげで、怪鳥の棲む山の麓まではみんな揃って到着する。
しかし、そこから先は、誰にも頼れない。候補者たちは、己の身ひとつで山に登り、凶暴な怪鳥に挑まねばならなかった。
ここからは、全員が敵だ。
テオドアは、目の前にそびえ立つ、高い山を見上げた。
ヴェルタ王国の北方にある……との記載通り、山の麓でさえ少し肌寒い。今が早朝だからか、これがずっと続くのか。この先は凍えてしまわないだろうかと、少し心配になる。
が、見える限りでは、至って普通の木々が生えた、普通の山だ。雪が積もっている様子もない。
他の四人もまた、思い思いに山を見ている。
誰もが、テオドアよりも立派で、良い装備を身につけているように思う。これに関しては、テオドアが敢えて選んだことでもあった。
国王が送ってくれた剣と、籠手は巻いているが、あとは武具らしい武具は身につけていない。持ち物も、腰に小さな道具袋をくくりつけているだけだ。
セブラシトが、不意にこちらを見て小さく嗤った。それから、近くのデヴァティカと、これ見よがしに声をひそめて話をしている。
テオドアは、拳をぎゅっと握り込んで、それを無視した。
二週間、光の女神に稽古をつけてもらったものの、剣術は基礎しか身に付かなかった。女神自身、「剣術は基本しか分からない」と言っていたので、ここまででも上出来だろう。
魔法に至っては、基本の魔力操作さえままならない。魔力を使う、という感覚が、いまいち分からないのである。
そもそも、自分が持つ魔力も、うまく自覚できていない。
テオドアは、この中の誰よりも弱いままだ。
――だが。
(僕には、僕なりのやり方がある……!)
第一の試練。
達成できるかどうかよりも、まずは、生き延びることを考えよう。